Science Fiction

2013.05.08

会津信吾/〈ノット・アット・ナイト〉の世界(3・完)[2013年5月]

もしあなたが誰もいない部屋で『怪樹の腕』を読んでいるとき、
耳元でこんな囁き声が聞こえたら、
それはきっと彼女かも知れない。

会津信吾 shingo AIZU


 藤元直樹くんから「いま〈笑の泉〉のバックナンバーに目を通している最中なんですけど、同誌昭和三十一年五月号の妹尾アキ夫「復讐」が〈新青年〉昭和十三年八月号のH・トンプソン・リッチ「執念」に少し手を入れただけの再掲作品だということが判明しました。その旨、ウェブマガジンで告知してください。ていうか、しろ」との連絡がありましたので、します。自分も藤元くんにコピーをもらって読んでみたのだが、ひとつおもしろい発見があった。「執念」にある「南方美人」というフレーズ(『怪樹の腕』三七一頁)が、今回発見された「復讐」では「南部の美人」と書きかえられているのだ。この部分、原文は "Southern lady of rare beauty" となっている。アラバマ州の話なので、訳としては、もちろん「南部」の方が正しい。このことから、妹尾は「執念」を再掲するにあたり、律儀に原文と照合し直し、細かく訳文をチェックしていたことがわかる。誠実な人だったんだなあ、妹尾アキ夫って。〈笑の泉〉というのは、昭和二十五年から昭和四十年にかけて発行されていた「ユーモア」と「お色気」をウリにしたユルっユルの微エロ雑誌。いちおうヌードグラビアもあったりするが、あまりに健全すぎちゃって実用性はゼロ。まぁバスティーユ監獄に三十五年ぐらい監禁されていた人ならテント張っちゃうかも知れないけど。不思議なのは、なぜこの雑誌がバイオレンスホラー(しかもテーマはパルプホラーの三大ネタである「土人、狂人、アジア人」のひとつ!)を載せたのか? ということだ。笑ってるのは語り手の狂人で、読者は笑えないと思うんですけど。あと藤元くんに聞きたいんだけど、あなた、なんでこんなもの調べてるの?
片多博士の秘密
『片多博士の秘密』書影。E・R・バローズ『失われた大陸』と並べてみた。
 J・G・バラード『コンクリートの島』やブライアン・オールディス『世界Aの報告書』の翻訳で知られる大和田始さんから大川清一郎「片多博士の秘密」の豆本(南方手帖刊)を頂戴した。縦百十ミリ、横七十五ミリの可愛らしい本だ。ありがとうございます。早速、本棚に飾らせて頂きました。なぜ大和田さんが「片多博士の秘密」の豆本をお作りになったのかというと、大川清一郎(神戸政郎)は大和田さんの御父上のお兄さん──つまり叔父さんにあたられる方だから。大和田さんの解説を読んでいたら「戰前、おそらくは政郎の父が新たに土地を賣ひ求めて、特用樹園を造つたと聽いたことがあるが、この小説の舞臺とせられてゐ志布志の奥地はそこが念頭に置かれてゐるのでなからうかと妄想してゐる」とあって、なるほどと思った。また「当時(会津註・報知新聞社在籍中)の政郎の上司は野村胡堂で、洋書を渡されて、これを讀んでこいなどといはれてゐたらしい。代讀者になつて様々の小説のプロツトを上奏してゐたのだらう。胡堂は一九三一年、錢形平次シリーズを書き始めて流行作家になつていく。その前後の胡堂の作品に、政郎から仕込んだ海外小説のネタが隠されてゐるのだらうか」という御指摘もおもしろい。こういうことは、やはり御身内の方でないと気がつかないものだ。胡堂の作品を調べるうえで参考になりそうなエピソードである。

ワンコイン・ホラー
Not at Night 書影。経年褪色で茶色っぽくなっているが、ほんとうはもっときれいな緑色。
Not at Night 書影。経年褪色で茶色っぽくなっているが、ほんとうはもっときれいな緑色。
 さて、本題。前回〈ノット・アット・ナイト〉シリーズの生みの親であるクリスティン・キャンベル・トムスンとオスカー・クックの経歴を追いながら同シリーズ誕生の経緯を探ってみた。今回はそのバックグラウンドストーリーをご紹介。ところでいま、自分はあたりまえのように〈ノット・アット・ナイト〉シリーズという言葉を使った。これは別に自分の造語ではなく、版元のセルウィン&ブラント社も使用している。いわば「公式名称」なのだ。だが実はこのシリーズ、最初は名前がなかった。シリーズ名がつくのは第三巻 You'll Need Night Light からで、それ以前はシリーズですらなかった。単発企画として刊行した Not at Night が爆発的に売れ、続く More Not at Night がまた大売れした(You'll Need Night Light の巻末広告によると Not at Night は四万部、More Not at Night は二万部発行したという)ので、急遽シリーズ化に踏み切り、第一巻のタイトルにちなんで〈ノット・アット・ナイト〉シリーズと名づけたのだ。ヒットの理由は、大きくわけて二つある。ひとつは内容の斬新さ。即物的な恐怖とスピーディーなストーリー展開を特徴とするアメリカのパルプホラーは、ムード重視の伝統的なゴーストストーリーを読み慣れたイギリス人にとって、未経験の刺激だった。まさに「ホラー小説の黒船」である。
 もうひとつは卸先。Not at Night の主な販売場所は、W・H・スミス&サン社が経営するブックストール(鉄道駅の構内またはその近辺に設置された新聞雑誌書籍専門の小型売店)だった。一般書店でも販売されていたが、メインは駅売り。日本のコンビニコミックを思い浮かべていただければ、分かりやすいのではないかと思う。スミス社は世界で初めて「チェーンストア」という経営形態を展開した企業で、同社の販売網はイギリス全土の鉄道路線をカバーしていた。イギリスには地下鉄を含めて二六〇〇近くの旅客駅がある。仮に Not at Night の初版発行部数が五千部としても、全国のブックストールに配置可能だ。「この小さな、定価二シリングの本は、ほとんどすべてのブックストールに並んでいた」というクリスティンの回想(アロウブックス版 Not at Night 序文)は決してウソではなかったのである。ちなみに五千部というのは More Not at Night の公称部数(一九二七年九月の時点で二万部)と増刷回数(一九二七年七月の時点で四刷り)から割り出した数字で、版元発表の公称部数ではないことをお断りしておく。普通、初版は増刷分より多めに刷るものなので、実際の刷り部数はもっと多かったはずだ。
Not at Night (1960) 書影。アロウブックス発行のペーパーバック版。
Not at Night (1960) 書影。アロウブックス発行のペーパーバック版。
 二シリングという定価にも秘密があった。これは「釣り銭の必要がなく、ワンコイン(フローリン銀貨一枚)でさっと買えて、さっと列車に乗れるように」(The "Not at Night" Omnibus 序文)との考えにもとづく価格設定であった。当時、二シリングにどれくらいの経済価値があったのか。岡本鶴松『異国の華を尋ねて』(大正十五年・福永書店)によると、学生や若いサラリーマン向けのリーズナブルなレストランで「パンとバタ、ステーク・アンド・キドニー・プデイングを一皿、それに茶を一杯」のランチがチップ込みで一シリング。現代日本のサラリーマンが一回の昼食にかける費用は平均五一〇円(二〇一二年に新生銀行が行ったアンケート調査による)だから、単純比較で千円ぐらいか。ほぼノベルス本一冊の値段である。突出して安い値段ではないが、ハードカバー本(ただし造本はかなりチープで、印刷用紙もあまり上等ではない)としては手頃な価格といえる。他にも判型を携帯に便利なクラウン八つ折判(セルDVD用の DVDトールケースとほぼ同じサイズ)にしたり、シンプルだがインパクトの強いカバーアートで人目を惹く(ブックストールの商品展示は面陳か平積みが基本だった)など、随所に「駅売り本」としての性格を考慮した工夫がこらされていた。画像は Not at Night のダストジャケット。描いたのはエリザ(ベス)・パイクという女性。決してうまい絵ではないが、色づかいが独特で、とにかく目立つ。これがイギリス中のブックストールに並んでいたかと思うと、楽しくなってくる。Not at Night のヒットとその後のシリーズ化の影には、オスカー・クックとクリスティン・キャンベル・トムスンたちの、こうした巧みなマーケティング戦略が存在したのだ。

マイナー作品の宝庫
 次に中身に関するアレコレをお話しするわけだが、その前に話の順序として、書誌的データをあげておこう。

(1)Not at Night(一九二五年十月)
〈ウィアード・テールズ〉十五篇
計十五篇

(2)More Not at Night(一九二六年九月)
〈ウィアード・テールズ〉十五篇
計十五篇

(3)You'll Need Night Light(一九二七年九月)
〈ウィアード・テールズ〉十二篇
〈ハッチンソンズ・アドヴェンチャー・ストーリー・マガジン〉一篇
〈ハッチンソンズ・ミステリー・ストーリー・マガジン〉一篇
オリジナル一篇
計十五篇

(4)Gruesome Cargoes(一九二八年七月)
〈ウィアード・テールズ〉一篇
〈ゴースト・ストーリーズ〉一篇
〈ハッチンソンズ・ミステリー・ストーリー・マガジン〉五篇
オリジナル九篇
計十五篇

(5)By Daylight Only(一九二九年十月)
〈ウィアード・テールズ〉十五篇
〈ハッチンソンズ・アドヴェンチャー・ストーリー・マガジン〉一篇
オリジナル四篇
計二十篇

(6)Switch on the Light(一九三一年四月)
〈ウィアード・テールズ〉九篇
オリジナル六篇
計十五篇

(7)At Dead of Night(一九三一年十一月)
〈ウィアード・テールズ〉七篇
〈オリエンタル・ストーリーズ〉二篇
オリジナル六篇
計十五篇

(8)Grim Death(一九三二年八月)
〈ウィアード・テールズ〉七篇
〈ハッチンソンズ・アドヴェンチャー・ストーリー・マガジン〉一篇
オリジナル七篇
計十五篇

(9)Keep on the Light(一九三三年七月)
〈ウィアード・テールズ〉七篇
〈ハッチンソンズ・アドヴェンチャー・ストーリー・マガジン〉一篇
オリジナル七篇
計十五篇

(10)Terror by Night(一九三四年八月)
〈ウィアード・テールズ〉八篇
〈ハッチンソンズ・ミステリー・ストーリー・マガジン〉一篇
オリジナル六篇
計十五篇

(11)Nightmare by Daylight(一九三六年四月)
〈ウィアード・テールズ〉八篇
〈ファンタジー・マガジン〉一篇
オリジナル六篇
計十五篇

 〆て一七〇篇あります。雑誌別に見ると〈ウィアード・テールズ〉が九十六篇で最多。とくに最初の二巻(この二冊がもっとも古書市場に出回る率が高い)はすべて同誌からのリプリントで構成されており、かつては〈ノット・アット・ナイト〉シリーズが〈ウィアード・テールズ〉の年刊傑作選と思われていたのも、なるほど無理はない。Switch on the Light 以後〈ウィアード・テールズ〉からの再録が半減するのは、その前年にクリスティンがカーティス・ブラウン社を辞め、自ら出版エージェント会社を立ちあげたことと、何らかの関係がありそうだ。彼女の自伝には「一九三〇年の夏、カーティス・ブラウン社を退いたとき、私は即座に、しかも確実に何かをしなければならなかった。私には重要な債務があり、即座に収入の道を確保する必要があった」とある。その「収入」のひとつがオリジナル作品の増加だったのではなかろうか。イギリスにおける〈ウィアード・テールズ〉の著作権は、当時、チャールズ・ラヴェルという出版エージェント会社が一括管理していた。同誌掲載作をアンソロジーに収録しても、彼女には一銭(イギリスだから一ペニーか?)のコミッションも入らない。そこでオリジナル作品である。イギリス人作家(おそらくはブラウン社時代のクライアント)に声をかけ、新作を執筆してもらう。それを自分の会社を通じて〈ノット・アット・ナイト〉シリーズに収録すれば中間マージンが入る。オリジナル作品の比率が高くなればなるほどクリスティンの利益は増加するわけだ。ブラウン社時代のクライアントであり、同時にクリスティンの友人であったジェシー・ダグラス・ケルーシュは三篇の作品を〈ノット・アット・ナイト〉シリーズに寄せているが、その初登場がクリスティン独立後に刊行された At Dead of Night であることも、この辺の裏事情を物語っているように思われる。
 ついでに書いておくと、オリジナル作品の作者は、クック、クリスティン、ケルーシュ、ダイアン・フォーチュンなど一部のメジャーな(飽くまでホラー小説界では、の話だが)面々を除くと、どこの誰だか分からない人ばかり。今のところ〈ノット・アット・ナイト〉シリーズ外での創作活動が確認できるのは「木乃伊の妻」You'll Need a Night Light)のジータ・アイネズ・ポンダー、"Helvellyn, Elivilion or Hill of Baal"(Grim Death)他のロザリー・マスプラット、「霧の夜の宿」Grim Death)他のガイ・プレストン、「開かずの間」Keep on the Light)他のヘスター・ホランド、"The Author's Tale"(Terror by Night)のレスリー・A・ルイス、"One Araskan Night"(Nightmare by Daylight)のバレット・ウィロビーの六人だけ。
 ポンダーは名前から判断しておそらく女性。経歴は一切不明。戦前の怪奇小説にムチャクチャ詳しいアンソロジストのヒュー・ラムも「戦間期に出版された数多くの怪奇アンソロジーの例に漏れず、〈ノット・アット・ナイト〉シリーズには正体不明の寄稿家が何人も含まれている。ポンダーもそうした謎の作家のひとりだ」とサジを投げている。あのヒュー・ラムが「正体不明」といっているぐらいだから、自分ごとき浅学の徒に分かるはずがない。ちなみに自分は「木乃伊の妻」以外に The Bandaged Face (1927, Selwyn & Blount) という作品を読んだことがある。顔じゅう包帯だらけの怪人が、特殊な薬品を使って連続殺人を行い、ロンドンに恐怖をまき散らす。その正体は自殺したと思われていたヒロインの父親で、自ら顔に傷をつけ、事件を担当する警部補の運転手になりすましていたのであった──という「あまりにあんまり」な結末に、イギリスに向かって思わず「金返せ」と叫んだあの日のことをボクは今でも忘れない。もう一回いう。金返せ。マスプラットはジェスパー・ジョン名義で二冊の怪奇小説集 Sinister Stories (1930) と Tales of Terror (1931) を出しているが、自分は読んでない。たぶん読まない。あんまり面白そうじゃないんだもん。プレストンとホランド(別名ヘスター・ゴースト)はチャールズ・バーキンの〈クリープス〉シリーズにも寄稿している数少ない作家のひとり。いや、二人。この人たちは、その後ヴァン・サールのアンソロジーにも再録されているし、まあまあのクオリティだった記憶があるけどよく覚えてない。
Tales of Fear (1935) 書影。〈クリープス〉シリーズの一冊。うまい絵だ。足で描いたにしては。
Tales of Fear (1935) 書影。〈クリープス〉シリーズの一冊。うまい絵だ。足で描いたにしては。
 ルイスは元空軍少佐という怪奇作家としては珍しい肩書きを持つ人物。単行本としては、一九三四年にフィリップ・アラン社から〈クリープス〉シリーズの一冊として刊行された Tales of the Grotesque: A Collection of Uneasy Tales という短篇集があるだけだが、収録作品はいずれもアイデアがユニーク、かつオリジナリティがあって、非常に面白かった。とくに印象深かったのが "The Iron Swine" という殺人飛行機の物語。邪悪な魂が宿っていて、あの手この手で持ち主を事故死させようとするのだ。ひょんなことからその持ち主になった主人公が考え出した対抗策とは? 結末は邦訳されたときのお楽しみ。初めて読んだ時は「まだこのパターンがあったか!」と感心したものだ。余談だが、〈クリープス〉シリーズにはバーリントン・ビヴァリ「地球侵略者」(延原謙訳、〈雄弁〉昭和十一年一月~九月号)の原作(The Space Raiders,1936)も入っている。ただし翻訳されたタイミングから考えて、延原が使用したテキストは雑誌または新聞と思われる。ウィロビーはアラスカの自然を背景にしたロマンチックな小説で人気のあったアラスカ在住の女性作家。"One Alaskan Night" は、アラスカ山中の狩り小屋で一夜を過ごすはめに陥った女性作家の恐怖体験(誰もいないのにドアがノックされる!)を描いた佳作。ノックの謎に合理的説明をあたえ、一度読者を安心させてから、最後の一行でふたたび恐怖を叩きつける。ウィロビーの前書きによれば彼女自身が体験した実話だという。ウィキペディア英語版〔http://en.wikipedia.org/wiki/Barrett_Willoughby〕には没年しか書かれていないが、ナンシー・ウォーレン・ファレルによるウィロビーの伝記 Barrett Willoughby: Alaska's Forgotten Lady (University of Alaska Press, 1994) によれば、一八八六年五月生まれ、一九五九年七月二十九日没となっている。

「この小切手を換金する者はすべての望みを捨てよ」
〈ノット・アット・ナイト〉シリーズにおける〈ウィアード・テールズ〉掲載作の増減は、だがしかし、当の作家たちには(少なくとも収入面に対して)何の影響も及ぼさなかった。ロバート・E・ハワードがクラーク・アシュトン・スミスに宛てた一九三四年五月二十一日消印の手紙に次のような一節がある。「アーガス・ハウス(会津註・書店名か)についての御教示、ありがとうございました。欲しかった〈ノット・アット・ナイト〉本、早速注文してみましたが、あいにく在庫切れとかで、いま取り寄せてもらってる最中です。なのでまだ現物を目にしておりません」。〈ノット・アット・ナイト〉シリーズにはハワード作品が三篇(Grim Death「黒い石」Keep on the Light「大地の妖蛆」Terror by Night「館のうちの凶漢たち」)収められている。だがこれらの本は、ハワードのもとに送られてこなかった。それどころか再録に関しての問い合わせすらなかった。もちろん印税も支払われていない。完全に無断出版である。しかし合法だった。なぜか。〈ウィアード・テールズ〉掲載作品の著作権は、基本的に版元のポピュラー・フィクション社が握っていたからだ。パウル・S・パワーズ「洞窟の妖魔」の解説でも説明したが、〈ウィアード・テールズ〉に作品が採用されると、掲載後、稿料として小切手が送られてくる。この小切手に、ちょっとした罠(あまり聞こえのいい表現ではないけれど)があった。裏面に「名宛人は振出人に出版権・脚色権・掲載権・再掲権・映画化権・翻訳権を譲渡するものとする」と明記してあるのだ。換金するには小切手を銀行に渡さなければならない。支払い済みの小切手は振出人に送り返される。換金手続きをすると、自動的に「出版権(以下十八字略)翻訳権」の譲渡に同意したことになってしまうのだ! これは別にポピュラー・フィクション社だけの特殊な「俺様ルール」だったわけではなく、ヒュー・B・ケイヴによれば「当時のパルプマガジンは買取制があたりまえ」だった。関係ないけどケイヴの名前でピンク・レディーを連想した人はおじさんおばさん確定。俺もだけど。
 中には直接クリスティンに売り込みをかける作家もいた。Terror by Night のオーガスト・ダーレス "The Metronome" は同書のために書き下ろされたオリジナル作品。同作は〈ウィアード・テールズ〉一九三五年二月号にリプリントされている。つまりダーレスは一篇で二回分の原稿料を手にしたわけだ。何というしたたかさ! ダーレスとクリスティンは個人的にも親交があった。晩年のクリスティンは「オーガスト・ダーレスさんと懇意になれたのは、〈ノット・アット・ナイト〉シリーズをめぐる楽しい思い出のひとつでした。彼は私にラヴクラフトさんや彼自身の短篇集を贈ってくださいました。それらの本は今でも持っています」と回想している。「ラヴクラフトさんや彼自身の短篇集」というのは The Outsider and Others (1939) と Someone in the Dark (1941) のことではないかと思う。アーカムハウスの第一冊目、二冊目の刊行物である。これらが出たのは〈ノット・アット・ナイト〉シリーズ完結後なので、ダーレスにとってクリスティンは、単なる「海外に自作を売り込むための窓口」ではなかったことが分かる。

〈ノット・アット・ナイト〉アメリカ版?
 抜け目のなさではポピュラー・パブリシング社よりも、セルウィン&ブラント社の方が一枚上手だったかもしれない。何しろ同社は〈ノット・アット・ナイト〉シリーズの出版権を転売することに成功したのだから。しかも外国。どこに? アメリカに! 「そんなバカな」といわれるかも知れないが、事実である。ウソだと思ったらGoogleブックで Not at Night!(1928, Vanguard Press)という本を検索して、奥付ページを見てごらん。ちゃんと「アメリカで印刷製本」"MANUFACTURED IN THE UNITED STATES OF AMERICA" と書いてあるから。おもしろいのは「これらの作品はイギリスの〈ウィアード・テールズ〉誌に発表され、その後クリスティン・キャンベル・トムスンによって本書イギリス版のためにセレクトされたものである」という断り書き。ヴァンガード社は〈ウィアード・テールズ〉がイギリスの雑誌だと思い込んでいるのだ。ちなみにイギリス版〈ウィアード・テールズ〉は実在する。ただしこれは一九五〇年代の話で、〈ノット・アット・ナイト〉シリーズとは関係ない。編者ハーバート・アズベリーもかんちがいしている。序文を読んでみよう。「この本に収めた作家の大半は、わが国では馴染みのない人ばかり(自分が過去に作品を読んだことがあるのはシーベリイ・クインひとり)である。研究家や評論家たちは、これらの作品の中にエドガー・アラン・ポーやアンブローズ・ビアス、アルジャーノン・ブラックウッドら恐怖文学の巨匠たちが示す文学的スキルと学識を見つけ出そうとして、無駄な努力を払うかもしれない。しかしそのような対比は明らかに不当である。なぜならば本書の選択基準はショックと不気味さなのだから」。知ってるのはクインひとりだそうです。何この冷淡な態度。助走付きサイドキックを喰らわしていいレベルだと思う。
 だがアズベリーだけを責めるのは酷かもしれない。この人は「街娼」や「アンダーワールド」など社会の暗部を好んでテーマにとりあげる社会派ジャーナリストで、常に庶民の視線で世の中を観察するスタンスの持ち主だったのだが、そうした人物でさえ、〈ウィアード・テールズ〉に対する認識はこの程度だったのだ。パルプマガジンは戦間期のアメリカ人庶民にとってポピュラーな娯楽のひとつであったが、まったくパルプに興味のない人たちもまた、同時に存在したのだ。パルプマガジンは読み捨てが原則の非耐久性消費材で、文化財として認識されるようになるのは戦後も戦後、一九六〇年代以後のことである。ひとつ例をあげよう。一九四〇年代アメリカの代表的な文学事典であるスタンリー・J・クンツ&ハワード・ヘイクラフト共編の Twentieth Century Authors: A Biographical Dictionary of Modern Literature (1942, H. W. Wilson) に立項されている〈ノット・アット・ナイト〉シリーズ収録作家は「深夜の自動車」のアーチー・ビンズとダレースだけ。ラヴクラフトのラの字もない。ビンズにしても Lightship (1934) でブレークする前、パルプ作家だったことにはひとことも触れられていないし、ダーレスはほとんど郷土文学の作家扱いである。怪奇幻想文学畑での活動に関する言及はゼロ。パルプ作家の扱いは、こんなものだったのだ。蛇足だが、江戸川乱歩の文章によく名前が出てくる『二十世紀著述家辞典』というのがこの本。一九五五年にクンツの単独編集で First Supplement が出ている。

タイムラグの謎
〈ノット・アット・ナイト〉シリーズに収められた〈ウィアード・テールズ〉掲載作品の初出データをひとつひとつチェックしていくと、奇妙なことに気がつく。〈ウィアード・テールズ〉→〈ノット・アット・ナイト〉シリーズのタイムラグが異常に短い作品があるのだ。たとえばジェラルド・ディーンの「悪魔の床」。初出〈ウィアード・テールズ〉一九二五年九月号に対し、同作収録の Not at Night は同年十月の刊行。時間差はわずか一ヶ月。雑誌の月号表示と実際の発売日のズレを考慮しても二ヶ月ぐらいしかない。しかもこれは、輸送(アメリカからイギリスまで貨物船で十日ぐらい)や作品選定に要する時間を含めての日数なのだ。物理的に不可能ではないとしても、スケジュール的にはかなりキツい。事前に〈ウィアード・テールズ〉の内容を知ることができたとでもいうのだろうか? 実はできたのだ。どうやって? 原稿のコピーである。クリスティンの本業を思い出して欲しい。この人は出版エージェントなのだ。以下はマイク・アシュリーの研究の受け売りなのだが、イギリスとアメリカの著作権法のちがいから、アメリカ人の著作物は、通常、イギリスでは、イギリス人の著作物と同等の保護は受けられなかった。ただしこの法律には、ひとつ抜け道というか、裏ワザがあった。アメリカで出版されてから三十日以内にイギリス国内で出版されれば、イギリスにおけるイギリス人の著作物と同等の権利を認める──というのである。イギリスに原稿を送り、一ヶ月以内のタイムラグで米英同時に出版できれば、著作権保護の対象になるのだ。これが「悪魔の床」のタイムラグに対する答えではないか、とアシュリーは推測している。
 話題はそれるが、戦前の〈ウィアード・テールズ〉邦訳が無断翻訳だと思っておられる方が多いようなので、ここでちょっと説明しておく。かつて日米間には「日米間著作権保護ニ関スル條約」(明治三十九年五月十日勅令)という条約があり、その第二條(といっても全部で三條しかないのだが)で次のように規定されていた。「両締約国ノ一方ノ臣民又ハ人民ハ他ノ一方ノ臣民又ハ人民カ其ノ版図内ニ於テ公ニシタル書籍、小冊子其ノ他各種ノ文書、演劇脚本及楽譜ヲ認許ヲ俟タスシテ翻訳シ且其ノ翻訳ヲ印刷シテ公ニスルコトヲ得ヘシ」──つまりこの条約の締結国である日米両国民は、相手国の国民が、相手国の領土内で発表した書籍その他の著作物を、その著作者の了解を得ずに出版することができますよ、といっているのだ。別に断る必要はないので、無断翻訳という表現は、厳密にいうと成り立たない。まぁ「無断翻訳」だろうが「自由翻訳」だろうが、勝手に訳されちゃった作者にとっては同じことだけれど。この条約は一九七〇年まで存在した。
 だからといって、当時の読者が翻案を積極的に受け入れていたのかというと、必ずしもそうではなかったらしい。次に引用するのは、エヴァ・ピタロ "Surgery's Masterpiece"(〈ディテクティヴ・ストーリー・マガジン〉一九二二年四月二十九日号)を翻案した松浦泉三郎「自己を失つた男」(〈大衆倶楽部〉昭和八年十月号)の但し書き。「本篇は編集当事者の意に依り米国作家エバア・ピタロの作品中から取材して、締切日の前日急遽脱稿したものである事を言添へて置きたい。後で兎や角云はれるのは誰にしろ気持の良くない事だから」。焼き直しであることがバレると「兎や角云はれる」可能性があった、というわけだ。それはそうだろう。読者にとっては一種の「産地偽装」だもの。『怪樹の腕』の場合は、あらかじめ翻案であることを説明したうえで、原作とのズレを「創意」として楽しもうというスタンスだったのだけれど、最初から「国産」と称して売るのはアンフェアだと思う。読者の意識の中には、翻訳と翻案のあいだに、明確なラインがあったのである。蛇足までにつけ加えておくと、"Surgery's Masterpiece" の邦訳は、他に田端龍三「手術の傑作」(〈新趣味〉大正十一年十月号)と渡辺温「外科医の傑作」(〈新青年〉昭和四年新春増刊号)の二種類がある。渡辺訳は『アンドロギュノスの裔』(創元推理文庫)に収録されているので、興味のある人は今すぐ書店にGo and get it。田端龍三は森下雨村の別名で、同名義によるSFの邦訳にW・A・カーティス「戦慄すべき魔湖の人怪」(〈現代〉大正十二年九月号)やH・G・ウエルズ「怪異の発動機」(〈雄弁〉大正十三年一月号)がある。「脳移植による二重記憶」という同作のメインアイデアは、海野十三「脳の中の麗人」(〈日の出〉昭和十四年八月号)のヒントにもなっている。意外に日本SFとの関わりが深い作品なのである。
A Century of Creepy Stories (1934) 書影。編者は無記名だがヒュー・ウォルポールとの噂も。
A Century of Creepy Stories (1934) 書影。編者は無記名だがヒュー・ウォルポールとの噂も。
〈ノット・アット・ナイト〉シリーズ終焉の理由を、クリスティンは「収録に値する作品の発見が困難になったから」と説明しているが、にわかには信じがたい。既発表作品にめぼしいものがなければ、新作を依頼すればいいのだから。本当の理由は、シリーズ長期にともなう内容のマンネリ化と、ライヴァル企画(フィリップ・アラン社の〈クリープス〉シリーズ)の追いあげによる売れ行き低下だろう。実際、シリーズ後半になるほど重版度が低くなる。もうひとつ、親会社のハッチンソン社(一九二八年、セルウィン&ブラント社はハッチンソン社に買収され、同社の子会社になっていた)による類似企画も無視できない。ハッチンソン社は一九三四年から一冊千ページを越すジャンルごとのアンソロジー・シリーズを刊行し始めたが、その中にはホラーの巻が四冊(A Century of Creepy StoriesA Century of Horror StoriesA Century of Ghost StoriesThe Second Century of Creepy Stories)も含まれていた。しかも定価は三シリング六ペンスから四シリング六ペンス、という安さであった。これらが〈ノット・アット・ナイト〉シリーズの余命を縮める複合要因となったであろうことは、想像に難くない。クックとクリスティンは一九三八年(一九三七年説もある)に離婚。その後のクックの足取りはよく分からない。現在確認しうる最後の創作は、シリーズ最終巻 Nightmare by Daylight 収録の "The Crimson Head-Dress" である。一九五二年没。クリスティンは一九四五年にハートリー姓の男性と再婚。夫の没後もクリスティン・ハートリー名義で執筆活動をつづけた。一九七〇年、出版エージェント業界からリタイア。一九八五年九月二十九日に自宅で没した。享年八十八。〈ノット・アット・ナイト〉シリーズ経由の〈ウィアード・テールズ〉戦前邦訳が、こうして一冊の本になったことを、あの世のクリスティンはどのように思っているだろうか? もしあなたが誰もいない部屋で『怪樹の腕』を読んでいるとき、耳元でこんな囁き声が聞こえたら、それはきっと彼女かも知れない。──ひとりで夜読むな。


 三回にわたってお読み頂いた「〈ノット・アット・ナイト〉の世界」これで完結です。みなさまからお寄せいただいた御指摘は、夏頃発売予定の電子ブック版に反映させていただきます。

(2013年5月8日)



■会津信吾(あいづ・しんご)
1959年東京生まれ。駒沢大学経済学部卒。少年小説、犯罪、映画など明治から昭和初期にかけての日本の大衆文化、社会風俗の研究・評論を中心に活躍。『海野十三全集』(三一書房、1988~1993年)の編集に携わる。著書に『昭和空想科学館』(里艸、1998年)、『日本科学小説年表』(里艸、1999年)など。


ミステリ、SF、ファンタジー、ホラーの月刊Webマガジン|Webミステリーズ!
バックナンバー