4月某日

 ところで、短編、長編をどう書き分けるのか、とよく訊かれるのですが、どちらも小説である以上、あまり分けて考えないようにしています。
 三十枚までの短編なら大体三つに分けて、能でいう、「序破急」の構成を頭において書きます。
 それ以上の枚数なら四つで割って、「起承転結」。長編なら、さらにその一つ一つを、三つか四つに分けて考える……。こんなところが基本でしょうか。

「ワンパターンとは犬の気絶のことである」

――『ぼくのミステリ作法』


「骨ってずいぶんと匂うのね」

――『本格小説』

 で、お花見シーズンになって、桜にかこつけて集まってお酒を飲んだり、去年のいまごろのことを思ったり……。してるうちに、時間が転がるようにまたどんどん過ぎて、あれ、桜が散った。なにもかも音を立てて春っぽくなってきた。
 ぽかぽかと天気のいいお昼過ぎ。仕事の手を休めてベランダに出た。
 引っ越したのを機に、秋からベランダに置き始めたプランターから、春らしく芽が出たり葉が茂っている。もともとは犬が楽しかろうと思って始めたんだけど、土を掘るは、葉をむしるはのジェノサイドが続いてて、あまり順調とは言えな、い……オッ? でもブルーベリー(そばに二種植えないと実をつけないので、二株買ったはず)のうちの一種がかなり茂って、黄色い花までつけてるぞ。
 と、喜んでいたら、それはじつはどこからか飛んできたナズナという雑草だと判明する。本物のブルーベリーはというと、控えめに茂る一種類の隣に、犬に喰いちぎられたもう一種類の茎(墓標みたい)が残っていた……。
 雑草がプランター全体を乗っ取るから抜いたほうがいいと聞いて、迷う。ようやく引っこ抜いたものの、すごく張っていた根と、遠くから飛んできてここまで茂ったボヘミアンぶりに、捨てられなくなった。で、つい安い鉢を買ってきて植えかえ、隅においた。
 でも……と、また迷う。このままぐんぐん育って、綿毛をつけたら、ベランダ中に飛んでプランターに落ちて、また乗っ取られていくんじゃ……って、あれ、こんな話、あったな。いまなにを思いだしたんだろう、あっ、わかった……『嵐が丘』だ!
 しみじみと、せまいベランダを見回す。ここが嵐が丘で、乗っ取られるプランターがアーンショー家、食いちぎられたブルーベリーが兄のヒンドリーで、残ったブルーベリーが妹のキャサリンで、どこからかやってきたこの雑草は、ではヒースクリフか?
 ということは、わたしは彼らの愛と憎しみの劇場をこっそり見守る、家政婦のネリー役……?
 プランターから抜かれたときにはくったりしていた雑草は、夜にもう一度見たときには元気になり、そのくせこちらにかたくなに背を向けて、三日月が揺れる夜空に向かってぐんぐんと背を伸ばしながらも不気味に沈黙していた。
 さて、夜。
 お風呂で赤川次郎の『ぼくのミステリ作法』を読んで(古典をたくさん読むべきですよー、と書いてあった。オォ……)、出てきた。それから、なんとなく読みかけになっていた『本格小説』のことを思いだし、ゴソゴソと取りだした。
 これは『嵐が丘』を換骨奪胎して日本のお話にしたものだけど、本編が始まる前に二〇〇ページ近く「本格小説が始まる前の長いお話」というロングプロローグがついてる。このやり方って、あとは『恋愛中毒』ぐらいしか読んだことないな。面白いけど、やろうと思ったらすごく難しいはずだ。うまいなぁ……。
 敗戦後の日本からニューヨークに渡った貧しい青年、東太郎(ヒースクリフ役)が、事業に成功して富豪となり、日本にもどってくる。若き日の恋人よう子(キャサリン役)と再会するが、かつては裕福だった彼女の一族は、いままさに没落の道をたどっていた。……といった怒涛の本編そのものにはそう関わらず、無害な傍観者を装いながら、本家『嵐が丘』でもうっすら怪しいやつだった例の“あの人”が、『本格小説』のほうでは本格的に本性をむきだして真っ黒に大活躍していて、えらく楽しい。
 ……これってまるで、さっき、うちのベランダで、プランター(本家)を後々脅かすとわかっているのに、粛清すべき謎の雑草(ヒースクリフ)を助け、わざわざ鉢に入れて水までやったわたし並みに、単純な善意と無意識の悪意が入り混じる、本格小説的“信用できぬ語り手”だ……?
 と、人間の心と行動の不可解さを思い、例の“あの人”にもなりきりながら……。ただもう粛々と読み続けた。



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