1月某日

 大好きなお父さん、咲子は死にます。
 これ以上生きていると本当に悪い子になってしまいます。「チャキはいい子だね」と、お義父さんがいつも私の頭を撫でるでしょう。嬉しいけれど、そのたびに、おとうさんの咲子でなくなりそうな気がします。どんどん良い子から離れていくからです。
 お義父さんの買ってくれたヘッセの本の中に(死は厳しく見えるが、迷った子を家へ連れ戻す慎重な父親のように、力強くやさしい)って書いてありました。死ぬことが少し怖かったけれど、怖くなくなりました。
――『父への恋文 新田次郎の娘に生まれて』

 翌日。
 朝から、バイキングで3回おかわりして、洋食、和食、また洋食……と、漫画に出てくる大食いキャラのように、空になった皿をテーブルに積み上げているところで、S藤女史も「おはようございますー……」とやってきた。
 と、わたしの皿の山を見て、ハッとなり、

S藤女史「そうだ。わたしも食べておかないとっ」

 二人、モリモリ食べる。
 そして、撮影が行われている海岸に移動。全身を覆うドライスーツを着用した撮影クルーが、揺れる流氷の上に立っているのを見る。今日は花と大塩さんが流氷に乗っているシーンの撮影なのだ。
 あれっ。
 隣の紋別君に、

わたし   「あのカメラマンさん、島田雅彦先生とよく似てませんか」
紋別君   「えっ? どの人ですか?」
わたし   「えっと、あの、大きなカメラを担いで、いま右の流氷から、端っこのかたまりに、ひらりとジャンプして……。アッ?」
スタッフさん「一人落ちたぞッ!」
紋別君   「危ない! 海に落ちたっ」
わたし   「で、いま……落ちた方……」
紋別君   「エッ。……あっ、ほんとだ、似てる、なかなか二枚目の方ですね」
スタッフさん「カメラが先だっ」
わたし   「あ……」

 と、なるべく撮影の邪魔にならないように見学をして、コメントを撮ったり、監督、キャストの方にご挨拶して、午後、また北海道を発った。
 帰りのタクシーで、運転手さんが、この土地で撮影された映画のエピソードを教えてくれた。黒澤監督の『夢』の中の一本とか。あと中国のラブロマンス映画(タイトルを忘れてしまった……)も撮られて、それで彼の地からの観光客も最近多いとか。そういやホテルのお風呂でも、中国人の女性がずいぶん多かったな。あ。身を乗りだして海を見ていた謎のきれいな人も、そうだったのか……?
 で、帰りの飛行機では、新田次郎と藤原ていという作家夫婦の家の末娘、藤原咲子による随筆『父への恋文』を読んだ。息子二人と娘一人を連れて満州から引き揚げた母による体験記『流れる星は生きている』が戦後大ベストセラーになって、母は講演会で多忙になり、娘にはいつも命の恩人である自分への感謝を強い、しかしその著書の中では、

「咲子はまだ生きている。咲子がまだ生きている。でも、咲子が生きていることは、必ずしも幸福とは思えない……。背中の咲子を犠牲にして、ふたりの子、正弘、正彦を生かすことが……」

 と、ある。もともと幼いころから、引き揚げのときの苦しみからか不安なところのある女の子だったため、父の次郎は細心の注意を払って愛娘の心をケアしようとするのだが……。
 わたしは“火宅の男女”より、“火宅の家の子”の物語を欲してるのかな。読みながら自分も、問いと答えを探していまも走り回っている。島尾伸三さんの著作群、しまおまほさんの『まほちゃんの家』、井上荒野さん『森のなかのママ』などが並んでる本棚に、帰ったらこの本も入れよう、と思いながら、それにしても空港でカレーを食べたばかりなのに、またお腹が空いて……こんなこともあろうかと飛行機に乗る前に買った六花亭のレーズンサンドを飢えた3人で分け合って、もぐもぐ食べてるあいだに、睡魔もまたまたやってきて……。
 寝ていた。



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