6月某日

 わたしが学校から帰ってきて、家にだれもいないときは、ちゃぶ台の上に母のお手製の絵本が置いてありました。ページを開くと「第1問、お母さんはきょうは外出です。さてどこに行ったでしょう?」とかクイズが書いてある。楽しかったですね。
よしもとばなな


人間の思考や行動は宇宙を創造した神様みたいな存在が全部プログラミングしたもので、ぼくらはただそのシナリオにそって生きているにすぎない、(略)すごく虚しくなって。四六時中、神さまの裏をかこうとするようになったんですよね。
 給食の時間に、一度パンを手に取るふりをして、牛乳を飲んだり。いつもこっちを見ている神様に向かって、常にフェイントをかけながら生活するような感じでした。
松尾スズキ


 だれでも心のなかには、ドスみたいなものがあると思うんですよ。(略)ぼくはいま、新宿の歌舞伎町で暮らしているんですけれども、表現してもまだ消えない攻撃性は、都市の風景が吸い取ってくれているような気がします。街は子どものころから、ぼくに大きな影響を与えていると思いますね。
菊地成孔


――『わたしが子どもだったころ 1』


線のむこうに去ってゆくいとしいものがあっても、それをしなくては、新しい色はやってこない。

――『白のままでは生きられない』


わたし 「やっぱり、死んでました!」
K子女史「おっっ……」

 平日の、ごく普通の夕方。
 梅雨入りしてて、蒸し暑い日だ。
 世間には、オウム事件の手配犯が相次いでみつかった報道がドッとあふれている。みんなして、自分の一七年も改めて黙って振りかえったりしてるような……。
 ずっと籠って書いてた〈オール読物〉用の原稿が、紆余曲折したあげく「赤い犬花」という二〇〇枚の中編になって上がったところだ。
 去年、インタビュアーさんに指摘されて気づいたのだけれど、どうも自分はこれまでの作品でずっと誰かを殺そうとしていて、それで殺人者が主人公のことが多くて、でも、そうやって殺してもより強力になって相手が蘇ってくるから、つぎの作品で、さらに殺して……。それが、行方が分からなくなった父、母、ばらばらになって捨てられた人、国葬級に葬られた人と続いて、最新の『無花果とムーン』では、ついに本当にその人が死んで、弔う儀式に変わってきている、とわかってきた。
 今月、プロットを捨てたりして妙に苦戦してたのは、段階の把握がまちがってた(また生きている話にもどって作ろうとしてた)からだ。死んでいる話に変えたら、とたんに嘘みたいに一気に走った。しかし、創作って謎だ……。どういうシステムなのか、いまだにさっぱりわかりきらない。
 と、K子女史と『無花果とムーン』の単行本の打ち合わせをしながら、なんだかんだ話す。あと、今月いっぱいでレバ刺しが食べられなくなるので、「レバ刺しに背中でサヨナラを告げる会」をやろうという相談もした。
 しかし、蒸し暑い日が続いてる。ビーンズ文庫で『GOSICK』を担当してくれてるあんこ嬢(あんこを2.7キロ食べた。痩せてる)も同席してて、しばしAKB総選挙を観に武道館に行った話を聞かせてくれていたが、夏バテなのか、

あんこ嬢「それにしても、最近、食が細くてたまりません」
わたし 「あらっ」
あんこ嬢「だから、いまの自分の限界を客観的に知らなくてはならんと思って、先週あんこを食べたんです。でも、なんと一キロが限界でした! あぁ、もう学生時代とは体の基礎代謝がちがうのかな……(哀愁)」
わたし 「わかる」
K子女史「わかる。ちなみに一キロってどれぐらい?」
あんこ嬢「ものによりますけど、だいたい、ま、この程度ですよ……」

 と、手で示す。
 カレー皿に山盛りいっぱいぐらいだった。

わたし 「……(わからない)」
K子女史「……(わからない)」
あんこ嬢「まったくもうー(苦悩)」

 うっぷ? となんとなくエアお腹いっぱいになっての、帰り道。
 自分のスケジュールをおさらいしてみる。忙しいな。ずっとがんばろう(それにしても、こんなに働く大人になるとは、自分でもかつて一ミリも考えなかった……)。
 帰宅して、椅子に積みあげてる最近の戦利品の一冊を手に取った。『わたしが子どもだったころ 1』。いろんな著名人が幼少期について語ったNHKの番組を書籍にまとめたものだ。
 数日前に、新宿の無印良品地下のインテリアコーナーにある、ディスプレイ風に本を積んで売ってるミニスペースの前を、ふと通りかかった。で、「フンッ、どうせインテリアとして飾ってる本もどきでしょ、洒落て茶色いカフェ飯みたいなっ、食べるとスカスカな茶色い味で、ったくしゃらくせぇんだよ、俺ぁ田舎モンだから、こういう見てくれだけのやつぁ、でぇきれぇなんだ、よっ……あれー?」と、偏屈まるだしで毒づくのをピタッとやめて、平積みの『山伏と僕』を手に取った。けっこう、面白そう……? 誰のラインナップなんだろう、このスペース、いいじゃん……。と、まとめて6冊ほど買ってきたのだ。
 で、口コミもいいし通販もそりゃ便利だけど、それだけじゃ貧しくなる、みんな歩かなきゃだめだ、忙しくても、やっぱり書のために町に出よう!!とコブシを握ったのだ。
 この本は、帯裏の

 ・ストリップ小屋の楽屋で、踊り子さんたちに不健康な可愛がられ方をした。
 ・父親は私立探偵だった。
 ・1+1がなぜ2になるかわからず、兄に聞いたら殴られた。
 ――さて、誰でしょう? 答えは本の中に


 という惹句がもう、なんか可笑しい。中も、貸本屋から盗んだ『少年ケニヤ』をなぜか川に流したちびっこ荒俣宏の悲しみ、14歳で奇妙な一人旅に出たことを「あの少年時代にだったら何度でももどりたい。ぼくがいちばんかっこよかったあの時代に、生まれ変わってももどりたい」と語る柳生博の意外な(?)ジュブナイル魂、駒子(『雪国』のヒロイン)に夢中になって「ごっつうええ女や!」と絵を描き、しかし大阪市で賞を獲った絵を母に「散髪屋になれ!」とカマドで燃やされ、しかも『雪国』を隠していた空き家には「無断で立ち入る者は射殺する」と張り紙がされた、さいとうたかをの苦い初恋……。学生運動にのめりこんだら、父親からすかさず大菩薩峠の山小屋に軟禁(!)され、ようやく出してもらえたときにはもう運動が終わってた(!)、押井守の失われた季節……。
 と、さまざまな人の、子供時代の記憶と夢を追うことの因果関係が見えてくる中、トリの小野二郎(「すきやばし次郎」の三つ星寿司職人さん)だけが、“若いインタビュアーから寿司職人になった理由をよく聞かれる。今の人なら、食べることが好きでなどと答えるだろうが、あの時代はだれもが貧しく、私もわずか7歳で奉公に出された。もう帰るところはなく、働くしかなかった。好きも嫌いもない”そこから、世間から与えられた道で努力して“まだまだやれるという執念で続けた。自分は働くことが好きだ”と静かに語るところで、読んでる自分の、なにかつきものみたいなのが、椿の花みたいに急にポトンと落ちたような気持ちになった。この収録の順番も、うっまいなー……。
 3巻まであるようなので、それも買おうとメモメモ。それから同じ日に買った染物作家志村ふくみさんの『白のままでは生きられない』も開いて、あっ、こっちはゆっくり読まないといけないタイプの本だと気づいたので、ブレーキをかけて、今度は1ページ、1ページ、摺り足でジワジワと読むことにした。



本格ミステリの専門出版社|東京創元社