Science Fiction

2008.05.07

新井素子『ひとめあなたに…』あとがき[2008年5月]

ほんっと、よく歩いていたよな、あの頃の私達。
練馬から鎌倉をめざして
徒歩で旅に出た女子大生が
遭遇する4つの物語。
(08年5月刊『ひとめあなたに…』あとがき[全文])

新井素子 motoko ARAI

 

 あとがきであります。
 これは、一九八一年に書いたお話です。

 

 

 新たに本にする為に、ゲラ(本にする前の試し刷りみたいなもんだと思ってください)を丹念にチェックして。色々なことを、思い出しました。
 私って、昔は、ほんとによく歩いていたよなー。大体、練馬から鎌倉まで歩く話なんて、普通、考えないと思う。
 ま、これ、一つには単純に“歩くのが好き”だからなのですが。(高校は、駅からバス停五つの処にあったのですが、私、毎日ここ、歩いてた。これは、“歩くのが好き”なんじゃなくて、バス代を浮かす為だったんですけれど。バスにのらずに毎日歩くと、月に、ハードカバーの本が三冊くらい、買えたんだもん。大学は、実家から私鉄で三つ分、離れた場所にあったのですが、ここもよく歩いた。大体片道一時間ちょっとで……これ、歩いたのは、主に仕事の為ですね。高校時代から作家やってた私、“歩くと何故か文章が浮かぶ”ので、仕事につまると、ひたすら大学まで歩いていったっけ。また、大学卒業した後、今の旦那になった人の家が、うちから徒歩五十五分くらいの処にあって、ここも、よく、歩いたなー。あ、これは、当時の練馬の電車事情のせいです。この頃はまだ、練馬区全体で、電車って、ほとんど走っていない感じで……南北方向に、練馬を横切ってくれる電車が、なかったの。だから、私の実家と、旦那のアパート、歩くと五十五分、電車にのると五十分っていう、非常にすっとんきょうな位置関係になったのでした。わざわざ、方角的にはまったく無関係な、池袋を一回、経由しなきゃいけなかったのね。)
 一つは単純に“歩くのが好き”だからって書きましたが……もう一つ、よく歩いていたのは、私が、壊滅的な方向音痴だったからです。そんでもって、練馬の道路っていうのが、もう、無茶苦茶、判りにくい。世田谷と並んで、タクシーの運転手さん泣かせなんだそうです。壊滅的な方向音痴が、非常に判りにくいって太鼓判がついている区で生まれ育つとどうなるか。はい、日常的に、迷子になるんです。五つや六つの時だけじゃない、中学生になっても、高校生になっても、大学生になっても、主婦になっても……ひたすら、迷子になり続けています、私。そんで、迷子になると、とにかく歩かなきゃいけないんだよっ! とまっていると、いつまでもそこにいるだけなので、道に迷ったが最後、判る処にでくわすまで、歩いて歩いて歩いて歩いて……。迷子の人間にとって、健脚は必要最低条件です。二時間や三時間、ぶっ通し歩けるだけの足がないと、迷子になりがちな人間は、生きてゆけません。
 また、旦那も、よく歩く人で。だから、デートって……歩いてばっかりいたような気がします。(今もだ。)

 

 

 このお話を書いた、ちょっと前だったか、ちょっと後だったか、いささか記憶が判然としないのですが。私、目黒の、とある人の家に伺ったことがありました。ところが、私には、目黒の土地勘がまったくなくって、教えてもらった道筋も、駅からバスに乗って、おりた後、そこから十分くらい歩くっていう……迷子になりがちな人間にとって、とても、自力で辿り着けるとは思えないものだったのでした。(自慢じゃないけれど、私が理解できるのは、『角(かど)二つ』です。三つ以上角曲がるなら、それは、私が、行ける場所じゃないっ!)
 そんでまあ、私は、当時つきあっていた人に――つまり、今の旦那に――、この地図を、丸投げして。
「あたし、絶対一人じゃここにいけない。ごめん、道案内プリーズ」
 そんで、その日は、昼間旦那とデートして、夕方、問題の家まで案内してもらって……バス停を下りた処で、ふいに、旦那が。
「うおっ、しまった、財布が空(から)だ! 悪い、素子、その人の家まで案内したら、ちょっとお金貸してくれない? 俺、帰れない」
「ん、判った。千円でいい?」
「うん、その人の家が見つかった時でいいから。バス代もないわな」
 そんで、旦那に、その家まで道案内してもらい、道中ちょっと迷子になりかけ、約束の時間に遅れかけ……やっと、問題のマンションがみつかった瞬間。
「ありがとう、ここだあっ! やった、なんとか時間前だっ」
 私は走ってマンションの入り口をくぐり……この時、すっかり、忘れていたんですよね、私も、旦那も。旦那のお財布の中身が、空だってことを。
 当時は、携帯も何もありませんでしたから。
 バス停まで戻った旦那、「もーとーこー、おーまーえーはー」ってうなりながら、しょうがない、目黒から池袋まで、歩いて帰ったんだ……そうです。
 ああ、確かに。ほんっと、よく歩いていたよな、あの頃の私達。

 

 

 ゲラ、読み返しながら、同時に、「時間がたったなー」とも、思いました。
 目黒にお住まいだった方は、何年か前に、お亡くなりになりました。
 それに私、時事風俗や流行語をまったく使わない筈なので、ゲラになった時、その手のことを直す必要はない筈だったのですが……でも、直さなきゃいけない処が、結構、あって。
 例えば、“国鉄”。ないもんなあ、今は。
 例えば、“レコード”。今、そんなもん買うのは、趣味の人だけ。
“自動販売機で千円札が使えない”って描写には、ちょっとくらっときてしまいまして、その後、『あ、でも、これは解決できる。大きな駅の近くに来たら、千円札両替機使えばいいんだわ』って文章には、くらくらくら。(あ、直しましたので、その文章は、この本にはないです。)これ、今読むと、自分でも意味が判らない。一瞬悩んで、次の瞬間、思い出しました。そうだよ、あの頃は、自動販売機で使えるのはコインだけで、でも、切符は、場所によっては高いものもあり、だから、駅には、“千円札”を百円玉にする、両替機がある処があったんだよー。
 ああ。
 時間が、たって、しまったのですね。

 

 

 あと、もう一つ。
 私が、唇を噛んでしまったのが……江古田、という地名でした。
 これ、原本――というか、私の頭の中では、『えこだ』って読んでいるのですが、校閲から『えごた』ってルビがあがってきまして……ううう、まいった。
 何故って。純粋に地名的にいえば、『江古田』は、『えごた』って読むのが、正しいんです。中野区に江古田っていう町がありまして、これは『えごた』町。でも、それじゃ(江古田を『えごた』って読んでしまえば)、このお話、練馬から鎌倉へゆくんじゃなくて、中野から鎌倉へゆくお話になってしまうではないかっ!
 それで何がまずいって訳(わけ)じゃないんですが、でも、それは、私の心の中で、なんか、違うの。練馬偏愛主義者の私、あくまで出発点が、練馬じゃないと、嫌なの。
 それに。
 このお話を書いた当時には、前にも書いたように、練馬区には、ほとんど電車が走っていなかったのです。
 ですので、この場合の『江古田』は、中野区江古田町のことじゃなくて、練馬区小竹町、羽沢、旭丘、豊玉をカバーしている、西武池袋線『えこだ』駅周辺のこと。(実際、この駅は、多分中野区江古田から駅名をとったんだろうけれど、何故か練馬区内にあるし、町名は『えごた』の癖に、駅名は『えこだ』なんだよね。)
 はい、この駅は、かなり長いこと、練馬における数少ない駅という地位を占めていまして、だから、練馬区民にとって、『江古田』っていうのは、あくまで、『えこだ』だったのですね。
 中野区民からの文句は、重々承知しております。正しいのは、中野区民です。でも、練馬区民にとって、小竹町・羽沢・旭丘・豊玉あたりは、駅名の、『江古田』って地域なの。だから、これは、『えこだ』って読むの! って、……ちょっと前までは、つっぱれたのですけれど。
 地下鉄の、都営大江戸線ができまして……ここには、『新江古田』っていう駅があって……この駅名は、『しんえごた』って読むんですう。
 ……頼む、頼むよ、統一しろよ、駅名。『えこだ』って駅があって、その側に駅ができたら、『しんえこだ』にしろよ。確かに町名的には『えごた』が正しいんだけれど、『えこだ』があるのに、『しんえごた』はないだろ?『新江古田』のせいで、『江古田』は『えごた』って読むのが正しいって気分が充満し(って、それが正しいんだけれどね)、「これは駅名だから、この辺は『えこだ』なの!」って練馬区民の主張は、どんどんその根拠をなくしています。
 でも。
 とりあえず、このお話に限っては、これ、『えこだ』です。
 何が何でも出発点を練馬にしたいので、これは『えこだ』です。

 

 

 それでは。
 最後に感謝の言葉を書いて、このあとがき、終わりにしたいと思います。

 この本を、読んでくださった、あなたに。
 読んでくださって、本当にどうもありがとうございました。
 文章を書くというお仕事をしている以上、読んでくださる“あなた”がいることが、本当に、本当に、はげみになります。作中、“真理”の章ででてきた小坂さんが言っているように、“読んでくれる人”がいるから、私は、お話を書くことができます。
 そんでもって。
 このお話……気にいっていただけると、嬉しいのですが。
 そして、もし。気にいっていただけたとして。
 もしもご縁がありましたなら、いつの日か、また、お目にかかりましょう――。

二〇〇八年四月
(2008年5月)

新井素子(あらい・もとこ)
1960年東京生まれ。立教大学文学部卒。77年、高校2年生のときに第1回奇想天外SF新人賞に投じた「あたしの中の……」が、選考委員だった星新一の賞賛を受けて佳作入選しデビュー。大学在学中に発表した「グリーン・レクイエム」「ネプチューン」は、第12回、第13回星雲賞を受賞。99年には『チグリスとユーフラテス』で第20回日本SF大賞を受賞した。

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