桜庭一樹読書日記

2007.04.05

続・桜庭一樹 読書日記 【第1回】(1/3) [2007年4月]

3月は(ちょっとだけ)
パンク・ロックの月である。
桜庭一樹

仕事中
【桜庭一樹写真日記◎仕事中】仕事机の上。母にもらった鳩の置物。書店員さんにもらった……箱?(クリップとかを入れている)担当氏から届いた最新の『百年の孤独』。家系図がついている。自分でいれたコーヒー。いまは新潮の原稿を慎重に書いてます……。(桜庭撮影)

もし愛と生の両方をねだったりしていたら、彼はまちがいなくすみやかにくたばっていた。

川はくさかった。広場はくさかった。教会はくさかった。宮殿もまた橋の下と同様に悪臭を放っていた。百姓とひとしく神父もくさい。親方の妻も徒弟に劣らずにおっていた。貴族は誰といわずくさかった。王もまたくさかった。悪臭の点では王と獣(けもの)と、さして区別はつかなかった。王妃もまた垢まみれの老女に劣らずくさかった。冬も夏も臭気はさして変わらなかった。十八世紀においては、バクテリアの醗酵に限りがなかった。建てるのであれ壊すのであれ、のびざかりであれ、人生の下り坂であれ、人間のかかわるところ臭いなしにすむことなど一つとしてないのだった。

神はくさい。ちっぽけな、こすっからい悪臭野郎だ。神は欺されている。あるいは神自身が食わせ者だ。ちょうど自分と同じ、このグルヌイユと変わらない――いや、もう少々できの悪い食わせ者!

神の火を盗みとった。

――『香水 ある人殺しの物語』

 週刊ブックレビューの収録があって、NHKに行くことになる。地図を見たら道に迷いそうな気配に満ちていたので(危険な地形独特の、紫の狼煙のようなものが地図から立ち上っているのを幻視した。この炎は、方向音痴の人間にしか視えない!)、はやめに出かける。案の定、ぐるぐる迷う。住宅地でしゃれたママさん二人組に道を聞いて、助けてもらう。なんとかたどり着いた。
 スタッフの女性が玄関で待っていてくれた。担当K島氏ともここで待ち合わせなので、二人でK島氏を待つ。女性が「電話でしかお話ししてないんですけど、担当さんはどんな人ですか」と聞く。当たり障りのない表現を思いつかず、つい、思ったまま口にしてしまった。

わたし「夏木マリみたいな人です」
女性 「えっ……? だ、男性ですよね、確か」
わたし「はい」
女性 「お、御年は?」
わたし「32歳ぐらいですかね」
女性 「32歳で、男性で、夏木マリみたい……?」
K島氏「どうもー、お待たせしましたー」
 K島氏自身には言えないが、じつはこんなタイミングで登場した。ごめんよ……。彼のどこがどんなふうに夏木マリみたいなのかを説明する時間がなかったので、このことは謎のまま、NHKの西口玄関に、幻のように残してきてしまった。
 ヘアメイクさんに顔にいろいろ塗ってもらって、打ち合わせをして、桜餅をご馳走になって、それからスタジオで自分の新刊『赤朽葉家の伝説』についてしゃべった。
 収録が無事に終わって、新宿ルミネエストのレストラン街にて、K島氏と春のお鮨セットを食べ、喫茶店に移動してでっかいケーキを二個ずつ食べながら、ぺちゃくちゃとしゃべった。最近わたしは近所にできたシネコン(バルト9)に、住んでるのかというぐらい入り浸っているので、いちばんおもしろかった映画「パフューム」の話をした。「あ、それってもしかして、ラスト近くの何百人もの○○シーン(自粛)が話題になってるやつですか」「いや、そのシーンもびっくりですけど、ラストシーンがさらにびっくりです。だって、みんなで主人公を○○ちゃった(自粛)んですよ! そんなこと予想します? 大人になって、だいぶすれてきたなぁ、もう生半可な展開では驚かないや、とか思ってたんだけど、久々に“全力で遁走する映画においていかれた”体験でした。見てください、怪作ですから」と力説する。と、K島氏が首をひねり「そういえば、その映画の原作、読みましたよ。だいぶ前にけっこう話題になってたはず。でも、そんな○○ちゃうオチだったかな。覚えてないなぁ」と言う。
 気になったので、帰りに閉店直前のあおい書店(23時まで)に飛びこんで、原作『香水 ある人殺しの物語』(パトリック・ジュースキント/文春文庫)を買う。
 時は十八世紀後半。パリの下町で、天才肌のおぞましい男が誕生した。その名はグルヌイユ。サド侯爵やナポレオン・ボナパルト、革命家サン・ジュストと違って、後世に名が残らなかったのは、彼の天才が「匂い」というこの世に痕跡を残さず消える分野のものであったからである。しかし、グルヌイユは同時に、恐るべき殺人鬼でもあった……!
 おもしろい。ふるい小説の雰囲気と、現代風のサイコサスペンスと、パンク・ロックみたいなリズムの悪態と、みんな大好きなエログロが混ざって、ワーッとなっていて、なんとなく『シャルビューク夫人の肖像』(ジェフリー・フォード/ランダムハウス講談社)を読んだときの高揚感を思い出す。どきどきしながら、一緒に神を愚弄して、絶望して血まみれになりながら、ラストシーンにワーッとなだれ込む。……あっ(赤面)。映画ほどの遁走感(?)はないものの、やっぱり、ひっそり○○られちゃってた。K島氏にメール。「読み終わった。グルヌイユ、もりもり○○れてましたー」安心して、風呂に入り、寝た。


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