赤尾秀子 Hideko Akao


 本書の主人公カレンは、十六歳の〝縫い子〟。
 といっても、布を縫って衣類をつくる裁縫師ではなく、料金をいただいて不特定の男性と枕を交わすのが仕事です。
 十九世紀後半、孤児のカレンはゴールドラッシュに沸くアメリカ北西海岸の港町ラピッド・シティで、〝裁縫館〟モンシェリの縫い子になりました。ただしモンシェリは、海べりのいかがわしい売春宿とは違う高級娼館で、経営者は通称マダム・ダムナブル。くそ婆と呼ばれようがなんだろうが、マダムは自身のやり方を貫く鉄の女です。
 そのモンシェリに、娼婦を酷使する下劣な売春宿から、娘がひとり逃げこんできました。これをきっかけに、その宿の主人バントルとの火花を散らす対決が始まり──。

 バントルのもとには人の心を操る不思議な機械があり、それと通じた電気手袋で、バントルはやりたい放題。その手袋をつきつけられると、人はする気もなかったことをしてしまうのです。
 一方、モンシェリには、水力/ディーゼルで動くミシンがあります。これは新型の甲冑タイプで、人間はそのなかに入って裁断、縫製し、アイロンがけまでできる。そしてカレンは、窮地を脱するときにこのミシンをフル活用します。
 ほかにも蒸気で動く手術機や自動調理機があり、町なかでは巨大な建設甲冑が工事に励んでいる。
 と聞くと、ガジェットだらけのスチームパンクSFに思えますが、本書には十九世紀後半におけるアメリカのさまざまな出来事が盛りこまれ、さりげなく記されていることが、じつはアメリカ史に残る一コマだったりもするのです。
 また作者は、本書の執筆にはふたつのゴールがあったと語っています(http://www.sfsignal.com/archives/2015/01/)。ひとつは楽しい冒険物語、もうひとつは当時の西部の、多様な社会のなかで疎外された人びとを描くこと。
 たしかに本書の登場人物は、アイルランド系、中国人、インド人、元奴隷の黒人にインディアン(アメリカ先住民)など、じつに多彩です。またカレンは同性に恋をし、男性のクリスピンは女性に興味がなく、フランシーナは肉体は男性でも、とびきりおしゃれな〝縫い子〟──。

 作者エリザベス・ベア(1971~)は、2005年に発表したHammered『HAMMERED――女戦士の帰還』ハヤカワ文庫SF、2008年)にはじまる三部作《サイボーグ士官ジェニー・ケイシー》シリーズでローカス賞とジョン・W・キャンベル新人賞を受賞。以後も「受け継ぐ者」(2007年)でシオドア・スタージョン記念賞とヒューゴー賞短編部門を、「ショゴス開花」(2008年)でヒューゴー賞中編部門を受賞するなど、短・中・長編を問わず、想像力あふれる作品を精力的に執筆しています。
 本書(原題Karen Memory)が刊行されたのは2015年。カレンの一人称で、それも文法を無視した語りによる冒険譚であることから、ローカス誌はカレンのことを、「『ハックルベリー・フィンの冒険』の主人公を十六歳の娼婦にしたようだ」と評しています。また、チャールズ・ポーティス著True Grit(1968年。邦訳は『勇気ある追跡』1969年、『トゥルー・グリット』2011年、いずれも早川書房刊)も想起させるとのこと(http://www.locusmag.com/Reviews/2015/01/)。

 巻末の著者の言葉にもあるように、舞台となるラピッド・シティは架空の町ですが、複数の都市の歴史が参考にされています。一例をあげると、道の上に高い新道をつくり、梯子を使って上り下りするのはラピッド・シティの大きな特徴ですが、十九世紀後半のシアトルが実際にそうでした。また、当時のシアトルでは、約三千人の娼婦が表向き〝縫い子〟として登録されていたようです。
 インディアンにまつわる話はもとより、本書にはさまざまなうんちくが綴られています。カレンが日記を書くときに嚙む〝黄色い〟鉛筆やリーヴァイ・ストラウスの〝新製品のブルージーンズ〟(デニム地ジーンズの原型)が登場したのも十九世紀後半でした。

 なお、本書にはあえて英訳されず原語のまま記されている箇所があります。カレンがフランス語で読んだヴェルヌの作品は『海底二万里』『神秘の島』で、オリジナルはそれぞれ1870年、74年の刊行。マダムとプリヤが中国語でいいあう場面を漢字にすると、「操你老母的烂屄」と「你妈是龟孙子、你爸戴绿帽子」で、ひとつめは〝マザーファッ××〟を十倍ひどくした表現、ふたつめは〝おまえのかあちゃんクソ女、おまえのとうちゃん寝とられ男〟という意味を百倍下品にした表現のようです(中国語に関しては、中川友氏にご教示いただきました。この場を借りて心よりお礼申し上げます)。

 そしてもう一点、本書の大きな特徴は、カレンの動物たちへの愛情でしょう。父を死に追いやった馬への恨みを捨てきれないまま、その温かい鼻づらに触れたときにあふれでるいとおしさ、炎のなかで必死で雄猫を助けようとする姿は、本国の多くの読者の共感を呼びました。
 高級娼館と虐げられた売春宿の娘たち、性別を問わない愛、切り裂きジャックを思わせる犯人不明の殺人事件、命を賭けた救出作戦、ミシン甲冑に蛸の触手を持つ潜水艦──。
 とにもかくにも盛りだくさんの『スチーム・ガール』を、ぜひ楽しんでいただければと思います。



■ 赤尾秀子(あかお・ひでこ)
津田塾大学数学科卒業。英米文学翻訳家。主な訳書にアン・レッキー《叛逆航路》シリーズ、ヴァーナー・ヴィンジ『レインボーズ・エンド』、マキャフリー&ラッキー『旅立つ船』(以上創元SF文庫)ほか多数。