桜庭一樹読書日記

2009.11.05

また桜庭一樹読書日記 【第5回】(1/3)[2009年11月]

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【サイン本!】500冊……の一部。誰かが、ふと「積むと鉄の塊みたいだな~!」と。(桜庭撮影)

 村岡版『赤毛のアン』では、第37章が大胆に書き換えられているのである。
 純粋にページ数という観点から、他の章と比較してみよう。原作の第20章は、第37章とほぼ同じ長さである。ところが翻訳では、第20章は約9.5ページであるのに対して、第37章は4ページほどしかない。

 しかし、問題はそこでは終わらない。(略)村岡花子が翻訳する際に省略するのが適切であると判断した箇所を、原作の作者であるモンゴメリーはなぜ省略しなかったのだろうか?

――『東大の教室で『赤毛のアン』を読む』

10月某日


 先日、携帯電話をなくしたので、iPhoneという名の、四角い、白い魔物を買った。
 ……いや、携帯電話、といったのは、いまちょっと見栄をはったので、ほんとうはついこないだまで、友達から「なにそれ、ガンダム?」と呼ばれる、四角くてでっかいPHSを使っていた。なぜなら壊れないからで、なぜ壊れないかというと、ほとんど使わないからだ。
 それで、一昨日の朝。
 ぐぅぐぅ寝ていたら、どこからか、やけに規則正しい太鼓の音が聞こえてきた。日本のじゃない、ちょっとおかしな……アフリカの太鼓みたいな音色である。近所の誰かが楽器を買って、練習してるのだなー、と思った。翌日、また同じ音が聞こえた。また練習してるんだなー、と思った。そして、今朝も、また……。
 きっと中央線ちっくな、チリチリパーマで布を巻いたような服装の若者だ、吉祥寺の古道具屋で買ったのだ、練習に熱中してるぞ、とかなり具体的にイメージまでできたのだけど……。
 これが、じつは、自分のiPhoneのアラームだった。
 と、これぐらいひどく、機械オンチすぎて使い方がまったくわからない。映画『2001年宇宙の旅』の冒頭に出てくる猿みたいに、四角い魔物をフンフンといじってるうちに、どうやらアラーム機能でなにかをやってしまったらしい。ちなみに「サウンド」に入っている「ティンバ」という音です(そばにiPhoneを持ってる人がいたら聞かせてもらってください……)。
 このままでは、『2001年』の猿みたいに、最終的に、四角い魔物を「わからん!」と上に放り投げてしまう……。と悩みつつも、電話をかけることと、受けることと、メールと充電だけなんとか理解して、一旦、休憩とした。
 で、この日は、いつもと同じように夕方まで仕事して、夜、ご飯食べて、お風呂に入りながら『東大の教室で『赤毛のアン』を読む』(山本史郎)を読んだ。最初はお風呂用にしようと思っていたのだけれど、

・有名な村岡花子訳の『赤毛のアン』には、じつはごっそり抜けてる部分があった!
・犯人(村岡花子)の動機は!?

 という謎がおもしろくて、出てきてからも引き続き読んでしまった。
 風変わりな孤児、アンを引き取ったマリラとマシュー。やがて三人は心を通わせあうようになるが、ラスト近くでマシューが心臓発作を起こして死んでしまう。そこでマリラがアンに語りかけるという山場のシーンを、村岡訳はなぜか大胆にカット、内容を要約してるというのだ。
 さて、それはなぜか、という謎解きを、探偵役である著者(東大の先生)がしてみせる。その後、

・被害者(モンゴメリー)はなぜ村岡花子が翻訳したように書かなかったのか?

 という謎に移って、これも解いてみせる。
 それによって、どうして日本でこんなに長く、広く『赤毛のアン』が愛されているのかという謎まで解けてしまう。マリラをどう描くか……。人間(生々しい生身の存在)にするか、キャラクター(物語に合わせた平面的な人物)にするか、という箇所で、モンゴメリーと村岡花子はべつの道を選んだ、というのだ。
 なるほどなぁ、と思って読んでいったら、本の後半は、リアリズムで書かれていた『ジェイン・エア』がラストでとつぜんオカルトになる(遠くにいるはずの相手役、ロチェスターが「ジェイン~!」と呼ぶ声がなぜか聞こえる)理由を、論理(当時の社会事情)で読み解いていて、こっちもおもしろかった。わたしは単純に「『嵐が丘』でも、キャサリンのお化けが窓の外で「開けて~!」と叫ぶし、荒野には不思議がつきものなんだろ」と思って、ぜんぜん気にしてなかったけど……。なるほど……。
 本を読み終わったら、まだ時間があった。ジョセフィン・テイの歴史ミステリ『時の娘』の新訳と勘違いして、本屋で二、三度素通りしてて、今日の夕方、ようやく「……おい、ちがうぞ。SFだ!」とはっと気づいて買ってきた『ロマンティック時間SF傑作選 時の娘』を、寝転んで読み始めた。アンソロジーだから、長編とちがって、眠くなったら途中でふわっ、とやめられる。二冊目は短編集に限るゾ。
 最初は「ジャック・フィニイのタイムトラベル物だったら、短編集で読んだ「ゲイルズバーグの春を愛す」とか「愛の手紙」とかがよかったのにー……」とか思いつつ読み始めたけれど、どれもおもしろいし、未訳と、30年以上前に雑誌に載ったきりのと、現在入手困難なのだけで9編、外れナシ、順番も読みやすい、というすごくいいアンソロジーだった。
 フィニイの短編集未収録の「台詞指導」は、お得意の古きよき映画界を舞台にした、ノスタルジックで皮肉な作風。「ゲイルズバーグ」と同じアイデアのタイムトラベル物だから、二編とも短編集には入れられなかったのかもしれないけれど、この作家が好きだったら読み逃したくない作品だった……。短編「たんぽぽ娘」で有名なロバート・F・ヤング「時が新しかったころ」も、さびしくて優しい話で、脳内で勝手に、湯田伸子の絵柄で少女漫画になる……。
 結局、最後まで読んでしまって、やばいまた朝になる、と寝ることにした。
 布団に潜ったら、ふっと、もう明日の朝になっても、あの、チリチリパーマで一心不乱にアフリカの太鼓を叩く、布を巻いたような服装をした、やばいテイストの隣人はどこにもいないんだな、と思った。
 謎が解けて、不思議が消えて、また、明日がやってくる。
 ちょっとさびしくなりそうなので、あの「ティンバ」というサウンドはもう使わないようにしよっかなぁ、と脳内で封印しながらそっと目を閉じた。



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