6月18日

 さよなら、みなさん。


――『たったひとつの冴えたやりかた』


 今、私が驚いているのは、「踊る大捜査線」に出て来る柳葉敏郎が歯をくいしばって額に青すじを立て続けていることである。奥歯がすり切れるのではないかと、ずっとずっと気になっている。
 もうすぐ死ぬっていうのに、こんな人生でよいのだろうか。
 私は本当にミーハーだった。


――『死ぬ気まんまん』

 今日は311からちょうど100日目で、各地で慰霊が行われているらしい。
 下巻の原稿が上がって、何カ月ぶりかで出かけられるようになったので……とはいえ、来週からはまた打ち合わせやら対談が入っていて動けないので、昨日から仙台にきている。
 宿はもう通常営業していたけれど、やっぱりお客さんはまだまだ少ないらしい。廊下にお巡りさんが何人もいたので、なにかあったのかなと思ったら、「災害支援本部の晩御飯の場所→」と張り紙がしてあった。
 ……一人でよその土地にいると、いろんなことを考えるな。
 十代のころは、自分だけが正しくって周りの人の考え方がことごとくまちがってると思えて、でもうまく対抗できないもんだから、怒りのカタマリみたいに毎日、まんまるくふくらんでた。でも、いつのまにか、逆なんだ……。最近は、周りの人たちの意見が、それぞれにちがっても、みんな真摯で正しいと感じられて、眩しい。だけどその真ん中にぽつんといる自分だけが、そして自分なりにがんばって出した答えだけが、いつだって絶望的にまちがってると思えてならない。そして、世界はいまもやっぱりとんでもなく怖ろしい場所であり続ける。
 昼から、歩いてる。
 仙台から福島方面に南下する常磐線が、亘理駅までで止まってるので、そこで下車して東に向かう。
 いろんな意見が、すぐそばにずっとあった。どれもが真摯で正しいと思えた。テレビやPCの前にいて、いくら映像を視聴してても、実際に起きたことはわからない、ちゃんと現地を見るべきだ、と語る人たちがいた。逆に、興味本位なんかで見にこないでくれと怒る人もいた。誰ひとり、まちがってねぇなと思うのは、わたしが歳を取ったのかな?
 海に向かって、歩く。
 日が照ってる。
 一時間ぐらいすると、川の色が急に、見たことないような黄色っぽい黄土色になってきた。うちの田舎とそっくりな風景の田圃が、泥炭が乾いたようになってる。木の枝か流木みたいなのが落ちてると思ったら、泥にコーティングされてカチカチになった魚だった。
 さらに四十分ぐらい歩いた。
 泥色の乾いた魚が増えてきた。
 あちこちに黄色や緑の旗が立ってる。家の土台だけ残って、半分なくなった和式便器がむき出しになってる。生活用品が泥に埋もれている。一階だけほとんどなくなった家や、引き倒された電柱。渦巻き模様みたいになった松の木の残骸。
 もっと歩く。
 二時間ぐらい経つと、いつのまにか道の先にはもう建物もその跡もなくなった。なにもないところの先……荒浜港の海とのぎりぎりの辺りに、瓦礫を巨大な山にして、山のあちこちにブルドーザーが何台も止まっているものが、十個ぐらい焦茶色にそびえていた。
 もうもどらなくては、と一時間近く前からよくわかっていたけど、吸いこまれて歩き続けていた。
 なにもなかった。
 ここまでくると、急にどこからか車が何台もやってきては、わたしを追い越していった。様子を見にきた人たちらしい。同い年ぐらいの地元の男性二人組に「……物騒なんだぞ! 女の人一人でこんなところまで来るなよ!」と怒られた。「夜は真っ暗になるぞ」「せめて友達ときなさい」
 問われて、東京から、と答えたとき、とても恥ずかしかった。一人が「なんだよ、見学かよ」と怒って、もう一人が「千年に一度のことだからさぁ、見たほうがいいって」と笑った。ドラマに出てくるこわい刑事とやさしい刑事の二人組みたいだった。二人とも正しいと思って、わたしはまた自分だけがひどく間違ってたと気づいて本当に、本当に、恥ずかしかった。
 最寄の駅まで送ってくれた。
 残った建物を指さして「あれさ、テレビで映ってた、屋上にSOSって書いてた病院」「車からETCカードが盗まれるんだってさぁ。個人情報は売れるって。おい。よく思いつくよなぁ……」
 ……わたしがもうずっと抱えてる、この罪悪感の正体はなんだろう。
 いつから被害者じゃなくなったんだろう。
 歳を取ったのかな。
 気づけば、自覚としては常に加害者なんだ。若い人たちの人生が辛そうなとき、さきに戦った自分たちの世代のせいじゃないかと感じられて、たまらない。そして生きることはやっぱりすごく怖い。
 3月の後は、なにもできずただ傍観者になってること、原発の問題(うっすら怪しいと感じてはいたけど、ほっといた)、電力使いすぎ(東北からの電気で東京中をピッカピカに照らしてた毎日……)とか、それが原因だなとも思う。だけど、都会の人間のウンコみたいな罪悪感なんて被災地の人たちにはなんっの関係もねえよな。
 駅に着いた。
 優しい人たちの車を見送った。
 まだ昼過ぎだ。
 夜まで歩き回って、仙台駅にもどって、座りこんだ。
 一冊だけ持ってきた本を帰りの新幹線の途中で読み終わる。
 2010年に亡くなった佐野洋子さんが、08~09年にかけて〈小説宝石〉に連載したエッセイ『死ぬ気まんまん』。たしか去年、文庫で買ったエッセイ『覚えていない』が面白かった印象があって、手に取った新刊だ。

 死なない人はいない。
 そして死んでも許せない人など誰もいない。
 そして世界はだんだん淋しくなる。


 タイトル通りの心境で、まっすぐ歩んでいく著者の背を呆然と眺めながら、なぜだかジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『たったひとつの冴えたやりかた』のヒロイン、シルと宇宙人コーティーが光の中に元気よく去っていくあのラストシーンが思いだされて、仕方なかった。
 一度、トイレに立った。洗面所の鏡を見たら、日に焼けたはずなのに、顔一面が、薬品で漂白したような白さだった。
 席にもどった。
 窓の外が暗くなってきた。
 そして雨が降り始めた。



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