桜庭一樹読書日記

2012.11.02

まだ桜庭一樹読書日記 【第5回】(1/3)[2012年11月]

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謎のサイン
【謎のサイン】 編者を務めた講談社文庫『スペシャル・ブレンド・ミステリー 謎007』の完成打ち上げで行った西新宿の台湾料理屋に、なぜかロバート・K・レスラーのサインが!(桜庭撮影)

9月某日

 わたしの母が嫁入りした日に、鰹節の箱の中へ出刃包丁をいれて贈ってきたのは、浅草で指折りの売れっ妓だった、というのが、父の自慢話の一つだった。スラリと背が高く、面長、色白で昔風の二枚目の父に入れあげる女たちがそこここにいて、遊びに不自由はしなかったという。
 それが三十六才になってやっと女房をもつ気になったのは、立派な歌舞伎役者にするための子供が欲しかったからである。
「おのぞみどおり、使いべりのしない丈夫な娘さんがいますよ」
 知り合いの古着屋さんの口ききで、たちまち話がきまったとき、母は二十五才。キビキビした働きものだったけれど、色が浅黒くて骨太で、あんまり美人とは言えなかった。
 祝言のまねごとをしたあくる日、芸者からよび出しがかかった。


――『私の浅草』


わたし「大坪砂男?」
F嬢 「そう」
わたし「あぁ、昔、『天狗』読みましたね。紀伊國屋書店新宿南店に犯書店員がいて、猛烈に推してたんですよ。センチメンタルで、素っ頓狂で、おかしな作家さんですよねぇ」
F嬢 「くくっ、くくくく……」
わたし「!?」

 急に涼しくなった、秋の始まりの夜である。
 神楽坂の、なんか信じられない細道を、天狗に誘われるように曲がって、曲がって、たどり着いた海辺の掘っ立て小屋っぽい店で、K島氏とF嬢と3人、空を飛ぶほどうまい秋刀魚の糠漬けやほくほくのいもコロッケを食べている。
 8月いっぱい、なんとか出かける仕事を休んで、『Bamboo』という300枚ぐらいの原稿をワッと書いていた。で、9月に入ったら、『伏』アニメ映画のプロモーションと、読書日記『本のおかわりもう一冊』にあわせた書店フェア「走って!帰ってきた!桜庭ほんぽっ!」開催と、小説の新刊『無花果とムーン』のインタビューが入って、予定が急にわしゃわしゃになる、はず……。
 その直前の、台風の目みたいな夜。
 読書日記のインタビューを一本受けた、後。
 だいぶ酔って、かなり食べて、トイレから「わたし、お腹がお尻みたいになってましたよー」と言いながらもどってきた。で、さっきから、F嬢「尻を出せっ」わたし「はいはいっ(シャツをめくってお腹を出す)」F嬢「ちがうちがうっ、尻だっ」わたし「だから、はいっ(お腹をもっと出す)」という謎の寸劇をK島氏にむりやり見せたりしていた。
 K島氏は、珍しく困っていた。
 女一人ではまったく無理だが、二人でなら、すこしだけ困らせることも可能なのだ、そして、論理の宿命の敵はやはり不条理なのだと、いまさらの発見をして、ほくそ笑む、9月の夜……。
 で、本の話にもなって、最近ようやく読んだ『エクソシスト』の原作が面白かったと言ったら、ちょうど同じ著者の新作『ディミター』をF嬢が担当したばっかりだとわかったり。佐々木丸美にも影響を与えた木々高太郎という作家の「文学少女」がお勧めだ、とか、七〇年代に角川から出た河村季里の青春小説『屋根のない車』っていうのがよくて……とか……。酔いながらも、どれも面白そうなので、あれこれとメモを取った。
 で、だいぶ頭が回った、帰り際。F嬢が急に大坪砂男の話題を出した。読んでますよーと答えたところ、なぜか魔界の住人のように肩の後ろをおおきく揺らして、とつぜん腹から笑いだした。(黒い翼をバサーッと広げるのが見えた気がした)

F嬢  「あーっはっはっは」
わたし 「!!(なんだかわかんないけど、いますぐ逃げるべきでは……?)」
F嬢  「はっはっはー!」
わたし 「(不条理?!)」
店員さん「はいっ。伝票、こちらになりまーす!」
K島氏 「あっ、F、いいの? ぼく出そうか。おっ、ずいぶん食べましたねぇ」
F嬢  「はっはっ……。えっ、あぁ、わたし、ありますよ。財布、財布っと」
K島氏 「やっぱり、桜庭さん、食べる量がちがいますねぇ」
わたし 「はっ、はぁ……。なにしろ、今日もお腹がお尻になってるぐらいですから……。食べても、食べても……(恥)」
F嬢  「お会計、お願いしまーす」
K島氏 「F、大丈夫?」
F嬢  「はいっ」
店員さん「お預かりしまーす」
F嬢  「(真顔で向きなおり)じつは来年、うちで大坪砂男の全集を全四巻で出すことになりまして」
わたし 「お、おーっ(低音)」
F嬢  「でっ、解説をお願いできないかと~」
わたし 「……」
F嬢  「……」
K島氏 「……」
わたし 「……………ウン、わかった」

 この流れで、サンマ、キンキ、イモコロッケ、紫大根ステーキ、お肉のサラダ、土鍋ごはんと、お腹がお尻になるほど食べるだけ食べて、「やだ、書かない」とアッサリ断れる人が……いや、いない……。
 さっきの高笑いはこわかった、ほぼ魔界だった、と打ち震えながらも、話の続きを聞く。
 と、あったかいお茶が出てきた。

F嬢 「いまですね、日下さんがまとめているところなんですけど、一冊目〈本格推理篇〉の解説をじつは北村薫さんにお願いしようと思ってるんです。で、二冊目〈奇想&時代篇〉を、できたら皆川博子先生にお願いしたいなぁと(目がキラキラ)」
わたし「おーっ、すごいじゃないですか。実現したら、買いたい!」
F嬢 「それでですね、桜庭さんには……」
わたし「ん?」
F嬢 「〈その他篇〉の解説をお願いする所存でっ!(キリッと)」
わたし「えっ……」
F嬢 「あ、あれ?」
わたし「そ、その他ぁ……?」

 大大先輩お二人の後だから、ごちゃごちゃ言うのもなんなんだけど、でも……。響きからしてかっこいい〈本格推理篇〉〈奇想&時代篇〉の後の、〈その他篇〉のオミソ感が、すごい……。

わたし「わたしだけ、その、あの……なんか、ですね、かなり……かっちょ悪くないですか……?」
F嬢 「へっ? いやっ、えぇっと、ち、ちがいますよっ、日下さんと、むーん、確か、確か……(ちらっと、K島氏に助けを求める)」
K島氏「あー。お茶、おいしい」
F嬢 「(だめだっ、このっ)ええっとですねぇ、日下さんと……。んー。(と、いま考えてる。でも酔ってる……)SF……幻想……その他篇……って……?」
わたし「(犬のように伏せる)あっ、やっぱり、わたしその他なんだっ。わたしは、わたしは……(もっと酔ってる)。オミソなんだ……。この広大なる文字の森の民、読書界の住人の……」
K島氏「お茶、おいしいですよ」
わたし「読書界という魔界の……薄茶色の……オミソ……なんだぁぁぁ……。は、お茶……?」

 満腹で、酔って、かなりごちゃごちゃしながら帰ってきた。
 で、帰宅して、ばたっと床に倒れたまま、沢村貞子『私の浅草』を開いた。
 随筆ならこの人がだんぜん面白い、と、ここ数年の間に三人から聞いたので、もう読もう、とついに思って『わたしの茶の間』『私の台所』 『わたしの献立日記』とまとめて買ってきたままだったのを、ふとみつけたのだ。
 あぁ……。確かに、さりげなく見事な筆だなぁ。ゴテゴテとお洒落に見せない、で、水も滴る、この感じ……。粋、ってこういう文章かしら。
 それにしても、エッセイはあるけど、随筆ってだいぶ減ったのかな、なにかがちがうよなぁ……。最近紋別君のオススメで読んだ吉村昭の『私の文学漂流』(この本は、十章で静かに凄惨な文学的事件が起こる。あまりに恐ろしすぎて、書けない……)も面白かったけど、あれはエッセイって気がする。でもどうちがうんだろう……と思いながら、そうだ、最初に沢村貞子の話を聞いたのはK島氏からだったっけ、と思いだしたり……で、しばらく読んで、でもお酒がぐるぐるまわって、カクッと、寝た。



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