Science Fiction

2016.10.06

アン・レッキー『星群艦隊』(赤尾秀子訳)訳者あとがき(全文)[2016年10月]

赤尾秀子 hideko Akao

 遠未来の宇宙。広大な星間国家ラドチを舞台にした《叛逆航路》三部作は、本書『星群艦隊』(原題Ancillary Mercy)をもって幕を下ろします。
 著者アン・レッキーは本三部作で長編デビューし、その独特のアイデアと緻密な世界構成により、『叛逆航路』が三部作の一作めにして、ネビュラ賞、ヒューゴー賞、英国SF協会賞など数々の賞を獲得。日本でも、第四十七回星雲賞(海外長編部門)を受賞しました。
 とはいえ、『叛逆航路』の読解は決して一筋縄ではいかず、痛快軽快な、いわゆる宇宙活劇を期待してページを開くと、さまざまな疑問や不満、不可解な印象を抱いてしまうでしょう。
 そのあたりは、原著刊行時、ローカス誌に掲載されたレビュー記事(二〇一三年十月号)にもうかがうことができます。

「アン・レッキーの処女長編はきわめて野心的である。スペースオペラ的でありながら、宇宙での派手なアクションはほとんどなく、惑星や軍艦内の描写が大半を占める。その独特の趣は、冒険活劇やミリタリーSFというよりも、むしろ社会学的、心理学的色合いが濃い。
 また構成面でも野心的で、現在と過去が行き来し、それによって主人公が復讐の念に燃えていることやその理由をはじめ、ラドチ世界がどういうものかが小出しで明かされていく。しかも主人公は、脳にAIを上書きされた属躰(アンシラリー)の集合体から切り離された欠片であり、自分を〝個〟として考えることに苦悩する。
 さらに本書には、ジェンダーの問題もある。ラドチ文化では男女を区別しないため、主人公は登場人物すべてを女性形で表現し、性別につながるような描写すらない。
 このような作品世界の複雑さ、奇妙さゆえに、最初のうちは読み進めるのに難儀する。戸惑い、首をかしげることがあっても、疑問に対する答えはそう簡単には得られない。
 しかし、忍耐は報われる。『叛逆航路』は初心者レベルのSFではなく、だからこそ、読後の満足感は大きい」(抄訳)

『叛逆航路』はいくつもの賞を受賞したものの、半面、ここで挙げられているような点が(一部)読者の素朴な不満にもなりました。
 とりわけ議論を呼んだのが代名詞の問題で、アン・レッキー自身、「〝彼女〟だけでは販売に堪えられないとずいぶんいわれた」と語っています。それでも手を挙げてくれたのがオービット社でしたが、出版にあたってはいくつか修正を提案され、そのひとつがやはり代名詞の変更――「〝彼〟も使ってはどうか?」というものでした。
 レッキーはしかし、これを拒否します。(著者の言葉は種々のインタビューおよび著者のブログhttp://www.annleckie.com/から抜粋要約)

「じつは、書きはじめた当初は〝彼〟も〝彼女〟も使っていました。でもそうすると、登場人物のイメージが、最初に想定していたものからだんだんずれていくのです。これは面白い、と思いました。そこで、代名詞を一種類に限定してみようかと……。そうすれば、たとえばオーン副官とスカーイアト副官の関係にしても、読む人によって男/女だったり、男/男、女/女だったり、自由に想像できるでしょう? 読者が〝自分はこう思う〟というのであれば、それはその人なりの、ある意味心理テストの結果です」
「代名詞に関してはずいぶん悩み、試行錯誤を重ねました。でも考えれば考えるほど、わたしたち自身、厳密な意味で男女を区別していない、と思えてなりませんでした。だって、その人の裸を見て男だ女だと決めているわけではないでしょう? 髪型や服装、身ごなしなど、全体的な印象でしかなく、これは文化にも左右されます。だったら、性別をまったく気にしない文化があってもいい。SFであればそれが可能で、奇妙な、不可思議な世界を想像することにより、わたしたち自身の世界もこれまでにない新しい目で見ることができるのでは、と思いました」

 このような考えから、登場人物の身体的特徴の記述(性別の思い込みにつながるもの)も極力避けたようです。
 同様のことは、固有名詞にも当てはまります。ともすれば(とくに西洋社会では)、名前から性別はもとより、出身地域や社会階級、信仰などを推測しがちですが、本三部作では音遊び的な特異な名に徹底され、そこに〝何かを示唆する〟ものはありません。
 さらに著者は、三部作の本質的なものとして――

「主人公にはアイデンティティの問題をもたせたい、と思いました。ブレクは兵員母艦〈トーレンの正義〉であり、二十の体からなる1エスクであり、ひとつの体しかない1エスク19でもあります。そして19になるまえ、1エスクになるまえ、〈トーレンの正義〉になるまえは、べつの誰かでした」
 こうしてブレクは軍艦/属躰の残り滓として悩むことになり、〝ひとり〟であったはずのラドチ皇帝アナーンダも分裂して自分自身と戦います。また、二作めから登場するティサルワットは、脳にインプラントを挿入された後、それを除去してもなお、以前の自分にもどることができません。
「人がどのように振る舞いどのように反応するかは、経験や記憶、環境だけでなく、物理的な脳の状態によっても変わります。脳に損傷を受け、人格までが変わったようになる例は実際にあるでしょう。アイデンティティというものは(〝自分が考える自分〟は)、不安定でうつろいやすいものだと思います」

 では、舞台となっているラドチの世界はどのように描かれているでしょうか。
 こちらはローマをはじめとする地球各地の古代帝国を、ひいては近現代の〝帝国〟をも想起させます。
 正義/礼節/裨益を大義とするラドチでは、圏外の民族を野蛮だの非文明人だのと蔑視しながら、武力によって併呑するなり、ラドチャーイ=文明人と呼びます。そしてラドチャーイである以上、最低限の衣食住は保障され、適性試験を受ければ(併呑時に従順であったかどうかは原則として関係なく)公正に評価され、役人にすらなることができる。ところが、階級意識は歴然としてあり、下流の出身者は上流のアクセントを真似てしゃべったり、肌の色を少しでも濃くしようと整形までする……。
 このような世界をテレビ映像化する話があったとき、著者は登場人物の性別など、いくつか要望を出したそうです。そして二〇〇四年放送の〈Earthsea(ゲド戦記)〉(原作/アーシュラ・K・ル=グィン)のように、登場人物(役者)を白人だらけにするのだけはやめてほしい、肌の色に関しては譲れない、と明言したとのこと。

 以上、著者が取材やブログで語ったことのごく一部を紹介しましたが、いずれにせよ、人称やアイデンティティの問題からはじまって、じつにさまざまな観念的、思索的トラップが仕掛けられています。読みながら感じる疑問や違和感はこの仕掛けゆえであり、逆にいえば、読み方次第、想像力のふくらませ方次第では、作品世界の奥行き、広がりが一気に増大するでしょう。そしてそれこそが、作者の狙いといえます。

 本作『星群艦隊』も、決して通常の完結編ではありません。レッキーはSFイベント「はるこん」のゲスト・オブ・オナーとして来日したとき(二〇一六年四月、於沼津)、同じ展開、同じ色合いでサーガ的につづく作品は自分の好みではない、そのため『亡霊星域』ではあえて舞台をアソエクに限定し印象を変えた、と語っています。そしてこの最終巻も、復讐の成就(あるいは贖罪)どころか、ブレクの新たな挑戦、新たな物語の始まりとして受けとめることができるでしょう。しかし、著者曰く――「三部作である以上、ブレクを主人公にした四作めはありえない」。
 予告では、次作は二〇一七年秋に刊行予定ですが、本三部作と”同じ宇宙”を部隊にしているという以外、まったく何も発表されていません。とにもかくにも、読者の思い込みや予想を裏切るのが大好きなアン・レッキーのこと、何が始まるかは幕が上がってのお楽しみ、といったところでしょうか。

 さて、本書に収録されている短編「主の命に我従はん」(原題"She Commands Me and I Obey"、オンラインマガジンStrange Horizons, Nov. 2014 掲載)について――。
 これは三作すべてに登場する、とあるイコンにまつわる話です。物に執着しないはずのブレクが手放すことなく持ち歩いているイコンですが、短編中では〝ブレク〟という名も〝ラドチ〟という言葉もまったく使われていません。いろいろな意味で、アン・レッキーらしい奇妙で不可思議な世界を描いた短編といえるでしょう(ただ、作中の球技はメソアメリカの球技にヒントを得たもの)。
 では最後に、この短編に寄せた著者の言葉を記しておきます。
「わたしがラドチ語を翻訳する場合、男女を区別する手掛かりがないため、便宜的に代名詞をすべて〝彼女〟にします。が、これは性を特定するものではありません。ただ、ブレクたちもラドチ語以外で話すときは、一部の者を男性形で示すことがあるようです」



■ 赤尾秀子(あかお・ひでこ)
津田塾大学数学科卒業。英米文学翻訳家。主な訳書にアン・レッキー『叛逆航路』『亡霊星域』『星群艦隊』、ヴァーナー・ヴィンジ『レインボーズ・エンド』、マキャフリー&ラッキー『旅立つ船』(以上創元SF文庫)ほか多数。



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