Science Fiction

2018.03.07

春夏夏夏夏夏夏夏秋とうっ! 石川宗生の旅日記 第1回(1/2)

第1回 パスポートナンバーTK49494949の叫び
2017年5月8日
中国・カシュガル―タシュクルガン
 


1.
「火、貸してくれないか?」
 深夜の成都(せいと)双流国際空港、ガラス張りの小さな喫煙所でタバコを吸っていると、長いうしろ髪をゴムで結った若者に話しかけられた。
 ライターをわたすと、彼は小さく会釈をしてタバコに火をつけ、煙を深々と吸い込んだ。「長いフライトのあとだと格別だな」まぶたの重たげな目を天井に向け、一呼吸おいたあとこちらを見てくる。「どこから来たんだい?」
「東京だよ」
「東京か。いつか行ってみたいと思ってるけど、まだ行けてないな」
「きみは?」
「今日はバンコクから。3ヶ月ぐらい東南アジアを周遊して、これから故郷の北京に帰るところなんだ」
「北京……。ぼくも行こう、行こうと思って、結局、行けてないね」
「東京とは近いし、いつだって来れるよ」ほのかな笑みを湛え、ぼくのバックパックに目を向けた。「もしかして、きみも世界一周をするところなのか? 東南アジアでも、世界一周中だっていう日本人に何人か会ったんだ」
「いや、今回は中央アジアあたりだけだよ。これから早朝の便でウルムチに向かうんだ」 「そっか。まぁ、おたがい大変だな。おれも早朝の便なんだ。どうやって時間をつぶしたらいいか分からなくてさ、とりあえず一服しに来たところなんだよ。どこの空港でも、まずは喫煙所探しからはじまることになる」
 彼は小さく笑ってタバコを灰皿に捨てると、「グッドラック」と手を差し伸べてきた。握手を交わし、喫煙所前に置いてあったバックパックをかついで、ひと気のない通路を歩いてゆく。
 ぼくもすこし遅れて喫煙所を出た。
 空港内はしんと静まりかえっていた。店々のシャッターが閉まり、ベンチでは大荷物の人びとがぼんやり座り、あるいは横たわっている。
 空いていたベンチに腰をおろした。時刻は深夜の四時前。チェックインカウンターが開くまであと4時間ぐらいある。
 バックパックをまくらがわりにして横になった。
 ベンチのひんやりとした感触がTシャツ越しにうっすら伝ってくる。幾重ものおぼろげなイメージがまぶたの裏に現れては、消えてゆく。かすかにこだまする誰かの足音が、これからはじまる旅の予感が、いつまでもぼくを眠りから遠ざける……。

 ……とまあ、ぼくもいちおう小説家なわけだし、すこし気取って小説風に書き出してみたが、これは紀行文でもあるので、よくよく考えてみればこんなに勿体つける必要もないかもしれない。
 なので、ここらでまずは礼儀として自己紹介からはじめましょうか。
 読者のみなさん、こんにちは、ないしはお久しぶりです、ないしはどうも初めまして。  粘土が趣味の著者、石川宗生です。
 この半分小説半分エッセイ形式の旅行記は主に、旅をする石川宗生、あまり旅をしない石川宗生、仕事をする石川宗生、なにもしない石川宗生、堕落する石川宗生など、そしてそれらの石川宗生を書く石川宗生や、それらの石川宗生を書く石川宗生を書く石川宗生……などなどで構成されています。
 さて、そんな感じでメタ的に今回の旅についても触れておくとしよう(と、言っているこのぼくは、それらの石川宗生を書く石川宗生であり、それらの石川宗生を書く石川宗生を書く石川宗生……でもある)。
 まず、旅行先は中央アジアとコーカサスと東欧(当初の予定はコーカサスまでだったけど)。
 期間は2017年5月―10月(当初の予定は三ヶ月程度だったけど)。
 おおまかにはシルクロードをたどるわけだが、ぼくにそんな高尚な意識があるはずもなく、まだ行ったことのないエリアだから足を運んでみようと思っただけ。そして決め手となったのが、成田から中国・カシュガルまでの片道航空券を約2万円という小躍りしたくなるような廉価で購入できたことである。
 ぼくの旅に出る理由なんてそんなものだ。小説の取材でもなければ、人気ブロガーとか中田英寿とかスナフキンとかになりたいからでもない。
 ただ、なんとなく。

 もっとメタメタになって舞台裏を明かしておくと、この旅行記では基本的に一国一編ずつ書き進めてゆくつもりだ(執筆の依頼は帰国後だったため、旅行中、申し訳程度に付けていた日記と記憶をたよりに筆を執るほかなく、ところどころ情報が不正確かもしれないが、その点どうかご容赦されたい)。
 さらに、ぼくの数ある特技のひとつであるイタコの口寄せを使い、ノストラダムスの霊を憑依させて大予言しておくと、この旅行記は全10回になる。
 たぶん、おそらく。
 連載の主な狙いとしては、旅先での体験談を面白いものも退屈なものもふくめディテール豊かにお届けしたいという至極まっとうなものから、旅の仕方やバックパッカーの生態を克明に描き、旅にまつわる神話めいた幻想を木っ端みじんに粉砕したいという多少ひねくれたものまである。
 ちょいと話はそれますが、耳を貸してくださいな。
 長期旅行(あるいは世界一周旅行)をしている、と人に言うと「すごいね」なんて返されることがあるのだが、おそらく旅人が本当の意味で「すごかった」のは沢木耕太郎さんの『深夜特急』の時代ぐらいまでだろう。
 いまのご時世、ガイドブックはもちろんインターネットもあるので旅先の情報は事前にいくらでも入手できるし、どこのルートもだいたいは先人が通った道なので、ただそれをなぞるだけでいい。言葉が分からなくともネットさえあれば全知全能のGoogle翻訳様がなんとかしてくれるし、日本語が恋しくなったら、日本人の旅人だってどこにでも、いくらでもいるから「やっほー、めっちゃんこさみしかったよーん、おろろんおろろん」なんて気さくに話しかければいい。それすら面倒なら、SkypeでもLINEでも使って日本にいる友人知人とビデオ通話してもいい。
 畢竟、現代の旅なんて日常の延長のようなものであって、現代の旅人の大半は「移動する道楽者」なのだ。そこには冒険も摩訶不思議さも神聖さも魔法も奇跡も種も仕掛けも格好良さも、ホントなんにもない。「備えあれば憂いなし」なることわざは確かにその通りかもしれないが、ほぼ裸一貫で旅に出ても、さきに述べた旅行先の情報もバッグパックも着替えも洗面用具もスマホも、すべて旅先で調達できるのでなんら問題はない(そういえば以前、スーパーのビニール袋にすべての私物を入れて旅をしていた日本人の噂を小耳に挟んだことがある)。
 身もふたもないことを言えば、必要なのは、パスポートと時間とお金だけ。
 ただそれゆえ、ぼくのような貧乏バックパッカーの場合は自由な反面、倹約しなければならないのでどうしても苦労が多くなる。
 今回も格安航空券だけあって、移動はなかなか難儀であった。成田空港を夜に出発して中国の成都空港で早朝まで待機、それからウルムチに飛び、そこで一時間ほど待機してカシュガルへ。およそ丸一日がかりの大移動。
 さきの気取った冒頭は、経由地である成都空港での一幕であった。
 そういうわけで、ひと通り説明もしたことだし、このあたりで冒頭の「旅をする石川宗生」にむりやりつなげてみよう。

 そりゃっ、連結!

 5月9日正午過ぎ、カシュガル空港到着。
 中国新疆ウイグル自治区、そのなかでもほぼ最西端に位置するここカシュガルは中国にあって中国の雰囲気はかぎりなく薄く、ウイグル族が人口の大半を占めるイスラム教圏というのが魅力のひとつ。
 空港から出ると、すでにしてそこらじゅうに異国情緒が漂っていた。人びとの顔は漢族とくらべ若干彫りが深く、肌は浅黒い。若者の服装はジーンズやシャツなど現代的だが、高齢の男性は刺繍帽をかぶり、長いあごひげを蓄え、妙齢の女性は色鮮やかなスカーフをかぶっている。空気はからっとしていて、そよぐ風は砂まじり、標高は1000メートル超と高いため日差しが強い。
 キター!
 と、思わず顔文字でも使って叫びたくなる高揚感を抑えながら、ひとまず市街地への交通機関探し。
 タクシーは割高だしどうしようかな、と空港のゲート前をうろうろしていたらなんなく市街地行きのシャトルバスを発見。見た目はふつうのミニバンだが、ケータイサイフみたいな機能が備わっており、地元民らしき人びとがスマホをピッとかざして乗車している。さすがは飛ぶ鳥を落とす勢いの中国、こんな辺境でもかなり最先端。
 シャトルバスは10人ほど乗り込んだところで出発。
 約15分後、エイティガール寺院前の広場で下車。
 カシュガル最大の見どころ、エイティガール寺院は中国最大のモスクで、荘厳にそびえたつ幾何学模様の門とミナレットが美しい。寺院前の広場にはメリーゴーランドやら小さな観覧車やらがあって、記念撮影用のラクダやウマまでいる。お土産物屋が軒を連ね、たくさんの家族連れやカップルでにぎわっている。いちおう日本外務省の危険情報でここカシュガルはレベル一に指定されているが(2017年5月時点)、眼前の光景はどことなくディズニーランドのよう。

写真1_エイティガール寺院前の広場.jpg  みんな大好きトゥーン・タウンにでもいるようなルンルン気分でそこらをすこし歩きまわったあと、インターネットで目星をつけておいた、パミール・ユース・ホステルを探した。
 現代の旅人ともなると、オフラインでもGPS機能だけで使用できる地図アプリを見ながら目的地に向かうのが定石なのだが、ぼくのポンコツスマホは現在位置をまるで認識せず、反復運動みたいに行ったり来たりしながらどうにか到着。
 エイティガール寺院裏の路地に建つ雑居ビル。1階はおいしそうなにおいが漂う中央アジア版バーベキューのシャシリク屋さん、2階が金細工のお店で、3階のさびついた鉄扉の向こうにホステルはあった。
 ロビーでは中国人らしき20代ぐらいのメガネ男子と、これまたメガネをかけた中国美人が、欧米の刑事ドラマを食い入るように観ていた。クッションがいくつも置かれた赤い絨毯の上では大型の雑種犬が横になり、10匹ぐらいの子犬がお乳にたかっている。
なにこの牧歌的な風景。
 キツネにつままれた気分で立ちつくしていると、「あなた、日本人でしょ?」とメガネの中国美人が挨拶も抜きに話しかけてきた。なんで分かったのと訊き返すと、「こんなの履いてるの日本人しかいないもの」とぼくの草履を指さして微笑む。
「服装も」男の子がぼくを上から下まで眺めながら続けた。「黒のチノパンに芥子色のカーディガン。長い髪の毛といい、どう見たって中国人じゃないな」
 あぁなるほど。
 いや、それよりも、ニーハオ。

 さて、男の子の名前はアイコ。女の子はツィツィ。アイコはホステルの従業員で、ツィツィはここの長期宿泊者なのだという。
 さっそくアイコにドミトリーに案内してもらった。
 ドミトリーとは共同寝室のことで、男女混合と男女別の二種類があり、二段ベッドが四つか五つ並んだ八人部屋や10人部屋が主流。シングル・ルームは値段が張るため、お金のない長期旅行者はだいたいこういうところに泊まることになる。
 ここのドミトリーは男性専用の八人部屋の場合、1泊約800円。ひと気ないものの、いくつかのベッドのシーツは乱れ、床には口の開いたバックパックが無造作に置かれている。
 ぼくは空いていた下段ベッドの前にバックパックを下ろし、シーツの上にカーディガンや充電器のコンセントを置いて、後続の宿泊客に取られないようこれがぼくのベッドだということを示しておいた。
 ちなみに、さきの「旅をする石川宗生」の風貌に関するアイコのコメントを補足しておくと、移動中はいつも背中に大きな黒のバックパックを背負い、お腹のほうに小ぶりの黄色いリュックサックをかけている。つまりはサンドイッチのような恰好で、この場合バックパックとリュックサックがパンに、ぼくがレタスなりハムなりツナなりに相当する。
 バックパックには主に洋服や洗面用具などの生活用品を、お腹側のリュックサックにはノートパソコンのほか、イヤホンやウェットティッシュや本など頻繁に使うものを入れている。
 貴重品はマネーベルトという洋服の下で腰に巻く薄いウェストポーチに入れており、シャワー時以外は肌身離さずつけている。その中身を具体的にいうと、パスポート、国際キャッシュカード1枚(現代ではどこの町にもたいていATMがあり、簡単に現地通貨を引き下ろせる)、クレジットカード1枚(航空券や宿の予約をはじめネット上での購入に必須だし、国際キャッシュカードの予備にもなる。クレジットカードはもう1枚あるが、リスク分散のためこちらは財布に入れてある)、予備の現金300USドル(リスク分散のためリュックサック、バックパックにも別途少額を忍ばせてある)など。つまりは未来の強盗犯に朗報、移動中のぼくを襲えばもれなくこれらすべてを入手できるわけだ。
 そして町なかに繰り出す際は、防犯のためベッドの脚などにロックワイヤーでバックパックをくくりつけ、小さなリュックサックだけを背負うのである。

 そんなバックパッカーの基本原則に従って「旅をする石川宗生」はロックワイヤーでベッドの脚にバックパックをくくりつけ、リュックサックを背負ってロビーに戻った。アイコとツィツィはその場に突っ立ったまま、いまだテレビに夢中になっている。刑事ドラマはどうやら解決編に入っているようでふたりの目は真剣そのもの。
 邪魔するようで申し訳ないなと思いつつ、アイコに次の目的地であるパキスタンまでの行き方を訊いてみた。あらかじめネットで情報を調べ、おおかた把握していたが、念のため確認しておきたかったのだ。
 だが、アイコは淡々と言い放つ。
「つい数日前にルールが変わって、個人旅行だと、パキスタンどころかタシュクルガンにも行けなくなったんだよ」
 んん?
 ……いや、英語を使うのも久しぶりだし、きっと聞き間違いだろう。
 半ば祈るような気持ちでもう一度尋ねてみるが、「残念だけど、無理なんだ」とアイコはきっぱり言う。「行きたいなら、政府から許可証を取得するか、個人ツアーを組んでガイドを雇わないといけないんだよ。じっさいに昨日、シンガポール人の旅行者がきみとおなじようにタシュクルガンに行こうとして、検問所で追い返されて戻ってきたんだ」
 テレビに映る事件の真相を知った主人公さながら、絶句。
 要約すると、パキスタンに向かうには、ここカシュガルから南へ五時間ほど進んだ町タシュクルガンへバスか乗り合いタクシーで行き、そこからさらにパキスタン・ススト行きのバスに乗り換えなければならないのだが、いったいぜんたいどういうわけかタシュクルガンに向かうにはツアー・ガイドを雇うか、中国政府から許可証を取得する必要があるという。
 しかし個人ツアーは数万円の費用がかかるので、貧乏バックパッカーにとっては絶対に無理とは言わずとも、まあ無理。また、正式に許可証を取得するにしても何日かかるか分からないし、それ以前に取得できるのかも定かではない。そんな不確定要素だらけの許可証のために、旅の出発点であるカシュガルで何日も浪費したくない。
 元々、中国―パキスタンの国境は規則がころころ変わることで有名であった。
 つい数年前までは国境でパキスタン・ビザを取得できたらしいが、現在、旅行者は国籍問わず自国でしか取得できないことになっている。そのためぼくも事前に日本のパキスタン大使館でビザを取得してから来たのだが、まさか国境前のタシュクルガン行きでつまずくことになるだなんて思いもしなかった。ってか、そもそも数日前に規則が変わるってどんだけ運がないのよ……。
 テレビに映る、追い詰められた真犯人さながらうつろな目でぶるぶる震えるぼくを見て、アイコがすまなそうに続ける。「さっき話したシンガポール人がいまここの姉妹店のホステルに泊まってるから、詳しいことは彼に訊いてみればいいよ。ぼくも19時に仕事が終わるから、そのあとで良かったら一緒に行ってあげるよ」
 メガネの奥にきらりと光るつぶらな瞳。
 不意の優しさにこころ打たれ、刑事の主人公に同情の言葉をかけられた犯人さながら、なんだかぼくまでやってもいない犯行を自供したくなる。



(2018年3月7日)



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