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よろしくお願いしますガォー
【よろしくお願いしますガォー】某社の担当さんから届いた書類の封筒、ふっとソファにおこうとしたら封のところに、こ、このようなシールが……。あわててすぐ開けて、読んだ。(桜庭撮影)

4月7日

 夜の七時から停電になった途端に、脳髄から背骨にかけて別次元の電流が走った。それは闇のユートピアを浮遊する感覚で、はるか昔の自分へ戻ったのだった。闇のスイッチが入って、忘れていた記憶の彼方へさらわれていく。こいつは格別の快感だ。
 深く帽子をかぶり、ツタンカーメンの柄がついたステッキを持ち、外套をはおって外へ出た。


――「コンセント抜いたか」


わたし 「あっ、金色になってる?!」
K子女史「……エッ、今頃、言う!?」

 夕方。
 角川書店二階の会議室である。
 このところ、5月頭に出る『ばらばら死体の夜』と、3月末に新刊が出た『GOSICK』シリーズのインタビューデーが交互にはいってることが多い。この日はゴシックのほうだ。どちらの日も、面識のあるインタビュアーさんとカメラマンさんのことが多くて、もちろんインタビューのやりとりには緊張が伴うけど、でも、知ってる顔に会うって、じつはこんなにほっとすることだったんだなーと思う。
 4月になった。
 相変わらずニュースや雑誌で、被災地の様子と原発のことを追ってる。あと、個人から物資を募るボランティアに送ったり、風評被害のある地域の商品を買ったりもするけど、一人でできることはすごくちょっとだ……。
 東京の街は、節電のためだけじゃなくて、悼みの気持ちに覆い尽くされてるみたいで、昼間から靄がかかったようにずっと暗い。夜になるほどさらに濃い闇に浸かっていく。スーパーに入ると、薄暗い店内に「納豆は一人一パックまで」「水は二本まで」「ティッシュは……」「トイレットペーパーは……」と書かれていて、節電のために止まったエスカレーターをよじよじと上って買い物する。
 街頭ビジョンに“今日の放射性物質の値”が流れてたり、うちに帰ってテレビをつけて、料理番組やってるなと思ったら“ライフラインを絶たれた時の料理法”だったりもするらしい。家族で西のほうに疎開する人や、東京に残ったけど、怖がって部屋からほとんど出られなくなった人も、ときどきいる。
 昨日、話した編集さんによると、とあるミュージシャンの対談に同席していて「東日本にいる作り手は、あの日の前にはけっしてもどらないだろうし、これ以降の物づくりになっていくのだろう」と聞いたらしい。東と西でまたちがう空気が流れているのかもしれないけれど、でも、これからの経済の低迷は日本全部にやってきちゃうのかな……。
 と、そんな空気に覆われていたこの日、インタビューが終わってふっと顔を上げると……K子女史の髪の毛が……シャチホコみたいな見事な黄金色になっていた!

わたし 「エッ、いつからその色に……? エッ、今ですか……?」
K子女史「まったく、なにを言ってるんですか。一時間半も前、会った瞬間からこの色でしたヨッ。もう!」

 き、気分転換、かな……?
 飲みに行こうとみなでゾロゾロ神楽坂の飲み屋に移動しながら、この髪は桜庭さんがイケメン許せるようになったのと同じ(あとI本女史がシイタケ食べられるようになったのとか)変化なのかな、というような話をする。むむ、なる、ほ、ど……?
 ビールや梅酒やいろいろを飲みながら、みんなで、三月から四月にかけての話をした。どうも震災の後、一度「がんばろう」と元気が出て、でも出口の見えない原発問題に耐えられなくなって、静かに疲弊してきてる感じ……の人ことのほか多いみたいだ。
 K子女史は、ここ二週間ぐらいがいちばんきついかなぁという。
 西に出張に行くと、明るい空気にほっとするけど、なぜか東京にもどりたくなる。東京も危ないから疎開するべきだと意見されたりもするけど、なるべく離れたくないというこの気持ちを、うまく説明できない。もちろん、被災して、暮らしていた町ごと失ったたくさんの人たちの思いとは、比べるべくもないぜいたくすぎる生活だ。それに、それぞれに故郷もある。だから……。
“望郷の念”ともちがう。地方出身で、自分の意志で東京に流れでてきた人の、この街へのユラユラした感情には、きっとまだ名前がないのだろう。
 M宅氏がもそっと「腕をだんだんもがれてくような感じかなぁ?」と言った。
 と、K子女史がそれで思いだしたのか「腕をガラス張りにして中で熱帯魚を飼うアクアマリンアームというのをテレビで見た。オランダかどこかでやってた。金髪のつぎはぜひあれもしたい」と言い出す。みんな一斉に「夢だよ!」とつっこむけど、K子女史は「わたしは震災の後、浅い眠りが続いて夢を見なかったもの。それにここ二週は熟睡しすぎて、逆に夢を見てないもの」と言い張る。むむ、そうか……。
 そういえば、最近はへんな夢を見てうなされたという話題が多い。知ってる書店員さんは「ブォォォーと地鳴りとともに、ディーゼル車を運転してどこかに向かう桜庭さんを見送ったよ。でも、いったいなにしにどこ行ったの?」(わ、わからん……)と言ってたし、じつはわたしも、角隠しをかぶってフルメイク、首から下は普段着の友達に「打ち掛け隠したの、おめぇだろ!」とガミガミ怒られる夢を見た……(ぜったいちがうー、と思いながらユサユサ揺すられていた……)。
 それぞれが、ひたひたとき続けるなにかに耐えながら働いて、笑ってみせながら、それぞれの生活を続けてるようだ。被災地のことを考えると、わずかでも傷ついていること自体を傲慢に感じるし、大人だから、悲しい気持ちは飲みこんで、地に足をしっかりつけて暮らさないといけない。
 ……でも、みんな子供だから、苦しかったら助けあわなきゃ、とも思う。
 都会は永遠の中学校のようだ。
 飲んでたら、また余震がきた。右に左に揺れてるお互いをぼーっと見ながら、さいきんクジラの背中に街を作って生活してるみたいだなぁ、とか考えた。
 近未来のアジアンゴシックSF世界に迷いこんだような、暗い赤色に沈む東京の街を、午前二時にタクシーにて切り裂いて、うちに帰った。ジョボジョボとお風呂を入れてる間に、読みかけの『アンジェリーナ・ジョリー』という本人非公認の伝記(あ、あやしい)と、『ガサコ伝説』をぱらぱらした。それから、最近はもっぱらお風呂では週刊誌なので、〈週刊朝日〉を片手にちゃぽんとお湯につかった。
 嵐山光三郎さんの「コンセント抜いたか」という連載エッセイの奇想っぷりがとてもよくて、夢中で読みふける。計画停電の街で、ツタンカーメンのステッキを片手に繰り出せば、朧月夜に、少年探偵団の気配。信号の消えた交差点、あの無人のバスは冥土行か? 巡査の乗った自転車も死者のようで朧としている。
 いまでも夢に見る、子供のころの秘密の森、白亜のマンションが建ってからは足を踏み入れていないそこに、薄闇に誘われて約六十年ぶりに足を向ける。すると、屈折しながら蜃気楼みたいに浮いた建物に、いわく言い難い愛しさ――“望郷の念”がこみあげてくるのだ……。
 魔にとりつかれたかのようにけぶる嵐山さんの文章も、とろりと月光に溶けるような南伸坊さんの挿絵も、素晴らしい回だなぁ。
 あぁぁ。これが物書きの仕事だ。深い畏敬の念を持った。
 よいものを読めたので、不思議と穏やかな気持ちになって、ときどきまた揺れてるけど、よく寝た。



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