桜庭一樹読書日記

2009.11.05

また桜庭一樹読書日記 【第5回】(2/3)[2009年11月]

ま、また負けた……
【ま、また負けた……】二年ほど続いている、文春のI井氏との「おみやげ対決」。帰省した鳥取の「目玉親父キャラメル」で対抗したものの、出張先の北海道の「ヒグマと真っ赤なバイク」にまた完敗。ほんとうに悔しかった。(桜庭撮影)

「本ばかり読んでるから、ソーネチカのお尻は椅子みたい、鼻は梨みたいになっちゃったんだ」
 あいにくこの冗談はさほど大袈裟なものともいえなかった。

 しだいにソーネチカの読書は軽い狂気の様相を帯びてきて、眠っている間もそっとしておいてくれなかった。夢まで、「見る」というより「読む」といったほうがいいような按配なのである。心躍るような歴史小説を夢に見ることがあったが、物語の進み具合から本の字体を思い浮かべることができたし、不思議なことに段落や点線まで実感できた。

――『ソーネチカ』

10月某日


K村「あっ、iPhone!」
わたし「うん……。そう、iPhone……」

 夜八時ごろ。店に直接、適当に集合。
 で、〈小説現代〉のK村女史と、近所の日本酒バーにて待ち合わせ。来年、〈小説現代〉でなにか書こう、ということになったので、さっそく打ち合わせ(日本酒を冷で飲みながら)である。
 マスターが、カウンターの裏の薄暗がりから、とっておきらしい日本酒を出してくれる。なんだかわからないが、すっげぇうめぇ! ぐいぐい飲みながら、かんたんに打ち合わせして、その後、iPhoneがなんだかさっぱりわからない、という話をする。

K村「確かに、さっぱりわかってない人の、いまにも壊しそうな触り方のような……。あっ、そうだ。I本も呼んでいいですか」
わたし「は、はい」

 I本女史とは『ファミリーポートレイト』でお世話になった単行本の担当さんで、都会のお洒落なバーでグランドピアノを壊したり(よじ登ったらしい)、わたしに「向日葵の種を変質的に集めているような男と結婚しろ」と指令を出したり、吉井和哉というキーワードでなぜかボタンを押したように必ず爆笑したりする人である。
 そういえば、前のPHSといっしょにデータもなくしちゃったので、飲みながらK村女史の携帯番号を聞いて登録したりした。K村女史もまた自分の携帯をいじっている。二人、無言のまま数分が過ぎる。日本酒だけがぐいぐいと減っていく。
 と……。

わたし「わーっ!」
K村「はい?」
わたし「ごっ、ごめんなさい。いま、番号を登録してるつもりで、K村さんに七回もかけちゃってた。タッチパネルだから、名前を触ると勝手にかかっちゃうみたい」
K村「ようやく気づいてくれましたか……」
わたし「あれ、いま、K村さんって、なにしてたんですか」
K村「隣に座ってる作家さんからの、謎の着信を、黙々と消してました」
わたし「えっ、I本さんにメールしてるのかと!」
K村「それはいまからです!」

 うーん。iPhone……。
 しかし、慣れてる人にこれの使い方を聞こうにも、身近にいるiPhone所持者が、角川文庫のG司編集長と、東京創元社の社長である。偉い人だから聞きづらいなー。と、考えていると、日本酒バーの薄暗い入口にI本女史が現れた。暗闇に、チェシャ猫の幻のように、満面の笑みだけがぼーっと浮かびあがっている。
 確か編集部から直行してきたはずだけれど、一杯飲んでいるようなハイテンションである。傍らの、酒と葉巻とミステリを愛し、休暇が取れれば世界の紛争地域を一人で旅する、というK村女史の静謐さとは正反対で、

I本「桜庭さーん! なに! iPhone? うちの若いのが使いこなしてますよ、SFみたいに! 呼びだして使い方を教えさせましょう、えっ、偉い人じゃないか? 若いのだからちがいますよ、あっ、でもそういえば宇山日出臣の甥っ子だワー」
わたし「えっ、それ、ある意味、偉い人じゃないですか?」
I本「あっ、はっはは、おもしろい! ……ちっ、留守電だった!」

 そういえば会うのが久しぶりなので、二人から、痩せた、髪のびた、とやいやい言われる。最近おもしろかった本、というので、『儒教と負け犬』(酒井順子)の話をする。
 日本、韓国、中国にわたって著者が取材するうちに、わたしたちも、その親の世代も自然と身についている儒教文化――たとえば「目上の人を大事に」とか「男は男らしく、女は女らしく」が、家族や男女のあり方に影響してる、とわかってくる。ある世代の女性限定じゃなくて、広く網羅する、優れた文化論だなぁ、と思ったのだ。
 この本はどうやらI本女史がつくったらしい。ふーむ。『ファミリーポートレイト』を書いたとき、「日本には欧米のような宗教観がないので、物語に重みを持たせるため、宗教の部分に“家族”をおいて書いたんだ」とよくインタビューで話したけれど、この本を読んだら、日本では家族というものが、儒教観とすごくかかわってて、みんなの考え方に影響してるとわかって、なんだか、シンクロしてるものを感じたのだ。
 あと、I本女史が、出たばかりの中島京子さんの『女中譚』の話をする。〈小説トリッパー〉に載ってるときから読んでて、かなりツボだったので、「『FUTON』以来のインパクトでしたよ、あれも大好き」と身を乗り出す。あと、K村女史がやっぱり雑誌掲載時からすげぇよかったと言っていた『掏摸』(中村文則)も、もう刊行されてた。あっ、それで思いだしたけど、去年か一昨年、〈すばる〉に載ってた安達千夏さんの中篇「ダリアと官僚とセックス」はまだ本にならないのかな、好きなんだけど……、とか、〈オール読物〉に載ってた角田光代さんの短篇「道理」がすっげぇよ、鳥肌たったの、とか、最近の日本の作品の情報交換をする。
 そういえば、しばらく海外物とか昔の本の復刊ばかり読んでたので、夢から醒めたように、21世紀の日本の小説界に、もどってくる。
 でも、すごく酔っぱらって、家に帰って、風呂に入るとあぶないのでそのまま寝転んで本を開いたら、あれ……また海外物だった。『ソーネチカ』(リュドミラ・ウリツカヤ)。ロシアの女性作家が書いた中篇だ。
 わたしは普段、新宿でほとんどの用が足せるせいか、めったに池袋に行かない。でも半年に一回ぐらい、すごく髪がさらさらになるストレートパーマをかけに行く美容院(女の編集さんに教えてもらった)が池袋にあるのだ。いつもはやめに出て、リブロとジュンク堂を流してから、大荷物で美容院に顔を出す。で、これは確かジュンク堂でみつけた。
 本の虫で、鼻が梨そっくりのソーネチカは、人生に期待せずにひっそりと暮らしていたが、フランス帰りの芸術家に見初められ、夫婦になる。静かな幸福が、静かに信じられないソーネチカ。やがて娘が大きくなると、夫に若い愛人ができる。でも、ソーネチカにとっては、身の丈にあわない幸福を手に入れた恍惚よりも、喪失こそが確かなものとして信じられるのだ……。
 と、いう話だと思って読んだのだけれど、本についてる解説や書評の抜粋を見ると、そういう話じゃなかったのかも、しれない……。
 梨鼻のソーネチカは、人生を手に入れよう、勝とうとして闘わない。幸福には怯え、不幸には微笑みつつ、どちらも受け入れて静かに生きる。
 この生き方を、不思議な未知の価値観との出会い、とおどろく読者と、自分みたいだな、わかるー、と共感する読者にくっきりわかれる本、という気がする。あ。前者だと純文、後者だとエンタメとして読まれるのかしら? ちがうかしら?
 とても個人的な、深い共感の海を漂いながら、それにしてもぜんぜん日本酒の酔いが醒めないので、いつ風呂に入れるんだろうと苦悶しつつ、うつ伏せに倒れて、寝ちゃった。



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