Science Fiction

2010.01.05

東浩紀「小松左京と未来の問題1」(1/4)

ミステリーズ!〉に連載中の、東浩紀氏の「セカイから、もっと近くに!――SF/文学論」最終章として、vol.38(2009年12月号)より開始された小松左京論を、ウェブ上に転載いたしました。なお、このページ上で太字となっている箇所は、紙の誌面上での傍点を示します。(編集部)



 宇野常寛によるセカイ系批判への応答に始まり、新井素子、法月綸太郎、押井守と三人の作家について論じてきたこの評論も、ついに最後の作家を迎えた。ここで取り組みたいのは、日本SFを代表する巨人、小松左京である。
 小松についてセカイ系の観点から語る。この枠組みが奇妙なものに見えることは理解している。というのも彼の小説は一般には、セカイ系の想像力と対照的なものだと見なされているからである。そしてそれはそれで正しい。

 小松は社会派SFを多数書いたことで知られる。他方でいままで見てきたとおり、セカイ系の特徴は社会の審級が壊れていることにある。
 したがって、常識的に見て両者は対照的である。小松の想像力とセカイ系あるいはゼロ年代の想像力の距離を知るうえで、もっともわかりやすい例は、小松SFを代表するベストセラー、一九七三年の『日本沈没』と、それを原作として、二〇〇六年に樋口真嗣監督のもとで製作されたリメイク映画版の差異だろう。
 あらためて紹介するまでもなく、『日本沈没』は日本列島が沈没するパニック小説である。そして原作の魅力は、その未曾有の危機に立ち向かう選良たち、官僚や政治家や科学者たちの活躍にある。そもそもこの小説を通読して印象に残るのは、列島沈没の過程についての描写もさることながら、彼ら選良たちが交わす「国家論」「日本論」である。国家とはなにか、日本とはなにかという執拗に繰り返される問いの存在が、この小説を凡百のパニック小説から区別している。
 ところが樋口版『日本沈没』では、そのような選良の活躍がほとんど描かれない。日本列島が沈没するというのに、この映画では官僚も政治家も重要な役割を果たさない。監督の関心は、CGを駆使した特撮映像と、未曾有の災害に翻弄される人々の日常のみに向けられている。
 そもそもこの樋口版では、日本は沈まないし、国家も崩壊しない。沈没は途中で止まってしまい、さらには興味深いことに、その沈没を止める契機となるのが、主人公と原作には登場しない女性登場人物のあいだの恋愛なのである。これ以上詳しくは紹介しないが、樋口版の物語は、主人公が女性への愛ゆえに行った自殺的な対策(海溝への爆薬投下)が、奇跡的に列島の沈下を止めて人々を救ったという結末になっている。樋口が語るのは原作とまったく異なる物語なのだ。
 それにしても、四半世紀を隔てた映画化とはいえ、なぜこれほどまで大きな改変が加えられることになったのか。それはひとことでいえば、樋口がこの映画化において『日本沈没』のセカイ系化を試みたからである。国家の審級がなく、日常の描写と世界の終わりのどちらかしか描かれず、そして「きみとぼく」の愛が奇蹟を起こして世界を救う――その構図は、樋口自身がそれを自覚していたかどうかとは無関係に、明らかにゼロ年代のセカイ系のパラダイムそのものである。おそらくはだからこそ、この映画は大きな商業的成功を収めた。つまりは一九七三年の社会派SFは、二〇〇六年にはセカイ系SFとしてみごとに換骨奪胎されてしまったのである。そしてそこでは、小松版『日本沈没』を特徴づけていた国家論や日本論が跡形もなく消えてしまう。
 小松が『日本沈没』を出版した一九七三年は、高度経済成長が終わり、日本が国家として目的を見失い始めていた時代である。したがって、その時期に日本の「沈没」を描くことには、荒唐無稽な設定とはいえ大きな社会的意味があった。
 他方で樋口が『日本沈没』を映画化した二〇〇六年は、景気こそ短期的に回復していたものの(そしてそれも数年後にふたたび落ち込む)、日本はまだ「失われた一〇年」を抜け出すことができず、暗い話題ばかりが世相を賑わしていた時期である。したがって、そのような時期に若い世代によって再創造された『日本沈没』が、国家存亡の危機を前にして政治家も官僚もまったく出番がなく、「きみとぼく」の奇蹟だけを描く、それもその奇蹟によってほとんど根拠なく日本が生き残る物語になっていることには、単純に作家の資質では済まされない、深刻な時代的な意味が刻まれている。
 しかし、ここではその解釈を追求するのは止めておこう。重要なのは、『日本沈没』すらセカイ系としてしか再解釈できない、裏返せばそれほど小松の想像力から離れてしまった時代にぼくたちが生きているということである。

 小松は『日本沈没』で、国家や日本について語った。しかしいまの読者や観客は、SFが国家や日本について語ることそのものに必然性を覚えない。
 もうひとつ、小松の想像力とゼロ年代の想像力の懸隔を象徴する例を挙げておこう。それは「未来」という言葉である。
 SFは未来を描く。これは常識的な見方だが、小松において「未来」という言葉はとくに特別な地位を占めている。というのも小松の作家人生は、ある時期からこの言葉を軸に大きく動くことになるからである。
 小松は一九三一年生まれで、一九六〇年代に作家活動を始めている。そしてそれは同時に、情報技術の出現によって、産業やメディアに変革の兆しが現れた情報技術革命の胎動期でもあった。ここでは名前を挙げるに止めるが、一九六〇年代から一九七〇年代にかけては、マーシャル・マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』、アルヴィン・トフラーの『未来の衝撃』、ダニエル・ベルの『脱工業社会の到来』など、現在まで続く情報社会論やメディア論の基礎が出揃っている。そして小松は、そのような時代の流れに強い影響を受けて、小説執筆の傍ら、梅棹忠夫や林雄二郎ら、情報社会の出現に関心をもつ言論人たちと交流を深めることになる。一九六七年には『未来の思想』を出版し、一九六八年には日本未来学会の創設に参加、一九七〇年には大阪万博テーマ館のサブプロデューサーを務めるなど、「未来」について考えることは、小説家としての枠を超え、小松の活動のなかできわめて大きな重みをもつようになっていく。
 小松のこの履歴はいまではあまり語られることがない。というのも未来学の試みは、一九七〇年代に入ると急速に忘れ去られることになるからである。その理由は大きくは、一九七〇年代以降、高度経済成長を終えた日本社会が急速に未来像を失っていったこと、大澤真幸が言うところの「虚構の時代」に入ったことに求められる(注1)。しかしそれだけでもない。
 その失墜には、未来学の内容もまた深く関係している。ひとことで言えば、未来学は、現実の未来についての予測を誤ったのである。一九六〇年代の未来社会像、とりわけ情報社会像が、一九七〇年代以降の現実にどのように継承され、どのように裏切られたのか、その検討もまたじつに興味深いのだが(そしてそれはさきほどの『日本沈没』の問題とも密接に関係しているのだが)、それもまた本論と外れるのでここでは割愛させていただこう(注2)。



1 大澤真幸、『虚構の時代の果て』 、ちくま新書、一九九六年、参照。【本文に戻る
2 一九六〇年代に夢見られていた「情報化社会」と一九九〇年代に現れた情報社会との落差、およびその落差の社会学的な意味については、佐藤俊樹の『ノイマンの夢・近代の欲望』(講談社、一九九六年)が参考になる。【本文に戻る



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