6月某日

 本を読む者にとって、生まれてはじめてほんとうに心にとどいた本ほど、深い痕跡を残すものはない。はじめて心にうかんだあの映像(イメージ)、忘れた過去においてきたと思っていたあの言葉の余韻は、永遠にぼくらのうちに生き、心の奥深くに「城」を彫りきざむ。そして――その先の人生で何冊本を読もうが、どれだけ広い世界を旅しようが、どれほど多くを学び、また、どれほど多くを忘れようが関係なく――ぼくたちは、かならずそこに帰っていくのだ。

「ダニエル、『忘れられた本の墓場』へ、ようこそ」

――『風の影』


 死体の手だけが生きている。

――『変調二人羽織』


わたし「白髪が、染まらないんですよっ」
K島氏「こんにちはー」

 東京創元社の、会議室。
 梅雨が明けたっぽい、天気のいい夕方。颯爽と入ってきてそうそうジャブをかました(?)わたしを、K島氏が好々爺バージョンのなごやかな返事でヒラリと躱す(?)。

わたし「こ、こんにちは……?(あれー?)」
K島氏「桜庭さん、相変わらず、普通には入ってきませんねー(にこにこ)」
わたし「ウン(ガッカリ)」
F嬢 「白髪がどうしました?(と、登場)」
S嬢 「どうしました?(登場)」
わたし「えーっと……」

 気を取り直して、

わたし「見てください、ここに白髪が! で、染めようと思って、美容院に行けって言われたんだけどめんどうだなーと思って、薬局で買ったやつで染めてみたんですよ。そしたら、全体に黒いところは茶色っぽくなったんだけど、この白いのは……なぜかまったくもって染まらず、依然、真っ白なんです。つまり、わたしの白髪はただの白髪じゃなかったということですよ」
一同 「?」
わたし「まさに、白の中の白……。何物にも染まらぬ、黒の如き白……。選ばれし白! ヘィンズのTシャツのような……」
F嬢 「そう言われると、かっこいい……?」
S嬢 「いやいやいや……」
K島氏「結論ですけど、面倒がらずに美容院に行って染めてくださいな。あちこちに写真も出たりするんですから」
わたし「は、はい」

 あれー。なんとなくまた勝てずに(?)終わった。
 今日は久しぶりにゴハンの約束だったんだけど、その前に編集部にちょこっと顔を出したのだ。雑談から、新人S嬢……だったけどもう新人じゃないや、『犯罪』とか『罪悪』とかヒットをばんばん出してる……の実家の祖母が、一代で会社を興したパワフルな女性で、まさに、祖母、母、わたし、の家だと聞く。じゃ、S嬢のパワフルな仕事ぶりは祖母譲りなのかな……? こないだ作ってた『フランクを始末するには』も面白かったなー。
 そこから、そういえば、平岩弓枝さんは代々木八幡宮の神主の娘さんだったような、とか、いろいろ話が飛んで盛りあがっていると、SF班K浜氏が颯爽と現れた。担当した『盤上の夜』(宮内悠介)でばたばたしてるみたい。
 宮内くんがデビューした創元SF短編賞第一回からは、最終候補作を集めたアンソロジー『原色の想像力』が出てる(自由で面白い)んだけど、わたしは、山田正紀賞の「盤上の夜」と佳作の「うどん キツネつきの」がとくに好きだった。……と言うと、どうやらうどんの人も、「シキ零レイ零 ミドリ荘」という次作が〈ミステリーズ!〉に載ってたらしい。あと、じつは『NOVA 6』にも参加してたとか……。こっちも、いまに書きたまって短編集になるのかな? 楽しみだ。
 しばらくして、K島氏、F嬢とゴハンに出かけた。ワインをグイグイ飲みながら、最近注目のものの話をする。K島氏はそろそろ映画公開される『少年は残酷な弓を射る』が気になってるらしい。

K島氏「原作が、オレンジ賞っていう、比較的気の確かな賞がありまして、それの受賞作なんですよね」
わたし「あれ、なにかの本の帯で見たことあるなー。なんだっけ」
F嬢 「あぁ、アディーチェとかが獲ってるやつですよ」
わたし「それだっ」
K島氏「主演俳優がね、すでに七人ぐらい殺してそうな目つきの美少年でね、しかも次回作は『ボヴァリー夫人』なんですよ。フフフ……フフ……フ」

 あっ、好々爺じゃなくなってきた?
 F嬢は、最近出たばかりのキローガという南米の作家の短編集が気になるらしい。「羽根まくら」という収録短編がなかなかいい……。後は、川上弘美さんの『七夜物語』が、読まないといけない気がするよね、という話になる。
 先日亡くなった赤江瀑さんの話にもなった。わたしは「花夜叉殺し」 「刀花の鏡」が好きだったのだけれど、K島氏は『海峡 この水の無明の真秀ろば』でF嬢は「春泥歌」らしい。おぉ、みんなばらばらだ。
 あと、先日、集英社の熊頭女史からフルーツゼリーと一緒に「読まなくてもいいけど、いちおう」と渡されたスペイン発の伝奇ロマン(?)『天使のゲーム』のパイロット版を、普段はゲラやパイロット版では読まないんだけど、なんとなく開いたら気になって、そのまま読んで、そしたら変に楽しかったのだ、と話す。幻想小説っぽいけど、どこかアニメっぽくもある妙ちきりんなヨーロッパが舞台で、ドラマはジェフリー・アーチャーとか超訳じゃないシドニー・シェルダンっぽいエンタメ風でもあって、でも、ウーン。で、これがじつは二〇〇七年にこのミスの四位に入った『風の影』と同じ世界の作品だったらしくて、いまそっちも読んでみようとしているところだ。

K島氏「うーむ、『風の影』。確かあの本は、人によってすごくおもしろがる場合と、はまらなくて唸る場合に分かれてたような記憶がありますねぇ」
わたし「それは、わかる……。だって、へんなんだもん。ただ自分は好きそうな気がなんとなくするんですよねぇ。また著者近影も、世界共通のボンクラ感が満々で!」
F嬢 「どれどれ。あっ、ほんとだ! こっ、これはまた」
わたし「いかにも、平日の昼過ぎに新宿でバッタリ会いそうなんですよ……。ていうか、昨日も近くの公園で、著者そっくりのお兄さんを見たよう、な……」

 あれ。
 ワインが回ってきて、だんだんぐだぐだになってきた。
 二人の会話が聞こえているけど、聞き取れてなくて……。

K島氏「講談社のバンド……」
わたし「えっ、バンド? 社員有志のですか」
K島氏「ぼくはバンドなんて言ってません。講談社の番頭……」
わたし「はっ、番頭? いったい誰ですか」
K島氏「番頭なんて言ってない!」

 なんの話か、わたしだけわからなかった……。
 さらに、K島氏が両手を掲げてくるくるしながら、笑顔で天井を見上げて、

K島氏「あのね、ぼくの呪いっていうのはね、あれはぼくがかけてるんじゃあないんです。じつは、神さまがね……」
わたし「えっ、か、神さま??」
K島氏「神さまが、上から見ていて、で、こうして……」

 あぁ、両手がくるくる、くるくる回ってる。あれ、輪ができてる……(好々爺はどこに……?)。
 神さま、のところは聞き違えじゃなかったみたいだけど、後はワインで朦朧としてて……。
 ぼへーっと帰宅して、床に倒れて、お酒が醒めてからお風呂に入ろうと、寝転がりながらもとりあえず読むものを探した。
 連城三紀彦の最初のころの作品って、『戻り川心中』『恋文』が有名で、昔そこを読んだっきり、最近の作品『造花の蜜』にタイムトラベルみたいにいきなり飛んじゃったんだけど、どうも口コミだとそれより『変調二人羽織』『少女』『隠れ菊』辺りを勧められるんだよなぁ、と気になっていたところ、光文社からいつのまにか『変調二人羽織』が復刊してたので、買ったのだ。
 開いた。落語家が、密室で殺される……。あぁ、確かに名作のオーラを感じる……。でも……。
 限界。
 本を持ったまま床で寝ていた。

(2012年7月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『製鉄天使』『ばらばら死体の夜』『傷痕』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』など多数。


ミステリ小説、SF小説|東京創元社