10月28日

『蒐集家は幸福である』


――「目に見えないコレクション」

 昨日から所用でバタバタしている。あと、二日酔いだ。
 古代マヤ文明の暦には、なんと今日までしか書いてない、だからせかいはもしかして今日で終わるのかもという話題で、昨夜から盛りあがってる。
 確かにせかいはとつぜん終わるかもしれないし、自分だけ消えちゃうかもしれない、と揺蕩うような気持ちで(二日酔いも)ぼーっとしていた。
 前の仕事場の契約がちょうどこの日までなので、最後の掃除をしに出かけた。部屋に入ると、なんと、人がいない間にベランダに鳩が巣を作って、卵まで産んで、いままさに温めているところだった。せかいの終わりの日にそうとはしらず卵を産む、鳩……。忙しそう、かつ迷惑そうな鳩をじゃましないように、ソッとベランダを出て、ぱぱっと掃除をすませて部屋を出た。
 で、あちこちバタバタして、帰ってきて、いつも通り犬の散歩に行った。どうも犬というのは、変化よりも、昨日と同じ今日が好きみたいで、いつものゴハン、散歩、昼寝をのびのび楽しんでいる。で、いつもとちがうことがあると、若干怯えるようだ。
 さいきん、犬を見てて、まぁそうだよなぁ、特別なことも楽しいけど、平和で変化のない日常って、じつはありがたいものだったんだなぁと思う。
 今日でせかいが終わりなら……やっぱり、いつものゴハン食べて、お風呂入って、あと、ゴロゴロして本読みたいなぁ。これってもともとかな。それともあの日の後、すこしずつそうなってきたのかな。
 お風呂からのぼせながら出てきて、ギャリコの単行本を探してたときに海外文学の平台でみつけて一緒に買った『チェスの話』を開いた。
 ある船の中で、感情を持たないチェスの天才と、ゲシュタボに捕えられている間、空に浮かぶ空想のチェス盤で戦い続けて、本物の駒に触れるのは久しぶりだというオーストリア人紳士が運命的な対決をする――「チェスの話」。そこには存在しないコレクションを、あると信じて生き生きと語るめくらの老人とやり手骨董商の邂逅――「目に見えないコレクション」
 池内紀さんの解説によると、ツヴァイクのよさは、歴史を背負った人物を描くにあたって、事実だけじゃなく、その人の心理を生き生きと再現して“事実を詩のようにあしらって小説を作った”ところ。当時は歴史好きの多くの読者を心理ドラマで感動させる「高級な大衆本」だった。その一方で「八歳から八十歳まで読者がいる」ケストナーと同様に、通俗性のためにドイツ文学者からは敬遠され続けてきた。ツヴァイクのよき読者として知られていたのは児玉清さんで、ドイツ文学科の学生だったころに、辞書と首っ引きで読むほどお好きだったという。当初の予定通り学者になっていたなら、ツヴァイクについての著書も書いてくれたのではないか、と。
 せかいが終わるなら、最後に読んだのが当たりでよかったよかった、と思いながら、夜も更けてきたので、もう寝た。



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