桜庭一樹読書日記

2010.03.05

また桜庭一樹読書日記 【第9回】(2/3)[2010年3月]

しゃぶ
【しゃぶ】仕事の合間。焼き芋焼酎をロックでやりながら、しゃぶをいただく……。このシールだけおもしろいのでそーっとはがして保管。(桜庭撮影)

 法曹界には――主に弁護士がいうことだが――「七五三」という言葉がある。「被告人は弁護士に真実の七分を言う。検事には五分を言う。そして法廷に出るのは三分にすぎない」という判断を、子供の祝事の「七五三」に引っかけた洒落である。

「なにも殺さなくっても」

――『事件』

2月某日

 極寒。
 東京に幾度も雪が降る、いつもよりも寒い冬。
 わたしはというと、ここしばらく、『伏』の原稿を、きりのいいとこまで書いて、二、三日休んで疲れを取って、またつぎのセンテンスをガーッと書き始める、というのをひたすら繰りかえしてる。
 と、そういう、山と山の間の静かな渓谷のような、この日。『伏』の親睦会で、洒落た和食レストランにごはんを食べにいくことになった。
 メンバーは、挿絵画家さん、〈週刊文春〉の編集長、担当のフリル王子など、「八犬伝にちなんで八人!」である。デスクのS尾氏はお仕事で遅れてくるとのことで、まずは七人で始める。
 和食がちょっとずつ運ばれてくる。
 おいしい!
 ゆるやかな談笑が続く。
 ……オヤッ。フリル王子が、今夜は妙に静かである。疲れてるのかな? どうした? でも、顔を見ると黙ってニコニコしている。それに服が、真っ赤なニットで、かわいいお花飾りもたくさんついて、端っこの鉤針編みのところもフリルみたいにヒラヒラしてて、全体に静かだけど晴れ晴れしい。こりゃ、女の子が(いや、男の子だけど)疲れてる朝にクロゼットを開けて「今日は、これかな……」と選ぶ服じゃないよなぁ。
 一皿目。
 二皿目。
 三皿目。
 談笑が続く。
 編集長の芸能界メッタ斬り(これがすごくおもしろい!)のとなりで、王子はずっと静かで、なにやら黙々と飲み、お行儀よくご飯を口に運んでいる。
 四皿目……。
 に、小箱の形をした蓋つきのちいさな器に入った、しゃれた枝豆(金粉がついてる)があった。みんなでワーワーとしゃべっていると、フリル王子が小箱の蓋を開けながら、独り言にしては張りのある、若干おおきめの声で、

フリル王子「おやっ? なんだかエンゲージリングが入ってる箱みたいですねぇ」
編集長「えぇ~、そうか~?」
わたし「う~ん、そうかな~?」
フリル王子「いやー、ついそんなふうに見えちゃいました。ぼく、じつは、おととい結婚したものですからー」
一同「…………エッ、ナニ!? いまなんて言ったの!?」
フリル「(おっきい声で、滑舌よく)じつはおととい結婚しました!」
一同「ナ、ナ、ナニ!?」

 椅子から転げ落ちんばかりにおどろいた。
 おとといって……。
 びっくりしすぎてみんな静かだったけど、最初に冷静になったのはさすが百戦錬磨の(?)編集長で、エアマイクが見えるようなプロフェッショナルの取材モードで、でもなぜか、

編集長「やっぱり、相手は男装の麗人なのか?」

 って……聞くとこ、そこじゃない!
 みんなで身を乗りだして、出会いからなにからがんばって聞きだす。でも、なにしろたったおとといのことなので、まだデスクのS尾氏にしか教えてなかったらしく、文春の編集さんたちも口をポカンと開けている。
 あれ……。今日ずっと神妙な顔でもの静かだったのは、もしかして、これを発表するベストタイミングを模索してたのかな……?
 しばらくしてその話題が終わったら、フリル王子がまたもや思案顔になり「S尾さん……もうすぐきますかね……」とつぶやく。すると、ほかの編集さんたちもなぜか静かになり、理由はわからないけど、一同、一心にS尾さんを待ち始めた。なんだ、なんだ? S尾さんからもなにかあるのかな……?
 と、ようやくS尾氏がハーハーと肩で息をしつつ現れた。フリル王子の結婚の話題が、さっき枝豆の小箱からこんなふうに始まって、と説明すると、笑顔になり、

S尾氏「おぉ、おもしろいタイミングを探して、おもしろく発表したんだな。えらいぞ!」

 と部下の頭(天使のようなパーマがかかってフワフワしている)を撫ぜ、ねぎらう。
 それからまた談笑していると、なぜか、余所見をしている隙にフリル王子が真っ赤なニットをエイヤと脱いで、半袖のTシャツ一枚になっていた。寒いよ! 外は雪! どうしたの? と思ったら、例の、挿絵画家さんの手になる遠吠えする狼のTシャツだった。
 おぉっ、と思っていると、S尾氏もおもむろにジャケットを脱いだ。ほかの編集さんたちもつぎつぎにジャケットを脱ぎ、ネクタイもはずし、ワイシャツも脱いだ……ら、なんと、全員、狼Tシャツだった。そ、それで、さっきからみんな「S尾さんそろそろかなー」と待ってたのか……!
 と、ここらへんでタイミングよくシメのご飯がきた。
 なにかわからないけど、なにかがパーフェクトだった、この夜。
 夜がふけるとすごく冷えこんだ。帰宅してがんがんに暖房をつけた部屋で大岡昇平『事件』を読んだ。
 昭和三十六年、神奈川のちいさな町で、十九歳の少年が恋人の姉を刺殺し、捕まった。ドキュメンタリー風に裁判の様子とそれに関わる人々の心理を追いながら、物語は、「なぜ殺したのか」――ホワイダニットをテーマに、人の心という奈落にずるずると落ちていく。
 昭和五十五年に書かれた文庫解説に、これが日本推理作家協会賞を受賞したとき、著者は推理小説を書いたと思ってなかったのですごくびっくりした、とある。しかし、このころある雑誌の優れた推理小説を選ぶアンケートで、松本清張『点と線』、小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、坂口安吾『不連続殺人事件』に続いて名が挙がった、ともある。
 ニュースでひどい事件を見ると、人間って怖っ、と思うけど、この小説だと、事件の概要を報道された最初より、裁判によって罪が軽減されて許されていった後のほうが、どんどんわからなく、おそろしくなる。読み終わってサァ寝ようと目を閉じても、不気味な余韻が黒い波のようにずっと続いてやまない。



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