背中に大きな石が当って私は前のめりに転びかけた。 ――「お供え」 子供たちもすでに石を握っていたし、小さなデーヴィー・ハッチンスンの手にも、だれかがいくつかの小石を握らせた。 テシー・ハッチンスンのまわりには、空いたスペースができ、彼女はそのスペースの中央に立っていた。村人たちがじりじりと近づいてくると、彼女は必死にそのほうへ手をさしのべた。「こんなのフェアじゃない」そう言ったとき、石がひとつ、その側頭部に命中した。 ――「くじ」 「やっと、外に出られたの」 ――「黄色い壁紙」 |
7月某日 梅雨が明けた。今年は猛暑だ。外がえらくむしむししている。 小説のほうがひとまず一段落したので、たまりにたまっていたエッセイの締め切りを順番にがしがし片づけていた、この日。ふらふらと仕事場のトイレに入ったら、そこは亜熱帯だった。 ドアも締め切っていて、冷房が届かないから、わずか半畳ほどの四角いタイルの個室はモァ~ッと蒸していた。 子供の顔面ぐらいあるおおきな葉を幾つも茂らせた木や、異国の大蛇みたいな蔦が四方に伸び、見たこともない極彩色のちいさな虫が無数に飛び回っている。あぁ、暑ッ、とタイルの床を見下ろしたら、翼を広げた始祖鳥の影が、異常なほど濃い黒色で、ゆったりと横切っていく……。 そんな幻影を一瞬、見た。 夏だなぁ。 暑いわー。 夕方まで、エッセイやコラムを書いてはメールで送り、するとFAXでゲラがくるのでチェックしてまた送り……と、細かいお仕事を片付けていた。そうしながら、パティ・スミスのおどろおどろしいCDをずっとかけていたせいか、それとも古屋誠一のおそろしい写真集をちらちら眺めていたせいか、ふっと《女流作家ぎりぎり世界アンソロジー》というのを思いついて、頭の中だけで勝手にリストアップし始めてみた。 シャーロット・パーキンズ・ギルマンの「黄色い壁紙」、シャーリィ・ジャクスンの「くじ」 はて、ほかにそういう作品、なかったっけ、と首をかしげて、ゲラをほっぽっといて本棚の前に行ってみた。エイミー・ベンダー、岸田今日子辺りにありそうだなぁ……。うーむ……。しかしぱっと思いだせん……。 こういうときはF嬢である。忙しいだろうなーと思いつつ編集部に連絡して、聞いてみると、 F嬢「あぁっ、ちょうどいま、うちのK島と、紀伊國屋書店新宿本店の日本人作家の棚の前で、醜い争いをして帰ってきたところだったんですよー。そこに、心の洗われるようなその質問! よーし、考えますよー」 メモメモ! 満足して電話を切る。と、あっ……アンナ・カヴァンを忘れてた、と閃いて、フンフンとうなずいていると、同時ぐらいにF嬢から「アンナ・カヴァンを忘れていたー! 鉄板のー!」というメールがくる。そうそう! とりあえず、落ち着いて仕事にもどった。 トイレの亜熱帯が滲みでてきたように、仕事場全体がモワァ~ッと暑い。まだ7月なのになぁ、この狂気のような暑さがしばらく続くのかと思いながら、ふっと息を吐いた。すると、本の記憶から飛び火してきた狂気の火の粉が、ぱっと飛び散って、余韻を残して、どっかに消えていった。 机に向かって、仕事を再開した。 |
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