2月某日

「こんな本を読むなんていけないわ。お花さん、あなたのような人は幸福になれるかしら? 私は怖いような気がする」


――『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』

 その翌日の、夕方である。
 エッセイを一本片付けて、なんということもなくのんびりしてから、2日続けて、ふらっと外に出た。……あぁ、ほんとに、久しぶりに余裕のあるスケジュールで働いてるなぁ。
 そのまま駅前まで歩いていって、昨日とはちがう小さな喫茶店をみつけて、入った。
 こちらの店も、厨房にマスター、フロアにママさんがいて、どちらも60~70代に見える。姿勢がよくてきびきびしてる。かわいい飾り付けの店だからか、こちらは50代以降の女の人一人のお客さんが多いな。
 メニューは、コーヒー、紅茶、クリームソーダ、バナナジュース……。サンドイッチ、ビーフカレー、エビピラフ、ミートソース……。こういう喫茶店って、お店の人が高齢の場合が多いなぁ。だんだん減っていっちゃうのかな。
 午後三時過ぎというへんな時間だけど、カレーやサンドイッチを食べてるお客さんが多い。服装はスーツとかじゃないけど、近くの会社で働いてる感じの人たちに見え……でもやっぱり……よくわからない。とにかくみんなしてモリモリ食べてる。
 お茶のつもりだったけど、つられてミートソースを頼む。
 ぼんやり。
 ……わっ、ミートソース、もうきた。
 カララン。
 ドアが勢いよく開いて、黒ずくめの服装に帽子、サングラス姿の女性が飛びこんできた。歳は50代ぐらいか。いや60代か。70代かな。全身から緊張感が漂ってる。なんだか殺し屋みたいな扮装だなぁ、と思いながら視線を外したとき、

女性「ハヤシライスと、イチゴジュース!」

 えっ、ともう一回見る。急に、親の服とサングラスを拝借してこっそり出かけた女の子じゃないかという気がする。ちょうど逆光で顔がよく見えない。
 おばあさんは、一周回って、少女にもどってくる。……ことも、ある。
 うーむ。
 この店もまたこよう、と思いながら、カララン、と外に出た。
 家に帰って、一休みして、犬を連れて外に出た。今日も犬は草むらに顔をつっこんで、うれしげに草を食べ……いや、ちがう、ガビガビのチーズ蒸しパンの残骸を拾い食いしてる! コラーッ!
 犬を散歩させ始めるまで気づかなかったのだけれど、都会の草むら……コンビニ前の街路樹の陰とか、公園とか、ちょっとした生垣の奥には、びっくりするぐらい、人間の食べかけが落ちている。どら焼き、おにぎり、唐揚げ、菓子パン、ハンバーガー……。意図はわからないけど、だいたい半分かじったところで力尽き、コッソリ捨てていくようだ。わたしが犯人たちに主張したいのは、どうして食べないのに買ったんだよというのと、そんなちょっぴりわざわざ残さないで飲みこんじゃえばいいのに、ということだ。あっ、また……コラーッ! 犬の口から、コンビニの卵サンドイッチを思い切り取りあげる。「!?」と、犬はほんとうに悲しそうにこっちを見上げ、ショックを受けている。
 さて、帰宅して、さっき書いたエッセイを読み返してチェックしたりしてから、『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』をゴソゴソ出してきた。
 先月、家具屋さんでさんざん座って、本読むのにピッタリの座り心地だと買ってきた一人用ソファというかカウチにころっと寝転んで、開いた。
 明治時代。通っているミッションスクールでも語学の成績がとてもよかった花子は、欧米の文学に親しむ文学少女で、かつ「英語の小林先生の通訳って、ミス・ブラックモア校長の訓辞のユーモアを取り落として、お固い話にしちゃってるわ。ユーモアのニュアンスまで訳さなきゃ、校長の魂、人間性、真意が伝わらないのに」とこっそり考えたり(14歳で、大人にこんな的確なツッコミ……。脳内だけにしとかないと、ばれたら奥歯がガタガタいうほど怒られる!)していた。そういえば7歳で大病して死にかけたときも辞世の句を読んだり(まだまだとおもいすごしおるうちに はや死のみちにむかうものなり)したし、かなり早熟だったのかもしれない。
 卒業して、アンと同じく教職につくと「日本には子供から大人になる成長過程で読むべき本があんまりない」と気になり始める。出版社に勤め、翻訳家となり、結婚し、やがて関東大震災、夫の会社の経営が傾く、幼い息子の死など、様々な苦難が降りかかる。さらに第二次世界大戦が近づくと、娘が通う小学校でマーク・トウェイン、バーネット、オルコット……敵国の本が燃やされる事件が起こる。仲の良いカナダ人宣教師が帰国することになり、別れ際に『赤毛のアン』の原書をくれる。持ち帰ってこっそりと開くと、そこには、ミッションスクールでの懐かしい日々、明るい空、希望に満ちていた時を思いかえす、光さす若い物語があった。本を持つ手がぶるぶると震えるほどに。
 著者モンゴメリと同世代のカナダ人女性だった、懐かしきミス・ブラックモア校長の、遠いあの日、卒業式での高らかな声、

「my girls!」

 が蘇る。

「今から何十年後かに、あなたがたが学校生活を思い出して、あの時代が一番楽しかった、と心底から感じるなら、私はこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません。人生は進歩です。若い世代は準備のときであり、最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続けて、進んでいく者でありますように」

 my girls! 豊かな情緒を。失われていく過去の希望を、未来のものに。
 戦火の東京で花子は翻訳を続け、空襲のときは原稿を持って逃げ回り、そして戦後、ようやく出版のめどが立つ。
 ――村岡花子自身がアンを翻訳したときに心がけたはずのバランス(人間ではなくキャラクターとし、生々しくしすぎないことでエンタメ性を保つ)をそのまま踏襲して、花子がヒロインの少女小説風に再構成された伝記だ。そのせいか、絵柄が『はいからさんが通る』で脳内再生されるのだ……。
 女学生のころに出逢った腹心の友(華族のお嬢さま)、悪役(出版社の女の先輩)、ギルバートじゃないほう(外交官のお坊ちゃま)など、登場人物も多彩で、シーン展開も、意地悪な先輩からお坊ちゃまが婚約した話を聞いて、編集部で一人しょんぼりしているところに、「ごきげんよう!」と、ギルバート(村岡青年)がさっそうと入ってくる……など、う、上手いな。著者は花子の孫娘なのだけど、祖母のテイストを熟知していて、この腕っぷしは、に、憎いな……。
 辛い戦中。村岡花子は、読者としても、希望に満ちた若きアンの物語に支えられて生きた。

 いま曲り角にきたのよ。曲り角をまがったときになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんいいものにちがいないと思うの。

 そして、アンが少女時代のこの言葉通り、時に困難な未来を、希望と理想を持って歩き続けたことを、未来のシリーズ読者たるわたしは知っている。シリーズ後半で大人になり、瑞々しく老いていくアンは、小学生のころ“信頼できる大人”の一人だった。きっといちばんいいもの、ねぇ……と唱えながら、このさきにあるものに思いを巡らせ……つつも、ミートソースがこなれてお腹空いてきたので、とりあえずなにかつくろっかな、とソファからゆっくり立ちあがった。

(2012年3月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『製鉄天使』『ばらばら死体の夜』『傷痕』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』など多数。


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