8月某日 「たしかに、これはできたばかりの品です。昨夜、ぼくが不思議な都市の夢を見ながら作ったものです。ただ、その夢の中の都市は、霧にけむる古代フェキニアの海港ティルスよりも、瞑想するスフィンクスよりも、庭園にかこまれたバビロンよりもずっと古いものだったのです」 ――「クトゥルフの呼び声」 ある夜、わたしは恐ろしい夢を見、その夢のなかで、わたしは祖母に海底で出会った。祖母は蛍光に照りはえた宮殿に住んでいて、(略)祖母は温情をこめてわたしを迎えてくれたが、その温情は、ひょっとすると嘲笑的なものではなかったとはいいきれない。 ――「インスマウスの影」 |
わたし 「『イケメンラーメン店』?」 で、缶詰明けの、夜。 『Bamboo』という300枚の中編(いや、短めの長編?)の原稿が無事に上がって、ほっとしてる。二週間ぐらい籠って一気に書いたら、妙にカリカリの痩せ方をした。この後は『伏』アニメ映画の公開や『無花果とムーン』の刊行が続いて、しばらくばたばただから、その前に小説が書けてホッとしてる……。 この日は、講談社文庫で毎夏出している『ブレンドミステリー』(推理作家協会によるアンソロジーで、1冊目は東野さん、2冊目は宮部さん……とか、毎年編纂者がちがう)の今年の編纂者になったので、その話をしに集まった。文庫編集部のO久保女史と、〈小説現代〉のT井氏だ。T井氏は最近引っ越したものの、段ボール120個分の本にミッチリと囲まれ、すっかり箱王子になっているらしい……(部屋が80平米ないと本とDVDと時計コレクションが入らないという、前担当K村女史を追ってるのか……)。 打ち合わせはすぐに終わって、ザ・韓流な新大久保の街のど真ん中になぜかポツンとある台湾料理屋(おいしい)で、3人で、ひたすら紹興酒を飲む。 わたし 「……っていうラブコメ・ドラマ? な、なんちゅうタイトルですか。イケメンのケーキ屋『アンティーク』とか、イケメンの喫茶店『コーヒープリンス一号店』の、ラーメン屋版なのかな……。でも、なぜラーメン……?」 あれ、どうだったかな……。 それから、こないだ金曜ロードショーでたまたま観た『トイ・ストーリー3』がすごくよかった、という話に変わっていく。オモチャたちを大事にしていた子供も大きくなり、大学入学とともについに家を離れることに。ちょうど1が公開されたころに子供だった世代が、それぐらいの年齢になったころに作られてて、それもあって真に迫ってるのかな……。 ゴミ収集車に回収され、危機の迫ったオモチャたちが、一度は死を覚悟して、受け入れ、互いに手を繋ぎあう、すると光が降ってきて、みんな助かる……というシーンがとても“キリスト教的”だった、と話してたら、O久保女史が、とある作家さんが「オモチャたちが結局助からず、全部溶かされて、べつのものに作りかえられて、大人になった男の子のもとに帰っていく」という、臨場感あふれるオリジナルストーリーを考えてた、と教えてくれる。オッ、輪廻転生もの、それはすごく“仏教的”だなぁ……。あれ、そっちも観たいな。 で、だいぶ酔って帰宅して、お風呂で、最後の一話だけ未読だった『果しなき旅路』を開いた。 確か恩田陸さんが『光の帝国』のあとがきでこれに触れられてて(あと映画『ヒドゥン』にも)、だいぶ前から気にはなってたのだ。地球に置いていかれた宇宙人一族が、故郷を恋いうる気持ち、人間の集団に溶けこめずに感じ続ける哀愁が、読者の多くも一度は味わったことがあるはずの、集団の中での疎外感や孤独とダイレクトに繋がってて、宇宙人の話なのに、まっすぐに共感しやすい。 お風呂を出て、今度は『クトゥルフ神話への招待』を開いた。最近クトゥルフ物のアニメをやってて、それで急に気になってきて、『ラヴクラフト全集1』をおそるおそる開いたら、意外と(?)入りやすくて面白いので、あれっ、もしかしてこれ好きなんじゃないの、もっと早く読めばよかった……(男の子向けコンテンツ、というイメージが強くてなんとなく避けてたんだけど、考えてみたら自分もそんなに女っぽい読書をする人でもない……)と思ったのだ。 古代に地球に飛来した宇宙生命体たちが、いまも海底深くに眠っている……。クトゥルフ神話の神々たちは、つまりはなんと宇宙人で。これって、カール・セーガンが『人はなぜエセ科学に騙されるのか』で書いてた“宇宙人は、神話や昔話を持たない新しい国アメリカにとっての妖精である”説と頭の中でガシガシガシッと繋がるなぁ。だって、宇宙人って、つまりは移民だ。それなら、移民の国アメリカの神にふさわしいだろう。 『ラヴクラフト全集1』で「インスマウスの影」と「闇に囁くもの」、『クトゥルフ神話への招待』で「クトゥルフの呼び声」を読んで、さて、つぎはなにを読んだらいいんだろ、あと、このジャンルって自分の周りでは誰が詳しかったっけ、と、広大な暗黒の森の前で、初心者の顔でけっこうほんとに困りながら、でも酔いも回って、とりあえず一度、寝た。 (2012年9月) |
■ 桜庭一樹(さくらば・かずき) 1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『製鉄天使』『ばらばら死体の夜』『傷痕』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』など多数。 |
ミステリ小説、SF小説|東京創元社