10月29日

 犬だって、一期は夢よ、ただ狂え、の生活でいいじゃないか。


――『愛人犬アリス』

 お昼頃。むくっ。起きる。
 せかい、終わってなかった。それか、もしかしたらみんなが寝てるあいだに、誰かが最初から作り直してくれたのかもしれない……。新しいせかいのバグ……コピーのミスで前とちょっとちがっちゃってるところを、うっすら探しながら、起きあがって、顔を洗って、いつものようにコーヒー飲んで、ゴハンも食べた。
 この日は夕方まで仕事して、ぶらぶら美容院に行った。胸元辺りまで伸びてた髪を、久しぶりにバッサリ。ショートヘアにした。頭が軽くなった……。で、帰りにまたぶらぶらと紀伊國屋書店に寄って、『愛人犬アリス』『夜中に犬に起こった奇妙な事件』『マルチーズ犬マフとその友人マリリン・モンローの生活と意見』と、前からいろいろあったはずなんだけど、犬を飼い始めてから急に目につくようになった、動物が出てくる本をごっそり買った。
 地下街を行くと、モンスナックの向かいにあったカレー屋が閉店した場所に、また新しいカレー屋ができるというポスターが貼ってあった。立ち止まる。ふっと、ついこないだの書店員さんたちとの会話を思いだした。

わたし「モンスナックじゃないほうのカレー屋、なくなっちゃいましたねぇ」
Aさん「あぁ、あの夜中に句会をやってたほうのカレー屋さん?」
わたし「そう、夜中に、く、かい……。えっ、なに? 夜中にそんなことしてたんですか、あの店。なぜ?! 謎を内包したまま閉店……」
Aさん「そういう噂でしたけどね。うーん、閉店かぁ」
Bさん「やっぱり季語はカレーだったんですかねぇ」
全員 「えっ、カレー……」

 いつ終わるかわからないせかい。わけわからない奇怪でむきだしで愛しいものがたくさんある。
 句会をしてないほうの店でカレーを食べて、帰ってきて、団鬼六最後の著書『愛人犬アリス』を読んだ。
 日本の風土には、老人と老犬がよく似合う。もし昔の記念写真のどこかに、当時の飼い犬がひょいと写っていたら、まるで日の光を浴びたように写真が色づき、不思議と思い出も鮮明によみがえってくるものだ。……犬好きの団がとくに溺愛したという牝のラブラドールレトリバー、アリスについて描いたエッセイだけど、犬の細かい描写がさすがに官能的で情が濃くて、一家に本妻と愛人が同居してしまっているように、じわじわとドラマチックに進んでいく。
 途中、奥さんが書く章では、

「私が本妻なのよ。なによ、愛人の分際で十年早いわよ!」
 アリスに真顔で言っている自分に苦笑してしまいます(余談ですが、私は団鬼六の後妻で、正妻の座に座るまで長い年月がありました)。


 とあって、抜き身がヌラッと光ったような静かな迫力だ。また、奥さん公認の人間の愛人である二三歳のさくら(ものすごい美人)も登場し、一日おきにアリスを散歩させるようになる。しかし、さくらは一年あまりでとつぜん自死。団はその悲しみから脳梗塞の発作を起こした。老人と老犬はその後の数年を静かに過ごす……。最後の章で、団が闘病の末に亡くなってからの日々を書き記しているのは、先妻の娘さんだ。
 全編、匂いたつように色っぽくて、そのくせ優しさが澱のようにぽたぽたと床にたまり、死にゆく老作家の乾いた躰を包みこんでいく感じがする。奥さん、愛人、愛人犬、娘、登場する誰もが女で、女だから君たちは当然うつくしいのだ、と(中学生の息子も一瞬出てきたけど、爬虫類大好きキャラで、二階の窓から庭のアリスを矢で執拗に狙う役……)。
 読み終わって、「……ん? これ、犬の本だよな」と、あまりにも香り立ち続ける色気にゴホンゴホンむせ返りながら、本を閉じた。で、傍らで白い腹を丸出しにしてベロも出して、ステテコ姿のオッサンの如く寝ている自分の犬(飼主の鏡像か?)を、不満たっぷりにチロッと睨んだ。

(2011年11月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『ファミリーポートレイト』『製鉄天使』『道徳という名の少年』『伏-贋作・里見八犬伝-』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』など多数。


ミステリ小説、SF小説|東京創元社