3月31日

地図であり迷路であった。二度ともとには戻せないものの。ふたたび同じようには作れないものの。

 あの子はきっと無事だよ。
 でももし迷子になったら誰が見つけてくれるの? あの子を誰が見つけてくれるの?
 善意が見つけてくれるんだ。いつだってそうだった。これからもそうだよ。


――『ザ・ロード』


わたし「イケメンが好きになってきました」
K島氏「なんですとーッ!!」
わたし「ギャッ……」

 鼓膜が破れるかと思った。うるさいなぁ、もぅ。
 大震災から約三週間が経った。今日は、K島氏とほかの作家さん、書店員さんたちとご飯である。
 被災地の様子や原発のニュースをずっと追いかけてる。
 東京の夜は相変わらず暗い。水道水を乳児に飲ませないようにというニュースが流れて、ミネラルウォーターがまた売り切れてる。一時的に西日本に行く人や、家族だけ実家に疎開させる人も増えている(近所の公園から、『ハーメルンの笛吹き』にやられたように子供が消えた)。西に出張に行ったK子女史やI井氏によると、向こうは夜も町が明るいし、なにより雰囲気がぜんぜんちがうらしい。確かに、〈週刊新潮〉に掲載されていた写真家の石川直樹さんの記事にも「(略)被災地は復興に向けて刻一刻と日常を積み上げようとしていますが、むしろ壊滅状態なのは被災地よりも東京の人の心かもしれません」とあった。もちろん、復興に向かってると一概にいえるかはわたしにはわからないけれど、都心をおおう悲しみと悼みの重さのほうは、こうして体感してる。
 とはいえ、おっきな余震がだいぶ減ってきていて、それだけでも気分がすこしちがうみたいだ。
 そんな中……

K島氏「イケメンがなんですって!?」
わたし「あ、いや……。そういえばI本女史も急にシイタケが好物になったらしいんですよ。その、もちろんシイタケと一緒にするのは失礼ですけど、わたしもですね……」
K島氏「……(不審の目)シイタケが、なに?」

 たとえば、だ。先週、被災地支援の音楽番組で、氷川きよしが花粉症らしく涙目で、自分の持ち歌じゃなく懐メロの『北国の春』を熱唱してた。それを見ながら、もしファンの女性が避難所のラジオで聴けたとしたら、この歌は確かな熱量を持って心に届くんじゃないかと思ったのだ。いや、氷川きよしってイケメンか? それはともかく。

わたし「人を幸せにしたり、なごませたり、高揚させる魅力を持つってのは、すごいことだなぁと思ったんですよ。彼らは完成度の高いエンターテイメントだったのだ、と。で、さいきんイケメンを見ても、幸せにはなれませんし高揚もしませんが少なくとも腹はまったく立ちません。あんなに偏狭だったのに。人は変わるのです(と、厳かに)」
K島氏「氷川きよしってイケメン?」
わたし「そこじゃない!」

 イケメンが議題だと、誰もわたしの話をちゃんと聞いちゃくれないという、この日常……。
 あれっ。そういえば、最近ずっと好々爺のように穏やか~になってたはずのK島氏が、今夜はどうも、最初に会ったころみたいなギンギラのドSキャラに唐突にもどってるみたいだ。これも震災のストレスというか心理的な影響かしらん……。
 帰り道。ここ一週間ほどずっとだけど、駅からうちまで、ロッキーみたいに走って帰った。えいほっ、えいほっ。がんばるゾ。
 帰宅して、『私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった』をゆっくりと開いた。第二次世界大戦のときに子供だった、日本、フランス、ポーランド、ドイツ、ロシアなどの16人の少年少女の手記を集めた本で、執筆を間近に控えた『GOSICK』最終巻の資料として買ったままになってたものだ。地震の後、手に取れなくて机の上に置いたままになってて、数日前からすこしずつ読み進めてる。
 一章分読んだところで、お風呂に入って、出てきて、地震で崩れた本の山から出てきた『ザ・ロード』(マッカーシー)の単行本を開いた。積み本にしたまま何年も忘れてた本で、確かもうとっくに文庫になってるはずだ。あの日、泊まった書店員さんたちが朝のうちに倒れた本をきれいにしてくれていて(す、すまぬ……)、たまたまなのか、それともこれを読みなされというメッセージか、いちばん上にポコンと乗ってたのだ。
 世界の終わりが訪れた大陸を、父と幼い息子がひたすら歩いている。「悪いことはなにも起こらないよね」「そのとおりだ」「ぼくたちは火を運んでるから」「そう。火を運んでるから」灰色の道をひたすら歩き続ける親子の行手に待つものは……。
 前とまったく同じ人なのかはよくわからないけど、あの人とよく似たわたしが、同じ場所に座って、黙って読み進めている。悲しみと希望が、善行と善でも悪でもない行為が、ひどくごちゃまぜになった生々しい人間の姿をまた読みたいと思い始めてるようだ。
 親子がどこかに向かって歩き続ける。
 本は読者を救う。
 人間のドラマは心をダメージから回復するものの一つだ、自分の心身で試されたことだから、確かだ、とユラユラと考えながら、味わい、噛みしめるようにゆっくり、ゆっくりと読み進めた。

(2011年4月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『荒野』『ファミリーポートレイト』『製鉄天使』『道徳という名の少年』『伏-贋作・里見八犬伝-』、エッセイ集『少年になり、本を買うのだ 桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』『お好みの本、入荷しました 桜庭一樹読書日記』『本に埋もれて暮らしたい 桜庭一樹読書日記』など多数。


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