世界の終わりの天文台
 本書はアメリカの作家、リリー・ブルックス゠ダルトンが二〇一六年に発表した小説、Good Morning, Midnightの全訳です。
 まずは簡単に内容を紹介しておきましょう。本書にはふたりの主人公がいます。
 ひとりは北極圏の天文台で世捨て人のような生活を送る老天文学者、オーガスティン。若い頃から天才と呼ばれ、自身の研究分野で歴史に名を残すことだけを願って世界じゅうの研究施設を転々としてきた末に、自分が最期を迎えるのにふさわしい場所として、この地の果ての天文台にやってきた人物です。あるとき戦争の噂がささやかれるなかで軍の輸送機が迎えにきて、ほかの研究者たちはみな去っていき、ほんとうなら彼ひとりになっているはずだったのですが、撤収の際に取り残されてしまったらしい幼い少女アイリスを見つけ、戸惑いながらも一緒に暮らしています。最初は彼女のために迎えを呼ぼうと無線で外界との接触を試みたオーガスティンでしたが、なぜかすべての周波数帯は不気味に沈黙しています。
 もうひとりの主人公は人類初の木星探査船〈アイテル〉の乗組員、サリー。夫と幼い娘との暮らしを捨ててまで宇宙へ旅立った彼女は、木星とその衛星の調査を無事に終え、仲間とともに地球を目指しているところです。ミッションに成功した当初は乗組員たちはみな高揚していましたが、実はこちらも調査をはじめる直前から管制センターと連絡が取れなくなっており、地球に近づくにつれて船内には日に日に不安が広がっています。
 物語は、まったく無関係に思えるこのふたりの日々の暮らしや身のまわりで起こった事件、ここにいたるまでの人生を交互に描く形で淡々と進み、唯一共通の要素である「地球の突然の沈黙」についてはいっこうになにも明かされる気配がありません。この作品がおもに描こうとしているのは、複雑な生い立ちのせいで人と深く関わることに不器用なふたりの人間が、思いがけない状況に追いこまれたのをきっかけにずっとかたくなに閉ざしてきた心を次第に開いていく様子であり、北極圏や宇宙船、通信の途絶といった設定が、それを引き立てるために効果的に用いられています。
 扱っているテーマからすればもっと重苦しい雰囲気になっていても不思議ではない本書ですが、幻想的な要素が巧みに折りこまれているせいか全体的に重くなりすぎることはなく、幕切れも絶望的な状況であるにもかかわらずどこか希望が感じられるものになっています。また、別々に進行してきたふたつの物語が終盤になってついに交錯するあたりや、最後の最後にひとりの登場人物が発した一言で、薄々そうではないかと思っていたことが裏付けられる瞬間には、パズルのピースがぴったりはまったような爽快感がある一方、読み終えていっそう謎が深まる面もあり、不思議な余韻の残る作品といえるでしょう。
 ちなみに冒頭で引用されているジーン・リースにも同じ題名の著作Good Morning, Midnight(1932)があり、本書はこの作品のオマージュといえそうです。リースの著作のほうは夫と別れ子どもと死別した孤独な女性の物語で、表面的には本書との共通点はあまり見られないのですが、作品全体から受ける印象としては、主人公の女性と境遇的に重なる部分があるサリーよりも、むしろオーガスティンの描かれた方にその影響が色濃く表れているような気がします。
 本書は読者に解釈が委ねられている部分が多いため、読書会向きの作品ではないかと思っていたら、著者のHPに、「どこか謎めいたアイリスの存在をどう説明したか、あるいはそのまま受け入れて読みつづけたか」「北極圏が舞台になっているパートで、現実にはなにが起こったと思うか」「どの時点でオーガスティンとサリーの関係に気づいたか」といった、読書会用の興味深い質問例が挙げられていました。日本でもやってみると面白いかもしれません。

 著者のリリー・ブルックス゠ダルトンはアメリカのバーモント州南部で生まれ育ち、ポートランド州立大学で美術学修士号(MFA)を取得。マサチューセッツ州立大学アマースト校を卒業。TheStudios of Key WestとThe Kerouac Projectから奨学金を得ています。作家デビュー作である自伝的ノンフィクションMotorcycles I’ve Lovedが2016 Oregon Book Awardの最終候補になり、初の小説となる本書Good morning, Midnightは、六種類以上の言語で翻訳されることになっています。

  二〇一七年九月



■ 佐田千織(さだ・ちおり)
関西大学文学部卒。英米文学翻訳家。主な訳書に、ヌーヴェル『巨神計画』、ロジャーズ『世界を変える日に』、ジェミシン『空の都の神々は』、カヴァン『あなたは誰?』他。




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