Science Fiction

2017.03.10

橋本輝幸/ダリル・グレゴリイ『迷宮の天使』(小野田和子 訳)解説(全文)

たとえ意識のメカニズムを知っていても、
今の人類とは異なる形であっても、
内心の葛藤はなくなっていないのだ。

橋本輝幸 teruyuki HASHIMOTO



 本書は、2014年に出版されたダリル・グレゴリイの長編Afterpartyの全訳だ。
 舞台はごく近未来の北米。化学物質を調合できる小型機械「ケムジェット」が、家庭用プリンターと大して変わらない感覚で出回っている。なにせインターネットを掘ればいくらでもドラッグのレシピが手に入る時代、酒や栄養ドリンクとそう変わらない。そんな世界で、17歳の少女フランシーヌは新興宗派の教会の集いに誘われ、通ううちに神に見守られている感覚を得る。神の存在は、悲惨な暮らしだった彼女に安らぎと幸福をもたらした。だが売春の一斉摘発で逮捕され、ドラッグ中毒者や精神病患者のための病院に拘留されている間に、神の気配は徐々に遠ざかり、彼女を絶望させる。
 同じ施設にいた患者ライダ・ローズは、フランシーヌから聞いた体験に衝撃を受ける。なぜなら、神を感じるというその症状はかつてライダと仲間たちが開発した統合失調症の特効薬になる化学物質NME110ーー通称ヌミナスの副作用と同じだったのだ。二度と世に出さないと誓い合った薬を、いったい誰が広めたのか?
 追跡装置を体内に埋めこまれることを条件に、ライダは退院を許され、独自に調査を始める。だが、かつては気鋭の神経科学者だった彼女も10年前の事件以来、薬や酒にひたっており金もコネもない。残された武器は、度胸と機転と舌先三寸だけ。あまりに無謀な彼女を助けるのは、収容患者仲間だった二人だ。米軍のため諜報活動に従事していたオリヴィア(オリー)はライダに惚れており、プロの知識と技術を発揮してくれる。しかしスマートドラッグ中毒と偏執病に捕らわれている彼女を、はたしてどこまで信頼してよいものか。ネックレスで首から掛けたおもちゃに自分の意識が宿っていると信じている、善良な青年ボビーもひたむきにライダを手助けしてくれる。それから、ライダがヌミナスの大量摂取の副作用で見るようになった幻覚=口うるさい守護天使ドクター・グロリアも忘れてはいけない援軍だ。
 ライダたちの前に現れる脅威もまた強烈である。アフガニスタン移民の互助的信託組織を前身とする「ミリーズ」は、原色のジャージにゴールドのネックレス姿の老婆たちをトップにいただく大麻栽培マフィアだ。それから、アパートの室内で飼っている遺伝子改良ミニ・バイソンをこよなく愛するヴィニー。彼は薬物を服用することで冷酷な殺し屋ザ・ヴィンセントになりきり、執念深く追いかけてくる。
 本書は本格SFであり、クライム・フィクションであり、カナダとアメリカを股にかけたロードノベルである。なにより、エンターテイメント小説だ。著者は読者としてさまざまなジャンルを愛し、自分が書く小説はなぜかいつも複数ジャンルのミックスになると語っている。テーマや世界観は重いが、展開はノンストップ。構成と伏線も巧みで、謎がきれいに解かれていく結末には文句のつけようがない。おまけにユーモアも盛りだくさんだ。
 脳をめぐる科学は、現代SFの主要な関心事のひとつだ。
 グレッグ・イーガンの短編集『しあわせの理由』(日本オリジナル編集、ハヤカワ文庫SF、2003年) の、瀬名秀明氏による解説には「性格や信条、感情が脳内の化学物質によって規定されてしまうのなら、自分のアイデンティティはどこにあるのかーー」という一節がある。グレッグ・イーガンの短編「しあわせの理由」("Reasons to be Cheerful", 1997)やテッド・チャンの中編「顔の美醜について――ドキュメンタリー」("Liking What You See: A Documentary", 2002)は、この問題を真っ向から取り上げた作品である。
 本書が上記の先行作と大きく異なるのは、化学物質でアイデンティティが揺るがされる状況が最先端の発明品ではなく、大量生産品によって成し遂げられて日常となっていることだ。主人公にとって意識と自由意志が幻想であることは単なる事実でしかない。そのスタンスは、物語の後半でオリーに説明するシーンでも明らかだ。しかし無神論者でヌミナスの開発者側だったライダも、自分にしか見えない幻覚と知りながらもなお、天使ドクター・グロリアに振り回される。たとえ意識のメカニズムを知っていても、今の人類とは異なる形であっても、内心の葛藤はなくなっていないのだ。現実的な性格のライダが、冷淡さを徹底できない姿に、私たち読者は人間らしさを感じる。
 SFの中で身近な思いを描く手つきは、脳に起こる科学現象としての臨死体験を題材にしたコニー・ウィリスの大作『航路』Passage, 2001)を思わせる。テーマが前面に押し出されているわけではなく、ドラマが主役であるところも似ているかもしれない。
 著者のダリル・グレゴリイは1965年シカゴ生まれ。カレッジでは英語と演劇を専攻した。1988年、クラリオン・ライターズ・ワークショップに参加。1990年に〈ファンタジー&サイエンス・フィクション〉誌に掲載された"In the Wheels"で作家としてデビューする。英語の教師、テクニカル・ライター、プログラマーとして勤める傍ら執筆を続け、2004年ごろから精力的に短編を発表し始めた。ごく近年まで午前中はプログラムを書き、午後から執筆する二足のわらじ生活を送り、2016年からようやく専業作家になったようだ。
 2008年に上梓した初の長編Pandemoniumは世界幻想文学大賞、ミソピーイク賞、シャーリイ・ジャクスン賞の候補作になり、著者初のファンタジー長編を対象としたクロフォード賞を受賞した。『迷宮の天使』は四作目の長編である。
 長編発表前に書かれた短編にも脳科学を題材にしているものがいくつもある。その代表例は「二人称現在形」("Two Person, Present Tense", 2005)だ。カレン・バーナムはダリル・グレゴリイとピーター・ワッツを、イーガンと同じく、脳のはたらきの不思議や、脳と意識の関係を探求する作家ととらえている。バーナムの研究書Greg Egan(2014)の意識とアイデンティティについての章では、ワッツ『ブラインドサイト』Blindsight, 2006)と共に「二人称現在形」が紹介されている。この二作はいずれも、我々の「認知」は感覚器から受けとった情報そのままではなく、脳による編集を経ていること、知性があることは意識があることとイコールではないことを取り上げた小説だ。
「二人称現在形」は”ゼン”や”ゾンビ”、あるいは単に”Z”と呼ばれるドラッグの大量服用(オーバードーズ)で、意識を失った少女の話である。意識を失ったというのは、もちろん気絶の比喩ではなく、文字通りの症状だ。”Z”は意識が発生するまでの時間差を大きく引き延ばす。服用者は普通に社会生活を営める。ただし、意識は存在しない。そこに”わたし”はいない。外界からの刺激に反応するだけの哲学的ゾンビができあがる――”Z”のメカニズムは、生理学者ベンジャミン・リベットが1983年に行った有名な実験結果を使って説明される。
「被験者に電極を取りつけ、指を一本、いつでも好きなとき上げるように言う。脳から指への信号は、被験者が指を動かそうと意識する百二十ミリ秒に送られる。S先生に言わせれば、”今だ”と意識する直前に、脳がウォーミングアップを始める。」(嶋田洋一訳、〈SFマガジン〉2007年1月号「ドラッグSF特集」掲載)※太字強調部は原文では傍点
 つまり、意識が行動を認識するのは、脳が行動を決定して身体に指令を送った後ということになる。この テーマはリベット以前から今日に至るまでさまざまなアプローチで実験が続けられてきた。実験結果の解釈も、本書の謝辞に名前のある哲学者ダニエル・デネットをはじめ、多くの人にさまざまに論じられた。思考実験としてSF作家たちの想像力を大いにかきたてるテーマであるようで、テッド・チャン「予期される未来」("What's Expedted of Us", 2005)や伊藤計劃「From the Nothing, with Love」(2008年)、ピーター・ワッツ『エコープラクシア 反響動作』Echopraxia, 2014)などでも言及され、それぞれの作家らしい観点から語られている。ぜひ読み比べてみてほしい。
「二人称現在形」と『迷宮の天使』に共通する特徴は、SFアイディアが物語の核心そのものというより、導入役と背景に徹していることだ。また、世界や人間の在り方を変えてしまいかねないドラッグは、体験者の視点から実に淡々と説明される。その語りには、人類の新たな進化への高揚も、これまでの世界が終わりゆくという虚無感も込められておらず、どう考えるかは読者に委ねられている。未来がどうなろうと、人がいかに変異しようと、日々の生活には変わらない部分も残る――これは他の作品にもたびたび現れる、グレゴリイの一貫したテーマだ。彼の書く社会は、変化や多様性が許容された柔軟なもののようである一方、折り合いをつけて他人と共存し続けなくてはいけない果てしないもので、読後に独特の余韻を残す。
 2017年の夏、大手文芸出版クノップフから刊行予定の新作長編Spoonbendersは超能力一家の家族小説だという。グラフィックノベルやヤングアダルト小説にも手を広げており、ジャンルを越境したグレゴリイの活躍からは今後も目が離せそうにない。



■ 橋本輝幸(はしもと・てるゆき)
レビュアー。〈SFマガジン〉などで未訳作品の紹介記事や、書評記事を多数執筆している。




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