4月某日

 この物語は、一応、いわゆる本格ファンタジーをめざすものとして、善悪二元論を足場にしようとしている。しかし、じつは、この二元論はもうなりたたない。この物語においても、そのような足場自体が、あきらかにくずれてゆくさまをごらんいただきたい。
(一九七三・三・二十三)


――『光車よ、まわれ!』

とくにアイロン室はすごかった。あそこでかわされる会話や雰囲気は、さしずめダンテの『地獄篇』といったところだ。

続きものの映画が最高にスリリングな展開のときに限って、いつも父さんは失業していた。たとえば、ヒロインが崖に宙吊りになっているとか、線路の上に縛りつけられているとか、回転ノコギリが鼻先まで迫っているとか。そこで「来週に続く」の文字が映って終わってしまう。翌週になると、私は映画館の近くをうろついて友達が出てくるのを待ちかまえ、なにが起きたか教えてもらった。


――『英国メイド マーガレットの回想』

 GW中日の夕方、K島氏とF嬢とゴハンの約束をしてたので、東京創元社に出かけた。
 今月入社したばかりという新人編集Z嬢が、楚々としてお茶を出してくれた。ミステリ好きらしく、しかも(?)、

Z嬢   「K島さんとFさんに前後を挟まれた席に座っているんです(嬉々)」
わたし  「エッ」
Z嬢   「わたし、先輩たちみたいな立派な編集者になります……(澄んだ目)」
わたし  「む、むむ……(挙動不審)」
ケーキ部長「お菓子をお持ちしました~」

 ケーキ部長ことM澤氏が、お茶菓子を持ってきてくれた。M澤プレゼンツの新刊『殺す鳥』がなかなか面白かったので、しばしその話をする。それからお茶を飲んで、お菓子食べて、ちょっと編集部に顔を出す。
 おぉ、みんな忙しそうに働いてる。
 壁際に各編集者の天井までの本棚があるので、なんとなく眺めていると、一つ、異彩を放つ棚をみつけてしまった。国内外のミステリでぎゅうづめの中、『アストロ球団』『民宿雪国』の間にヴァンパイア・なんとか・ストーリーズという怪しげな黒と赤の洋書を挟んでいて、その上に銃の専門書まで乗せている。
 誰だ? と思って見上げていると、背後から……。

F嬢「それ、わたしの本棚ですが。何か?(澄んだ目)」

 や、やっぱり……。
 せっかくなのでこの棚の中のお勧めを聞くと、絶版の『星占師のいた街』を貸してくれた。
 なんだかんだと話していると、少し離れた場所から、聞き覚えのある声が朗々と響いた。

K島氏「あら、パーティーの招待状が届いたわ!(澄んだ目)」

 机を挟んで向こうの通路で、K島氏が白い封筒を持ってなにやら話している。ポーズはどことなくベルばらの王妃風だ。
 メディア・ファクトリーの新人賞の授賞パーティーらしいので、ふと思いだして、話しかける。「そういや今度、怪談誌〈幽〉の姉妹誌が出るらしいですよ。東雅夫さんプレゼンツで、えっと、女性の書き手を集めて……」すると、横から確信に満ちた声がした。

F嬢 「あぁ、〈女怪〉ですね」
わたし「……そうです、にょか、い……いや、ぜんぜんちがいます。えっと、なんだったっけ、急にわからなくなってしまった……(かなり考えこむ)。思いだした! 〈妖〉ですよ、〈幽〉の姉妹誌、〈妖〉!」
F嬢 「えっ。よう?(と、不審げ)」
わたし「(もっと不審)……あの、いま、どうして迷わず女怪だと思ったんですか。いったいぜんたい」
F嬢 「おかしいな、それしかあるまいととっさに確信したんですが」
わたし「でも女怪じゃ、怖さはあるけど、耽美っぽいニュアンスが壊滅的に足りなくないですか」
F嬢 「あっ(聞いてない)。そういや昔、東さんプレゼンツの怪異の雑誌があって……それが……〈月刊女怪〉だったのかしら……? ねぇ、M澤くん、あの雑誌の創刊号、持ってるよね。牧野修さんが女性名で書いてたりして、なかなかよく……」
M澤氏「(壁の棚をゴソゴソ)あぁ、はい。これですね」

 ぱっと差しだされる。
 3人で、じーっと見る。
 しばし、沈黙が流れる。

わたし「〈小説幻妖〉?」
M澤氏「はい、〈小説幻妖〉
F嬢 「あれっ?」
わたし「ほらっ! 耽美のニュアンス、大事じゃないですか。〈月刊女怪〉じゃ、なんていうか、ちょっとばかしゲゲゲっぽいですよ!」
F嬢 「おかしいな……? ともかく、この牧野みちこって著者が牧野さんなんですよ。『中華風の屍体(チャイニーズ・デッド)』って。これがけっこう……」

 混乱しながらも、せっかくなので短編のコピーを取ってもらった。
 そういや牧野さんは『MOUSE』がすごかったなー。あっ、肝心の『傀儡后』がなぜか未読かも。なんでだろう……? と、脳内に手書きでメモする。
 と、このやりとりが、K島氏の机と向かいあい、F嬢の椅子と背中合わせの席で、さっきからずっと一生懸命ゲラを読んでいる新人Z嬢の頭上を、ひょうろく玉のようにヒョロヒョロと飛び交っていた。
 うーん、と……。
 ともかく、ゴハンを食べに編集部を辞去する。
 お店に着いて、グラスワインを頼んで、つきだしをモリモリ食べながら、最近面白かった本の話をする。佐野洋子さんの児童書を読んでいたと言ったら、コロコロ転がって松谷みよ子の話題になって、『ふたりのイーダ』『モモちゃんとアカネちゃん』がえらい怖かった、怖かった、と言いあう。だいぶ昔に読んだきりだから、また読み返してみようかな……。と、脳内にメモメモ。あと『マイマイとナイナイ』は、なんと、bk1で買うとおまけのショートストーリーがついてきたらしい……。ガックリ。
 あと、こないだの松本清張賞で最終候補に残りつつ落ちちゃった人に、すでに何冊か著書もある沢村鐡さんがいて、この人の四年ぐらい前の新刊で劇団の恋愛模様を描いたのはたまたま読んでたんだけど、どうも微妙だった記憶があって、でも選考会の後で気になって最近の著書も読んでみたら、『封じられた街』という少年少女向けダークホラーはけっこうよかった、と話す。あと、同じピュアフル文庫から出てた新人の『黒揚羽の夏』はなんとなくよさそうでジャケ買いしたのだ。すると、K島氏も『黒揚羽』を読んでて、あれはよかったですよー、という。あとこういった少年少女が出てくるダークホラーの原泉というべき、七〇年代の記念碑的作品『光車よ、まわれ!』が、同じピュアフル文庫から復刊してると聞く。またメモメモ……。
 今日は収穫の多い日だなー。
 ……ワインをお代わりしつつ、はずれの本がなさそうな今日の脳内メモを点検していて、でも、ふいにちょっと寂しくなった。傑作だけなんて(失礼ながら)逆に退屈な読書だぜ。よし、明日買いに行くとき、きけんな賭けになりそうな本(?)も二、三冊挟もう。本読みよ、時に良きマゾヒストであれ。(しかし、こんな気持ちのときに限って、なぜか奇跡的に全部当たりを引いたりするものなんだけど……。あれはなんでなんだろう?)
 ……ん?
 そんなことを一人で考えてるうちに、いつのまにか話題が変わっていた。なになに……?

K島氏「夜中にね、ぼく」
F嬢 「はい、はい」
K島氏「空を飛ぶことはもうできないけど、でも、人を呪い殺すことはできるような気がするんですよ~」
F嬢 「あはは」
K島氏「こうやって……誰かの……あっ、桜庭さんじゃないですよ~、で、こうして……ですよ……(宙に向かって怪しすぎる手つきが続く)……」
F嬢 「うふふ」
K島氏「くくくくく(へんな手つき)」
わたし「……えっと」
二人 「あーはっはっは」
わたし「……あ、あは」

 なごやかな空気が流れる。
 一緒になって“悪者笑い”しながら、こっそり背中に冷や汗を流す。
 K島氏が、また一歩“魔女”に近づいているようだ……。
 覚醒の日を恐れながら(久しぶりに『幻魔大戦』みたいな気分だった)、帰宅して、夜中。
 先日、書店のノンフィクションコーナー(あまり頻繁には行かない)の新刊棚に立って、ザッと見渡しただけで――ソフトバンクの社長孫正義の伝記『あんぽん』に、立川談志の『遺稿』、田中角栄の娘の『昭』、元オリンパスのCEOマイケル・ウッドフォードによる『解任』に、連続殺人事件の木島佳苗被告を扱う『毒婦。』、森達也『オカルト』、それと『河北新報のいちばん長い日』(これは読んだ、とてもよかった)と、あまりにもインパクトのある本が並ぶ中、端っこでポツンとしてるのをみつけて手に取った『英国メイド マーガレットの回想』を、読むことにした。
 一九二〇年代の英国――。貧しく子沢山なワーキングクラスの家に生まれたマーガレットは、一四歳で働きに出る。下っ端のキッチンメイドからコックに出世し、結婚して引退し、後にパートタイムで復帰し…………。という彼女の人生と、最初は人間扱いされてなかった使用人たちが、次第に労働条件や人間的な立場を変えていき、やがて、もとは不労所得で上流の暮らしをしていたものの、今は困窮して狭いフラット暮らしになった老雇い主が増えて、使用人と立場は逆転していく……。時代の変化もものすごい高回転でよく視える。
 使用人とは? 御主人様とは? こうして時代が過ぎてみたら、なんだったのかな……?
 マーガレットは、十六歳のキッチンメイドだったころの自分を、御主人様とピシッと足並みをそろえて行動し、一心同体の影となった“執事の中の執事”ミスター・モファットと比べて、

使われる側の人格が使う人の中に完全に取り込まれてしまえば、主人たちは使用人の最大限の力を引き出せる。私が良い雇われ人についぞなれなかった理由はそこにある。私にとって使用人の仕事は、ただ目的を達成するまでの手段にすぎない。そのときの生計を立てる手段。

彼は最重要人物だった。そして、自分の働いている家の高い地位を、その身体いっぱいに染み渡らせていた。そう、きっとこれが、世の人の言う、使用人の生きる目的というものなんだろう。


 と、冷静に観察し、批評してる。『日の名残り』ワールドの対極にいるような、でも妙に才気煥発な女の子っぷりで、楽しい。
 個人と時代の両方が入ってる本って、やっぱり好きだなぁ……。せっかくだから、これを機に、ほかの人から見たこの時代も読んで意識下でもっとガチャガチャに多面的にしてしまいたくなってきて、『イギリスのある女中の生涯』とか『英国メイドの世界』を調べてメモメモして、でも夜も更けてるのでとりあえずもう寝ようと思った。

(2012年5月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『製鉄天使』『ばらばら死体の夜』『傷痕』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』など多数。


ミステリ小説、SF小説|東京創元社