2月某日

「おとなは結果を考えてしまうんです。引き金を引いたら、どうなるか……(略)おとなは撃つのをためらってしまう。なにも殺さなくても、おどすだけでじゅうぶんだと、わざとねらいをはずすこともある。だが、子どもはちがいます。そんなふうには考えない。仕事をあたえてごらんなさい。言ったとおりにやってくれます。まちがいなく。なぜだかわかりますか?」
 ここまで言うと、ボスはことばを切って、おれの頭を軽くたたくんだ。おれが横に立ってればの話だけど。
「この子らも、結果を知っているんですよ。引き金を引かなかったら、どうなるか……」

「おれの背中には翼があるんだ。それに、スミス・アンド・ウェッソンももってるんだ(略)いまのおれにはさわれないよ。神さまもな」

――『ボーイ・キルズ・マン』


わたし 「うおっ、牡蠣が出てきた。食べちゃおうかな……」
K子女史「だめですよっ。前、アレルギーで死にかけたんだからっ。というわけで、これはわたしが全部いただきます(牡蠣の皿をグイと引き寄せる)」
わたし 「でも、冬の牡蠣ってさ……。いつかはもどりたい戦線ではあるし、まだ当たるか、もう大丈夫か、試してみてもねぇ……」
K子女史「(ため息……)もしかして知らないのかもしれないから、いちおう教えておきますけど、世の中には克服しなくてもいいこともあるのです。……アッ、編集部から電話だっ!」

 寒い夜である。
 どんどん小皿のゴハンが出てくる中華屋さんの真っ白なカウンターで、K子女史と二人、打ち合わせしている。
 あいふぉんを片手に立ちあがって、バタバタと外に出ようとするK子女史に、

わたし 「あれっ。どうしたんですか、そんなにあわてちゃって」
K子女史「いや、金曜のこの時間に部下から電話があると、なにか事件かなぁと、上司として心配に……」
わたし 「部下?」

 というわたしの質問に、ジロリと獣のような一瞥をくれ、K子女史はあいふぉんとともに寒風吹きすさぶ路上へと飛び出ていった。
 そっか……。そうだよな、K子女史ももう編集長なんだ、なじみの編集さんたちがどんどん“偉い人”になっていくなぁ、だから出会ったころよりずっと貫禄も出て……としみじみと紹興酒をあおっていると、鬼のような形相をしたK子女史が、またあわてて店に走りもどってきた。

わたし 「どっ、どうしました? 編集部でなにか事件ですか?!」
K子女史「ヘッ?(←なんか怒ってる)いや、電話の用件はぜんぜんたいしたことじゃなくて、大丈夫です。じゃなくって、外で部下からの電話を聞いているうちに、なんか、心が、ザワザワと……」
わたし 「ヘェ? ザワザワ?」
K子女史「“こうして目を放してる隙に、あの作家はわたしの牡蠣を盗み食いするに違いない”“そうだ、そうにちがいない”“そして今夜アレルギーの発作で倒れる”“バカーッ”と思って……」
わたし 「食べてないッ!」
K子女史「それならいいんですけど。はぁ」

 なにか言いたげな危険な目つきである。って、まだなにもしてないのに……。
 気を取り直して、仕事の話をちゃんとしながらも、つぎつぎ出てくる料理を(牡蠣以外……)平らげていく。
 さいきんは、新しい仕事の資料を読む作業をしばらく続けているのだけど、

わたし 「鬼がきたから、書けますよ」
K子女史「いや、わかりますよ……。2週間前に会ったときと顔がちがうし。なんか、瞳孔が開いちゃってて、急に内向きの顔になってますね」
わたし 「頭の後ろに……」

 と言いかけて、変なので、やめる。
 いま資料を山にして順に読んで、大量にメモをとりながら、その世界のための目には見えない“魔法陣”を作りあげている途中だ。頭の後ろに鬼がいて、空洞になった頭の中から、自分の手元を見ているような感じ。
 ずっと小説の神さまだと思ってきたけれど、だから見捨てられるような生活をしてはいけないと思ってきたけれど、これはもしかしたら鬼だったのかもしれない。鬼だから、もちろん供物がいる。ぶじに生き続けるという安心を心からエイと捨てて、自分の大事ななにかを、とにかく捧げ続ける。
 最後の炒め物とゴハン、焼きそばまでしっかり食べて、バーに移動して、だいぶ酔って、午前様で帰宅。
 なぜか、タクシーを降りたところでK子女史が呼び止めてくる。

K子女史「ちょっと待って~」
わたし 「はい?」
K子女史「そのエントランスから、エレベーターに乗って、部屋に入る途中で、転んで死なないでくださいよ~(すごく真顔)」
わたし 「……は、はい」

 編集長、酔ってるのかな?
 部屋に入って、児童書なのにまるで犯罪映画(サム・ペキンパーか、香港ノワール……?)のような、乾いた筆致の『ボーイ・キルズ・マン』を開いて、あっ、酔ってるけど字も大きいし、これならグイグイいける、と最初は軽い気持ちで読み始めた。
 舞台は南米のコロンビア。マフィアに雇われて、薬物で朦朧となりながら殺し屋稼業をする11歳の主人公ソニー。仲間で、かつ自分よりも勇敢な少年アルバートが消えてしまい、貧しい彼の家族のためについ情けをかけたことから、一気に破滅の坂を転がり落ちていく……。
 心に残っていた一抹の優しさが、その人の体を殺すなら、でもその人はずっと生きていることになる……と思いながら、これは一気に読まないと絶対ダメな本だと、破滅の最後の時までソニーと一緒に勢いよくゴロンゴロンと転がり落ちていった。

(2013年3月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『製鉄天使』『ばらばら死体の夜』『傷痕』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』など多数。


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