2月某日

「魔女、鬼ばば、悪魔!」と彼は叫んだ。「立ち去れ!――もしお前が死んでるのなら、墓場へ――のろわれてるのなら、地獄へ!」

――『ねじけジャネット』


 君がみた世界に果てはなく、これこそが楽園だ。

――『ピンクとグレー』

 夕方である。
 初めて入った小さな喫茶店から、出られなくなっている……。
 時間も気持ちも余裕が出てきたので、引っ越した先の近所の新規開拓のために、いろんなお店に出たり入ったり、出たり入ったり、出たり入ったりしている。喫茶店は特に、仕事もするから大事、なん、だけど……。
 カウンター5席とテーブル4つのお店の、カウンター内に初老のマスター、外にママさんがいる。で、ママさんがずっと「面白い歩き方で出ていったさっきのお客さん!!」の物まねを、魂が震えるほどの完成度で披露し続けている。なんだか小劇場っぽいというか、多分に演劇的な動きである。お、面白い。いい!……いやっ、でも!
 仕事中のファイルから(『無花果とムーン』の改稿をしてた)そっと顔を上げて、辺りを見回す。「……ごっそさん!」「こうやって、摺り足で、カサカサ、カサカサ、カサカサって……。あっ、ありがとうございましたー、460円になりまーす」カラン、カララン。店内には中高年のサラリーマン風の男性が多くて、みんな、ママさんに玄人はだしで物まねされる畏怖など一欠片も見せず、威風堂々とコーヒーを飲んで、煙草を吸い、立ちあがって、かなり悠然と店を出ていく。まぁ、そんな細かいことをいちいち気にしてたら、働けないし食ってけないし、第一、日暮れ前に会社にもどることさえ満足にできないだろう。そうだよなぁ。……い、いや、でも。
 現実力。
 これがないとちゃんと生きていけない。
 嗚呼。
 でも、気になる。
 無駄に身悶えする自意識を抱えて、一人、悶々としていると、マスターが「ちょとミカン買ってくるワ!」と言い置いて、皮ジャンを羽織り颯爽と出ていった。カララン、カラン……。すると、ママさんが電源を落としたように急に静かになった。……はぁ。仕事のファイルにもどる。
 しばらくして、さて、もう帰ろう、と顔を上げた。
 ギクシャクと立ちあがって、渾身の自然体(?)で歩き、コーヒー代を払って、ぶじ外に出た。
 カララン、カラン。
 うーむ。
 この店、また、こよう……。
 よろよろしながら、喫茶店の小道をはさんで隣にある、ちょっと傾いた小さな本屋に入った。だいたいワンルームの部屋ぐらいの広さで、雑誌の山、続いて漫画の山をかき分けて奥に行くと、小説のスペースがちょこっとある。単行本は話題の新刊がちょっぴりで、文庫のほうが多い。
 さいきん急に、国内エンタメをまとめて読みたくなってきたので、ときどきここでまとめ買いをしてるのだ。選抜選手が並ぶような、限られた棚の中から、ベストセラーとかロングセラーの読み逃してたやつがあれもこれもとごっそりみつかって、大きな本屋さんまで行けない日は、じゃあこの際ここで……と、『半落ち』『妖怪アパートの幽雅な日常』『あかね空』『テンペスト』とかをみつけては読んでいた。あ、そうだ。ここで買った『ジョーカー・ゲーム』の中にあった「『ロビンソン・クルーソー』の作者ダニエル・デフォーは本職のイギリス人スパイで、主人公の“無人島であくまでもイギリス人として生きる”姿は、異国でスパイとして生きる自身の経験からきている」ってとこ、面白かったなー。
 店中をくるくる回る。
 ……あ、あった。
 K島氏が先週「これ、もしかして面白いんじゃないか」と言っていた『ピンクとグレー』をみつけ、買った。
 ぷらぷらと家に帰って、一仕事片付けてから、犬を連れて散歩に出た。犬が喜んで駆けまわって、藪に頭を突っこんで草を食べてるのを見ながら、あれ、ビタミン不足かな、食事で足りないと草を食べると聞いたことがあるなぁ、と思う。
 読書も同じで、なにか足りなくなるとそっちのジャンルの本をまとめ読みし始めたりするものだ。つまり、わたしはいまエンタメ不足ということかな……。
 帰宅して、ゴハン食べて、お風呂入って、映画のDVDを一本観て、寝転がって『ピンクとグレー』を読みだした。最初は芸能界を舞台にした青春小説かなーと思ってめくってたんだけど、だんだん、様相が変わってきた。空気がこっそり異界のくすんだ七色を帯びてくる。
 内側から湧く“書かざるを得ないテーマ”があって苦しいとき、それを“まんま書く”んじゃなくて、こういうふうに〈異形〉に変態させてムリムリと押しだすって、なかなかすげぇな、と思う。ジャニーズ版『ブラック・スワン』というか、なんというか……。悪夢からさめないところは『ヴィクトリア朝の寝椅子』みたいな、ヨーロッパの昔風のゴシックホラーっぽくもあるし……。さて、いったいここまでなにを読んできた人なんだろ。
 読み終わって、時計を見たら、まだちょっと時間があった。なにか短編でも二、三本読みたいなと思って積本を探しながら、しかし寒い、とブルブルッとしたとき……ふっ、と思いだした。
 日本では「怪談の季節と言えば、夏!」なんだけど、欧米では「クリスマスストーリー」と言って、冬になるとよくホラーを読む、だったっけ。ちょっとちがったっけ。『クリスマス・キャロル』とかも、だから冬に発売された本で……。家族や友人と暖炉を囲んで、怖い話を披露しあったりするらしい(真冬の『百物語』みたいな?)……。
 ホラー短編が読みたいなぁ、なにかなかったっけ、と考えて、先日、集英社の偉い人に会議室の横のところで通りがかりに「『宝島』とかのスティーブンソンの怪奇小説、面白いよ。あんっ、『ジキル博士』? だけじゃなくて! 短編の『ねじけジャネット』とか『びんの小鬼』とか……。あと……」と教えられたのを思いだした。で、フンフンとメモしてたら「あ、それ持ってますよ」と単行本担当の熊頭女史が『スティーヴンソン怪奇短篇集』をくれたのだ。みつけてきて、開く。
 お、おぉー……。
 ほんとだ。面白い。
 あと、寒い冬とホラーはすごく合う。知らなんだ。
 満足……。
 と、布団にもぐって、でもますます寒いので、震えて寝た。



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