6月某日

私の心は哀しみでいっぱいだったのですが、人間の頭にはときどき気まぐれな考えが勝手に入ってくるものと見えて、私はその帽子を見たとたんに、鉄兜(ヘルメット)を思い出しました。そこで、この鉄兜と競馬の騎手帽のミックスをかぶって、ミス・ジェンキンズはブラウン大尉の葬儀に列席しました。きっと限りなくやさしい思いやりでしっかりとミス・ジェッシーを励まし、家に帰る前に思いっきりお泣きなさい、と言ってあげたのだと思います。

「上品につましく」なんて、いつのまにか、ついクランフォード風の言葉づかいになってしまいますね!

――『女だけの町』

「その気があれば」と彼はとうとう言う。「きみは自分でありありと見られるよ。男の子が死んだ父親をかついで道路から運んでいる。父親の体の重さによろめき、ぐらつき、つまずきながら。少年の耳の中では風が吹き荒れ、父親の喉を掻き切ったトタン屋根の破片が彼の周りを飛んでいる。少年は、父親を落とすまいと懸命だ。泣いたり叫んだりしていると思うだろうが、そんなことはしていない。祈っているんだ。父親の血が、父親の喉の中に留まってくれるように。これ以上濁流の中に流れ落ちて、どこへ流れていくのかもわからなくなることのないようにと。きみもその気になれば、この光景を目の前で見られるよ」

われわれは鍋の底にこびりついた焼け焦げの汚れだ、と言う。人間の中にはどこにも属していない者がいるが、それはわれわれだ、と。ぼくは、ぼくたちは旅人(ヴワヤジエ)の集団だと思う。

――『骨狩りのとき』


わたし「………」

 また、帝国ホテルにいる。
 今日は松本清張賞の授賞式の日だ。いつもなかなか辿り着かないこの場所に、今日は車できたからちゃんとついたものの、内部もまたダンジョンで、結局「……?」と立ち尽くしている。
 こっちかなぁ、となんとなく思うほうにユラユラと歩いて、エスカレーターを上がっていると、やがて会場の前らしき場所になんとか着いた。選考委員の山本兼一さんと会えたので、ホッとする。「控室に行くんですよね」と言われて「そうですね。あっ、こっちみたいです」と、ぜんぜんちがう亜空間になかばむりやり連れていこうとしたところを、文春の若い編集さんに「ちがいますよー」と捕獲されて、本物の控室に誘導されていった(すみません……)。
 大宅壮一ノンフィクション賞と一緒なので、控室はわーっとごった返している。あっ、北村薫さん! 映画『エンジェル ウォーズ』の話題から、エリザベス・テイラー著『エンジェル』がフランソワーズ・オゾン監督で映画化されてて面白い、というお話になって、あわわ、とメモする。で、原作小説は翻訳が二種類出てて、そのちがいは……と聞いているうちに、ふっと……最近自分が二種類の翻訳を読み比べた『小公女』のことを思いだした。
 新潮文庫版は古い訳で、さすがに堅苦しくって読みづらいけど、無邪気なお嬢様から学校の小間使いに転落したセーラが、最初は誇り高く生きようとしてるのに、だんだん弱ってきて、ついに卑屈な、悲しい、汚されたものの目つきで女校長をヌルリと見上げる中盤のシーンが、めちゃくちゃにエロかった(子供なのに、カトリーヌ・ドヌーヴみたいな色気!)のだ。比べるとヴィレッジブックス版の新訳は、読みやすくてよくて、エロスもなく、小動物的にかわいい。二人のセーラはまるで別人で、翻訳ってじつに魔術だと思ったのだ……。
 時間になった。会場に向かって、舞台に上がる。
 大宅賞の選考委員挨拶で、柳田邦男さんが立ったのを見て、うわ、ほんものだ……『マッハの恐怖』の人がすぐそこに立ってるぞ……と思う。ついで立花隆さん、猪瀬直樹さんも並んでるから、つい見てしまう。おっ、西木さんはダンディだ。
 大宅賞の『つなみ 被災地の子どもたちの作文集』『「つなみ」の子どもたち――作文に書かれなかった物語』に出てくる不良少年という男子高校生の短い挨拶「ぼくは、当たり前のことが当たり前でなく、ありがたいと思って過ごしていこうと思ってます」が、胸に突き刺さった。
 ……終わって壇を降りるときに、おそるおそる小池真理子さんに声をかけた。選考会の日もじつは言いたくて、でも急に関係ない話をわーっとしだすとオタクっぽくてへんだからいつも気をつけてて、でも壇を降りたらはけちゃってまた来年まで話せないから、「『望みは何と訊かれたら』が素晴らしかった」と、多分そう変じゃない感じで(いや、唐突ではあるが)伝える。おぉ、言えた……。
 作家は(あと歌手とかも)、当初は“問い”を発する。「なぜだ、なぜだ、なぜだ!」と叫ぶ。作り手からのメッセージとは決死の疑問符、世界への血の問いかけである。でもそれが受け入れられるにしたがって、だんだん「こういうものだ」「俺はこう思う」と“答え”を歌うようになり、すると教祖化しながら、転がる石のように陳腐になっていく。ロックはロックでなくなり、文学は、映画は説教になり、やがて戦士はどこにもいなくなる。
 あの小説には最後に「望みは何?」というギラギラした“問い”があり(愛の嵐!)、それが主人公から読者へ、あの時代を生きた人へ、そしてそれを知らない人たちへも、暗い光のようにどこまでも広がっていく。あの光が、文学でなくてなんであろうか。
 ということを言いたかった……(唐突感という乳白色のオーラに包まれながら、若干言えた……)。
 壇を降りて、お寿司を食べてたら(すごくおいしい)、石田衣良さんがお話し相手になってくれた。「桜庭さんもあと三〇年は仕事だねぇ」と言われて、「エッ三〇年ですか?」とビックリして聞きかえす。「でも、あなたは書くのも読むのも苦にならないでしょう?」確かに、そうか、な……。しかし、三日みたいな言い方でいま三〇年って言ったぞ。と、目の前に立ってる人の胆力がふと見える。
 お寿司をお代わりする。
 あっ。大沢さんをみつけたので、オタクだけどオタクっぽくならないようにとフンドシをもう一度よく締め直して(石像のように黙りこくってたのに、ほんとに興味があるときだけ急に弾丸トークになったり、神の視点で話しだして上から目線みたいになってしまったりする……。もうずっと気をつけてるが……)、〈野性時代〉の連載を楽しみに読んでたと言う。「本になるよー。ちょうどあとがき書いて送ったところ」「あっ」これもメモ……。
 パーティーが終わって、人に(あと自分にも)当たって、またフラフラに疲れて、でもやっぱり楽しかったとも思いながら、喫茶店によってパンケーキのでっかいのを食べた。帰宅して、犬の散歩をしてから、ミートソースとハーゲンダッツのアイスを食べて……バタン。床に倒れた。
 あ。ツイッターを見てたら、また忙しそうなK島氏が、友桐夏さんの新刊の見本ができたー、とつぶやいていた。おぉ……。友桐さんはコバルト文庫で少女ミステリーを五作ぐらい出しておられて、それからしばらく静かだったけれど、最近ミステリーズ!新人賞に応募してこられて、K島氏が担当についた、んだったと思う。来週ぐらいかな。またまたメモ……。
 あと、片岡義男の短編集がそろそろ出てるはずだった。これも買うんだ。
 しばらくして、ようやく起きあがれるようになったので、お風呂に入って、最近ちょっとずつ読んでる一九世紀のイギリスの女性作家ギャスケルの『女だけの町』を読んだ。こ、これは。クククク……。で、出てきてから、ずっと気になって枕元においてた『骨狩りのとき』を開いた。
 姉妹のように育った白人の女主人のもとで、ささやかに充足しつつ暮らしていたヒロイン。しかし、村に、ある日運命の時が訪れた……! こちらは一九六九年ハイチ生まれの女性作家で、ハイチとドミニカの国境に実在する“虐殺の川”を巡る物語。
 著者は“共同体(コミュニティ)と人間であること(ヒューマニティ)の意味を明らかにするよう登場人物たちに促されて書いた”と語るけれど、これもまた、全編に暗く光る“問い”、しかも命と人間の尊厳のかかった叫びで満ちている。“切実だ、切実だ、私の声は静かだが、どうしてもあなたに聞いてもらわねばならぬ物語だ……”読者に読まれることで、徐々に鎮まるかもしれぬ魂が、本当の死者たちが、この本の中にみっしりぎっちりと埋まってる。
 こういう、本……、本当の声と、眼差しに満ちたものを手に取ってしまうと、受け止める読者の自分の器がちいさすぎて、読みながら、自分を愚かな存在だと恥じる。だけどこういう自覚が定期的に必要だ。読んでるだけで勝手に“偉く”なっちゃうのが、読書の恐いところだから……。頼む、心よ、もっと、広がれ――! と焦りながら、ゆっくりと読み続けた。



本格ミステリの専門出版社|東京創元社