桜庭一樹読書日記

2009.09.07

また桜庭一樹読書日記 【第3回】(2/4)[2009年9月]

一年もかかった
【一年もかかった】「岡山制圧、って言われても!」とK島氏がこのページでもしみじみ。都会なので、島根と比べると、小豆もちょっとてこずった。(桜庭撮影)

 正広は間もなく、めそめそ泣きだした。
「お母ちゃん、歩けない」
 正広のことなんかかまっていられない。
 私は正彦を十歩は抱いて歩き、十歩は手を持って引きずって行った。(略)
「正広、なにをぐすぐずしている!」
「正彦、泣いたら置いて行くぞ!」
 私はこの時初めて男性の言葉を使っていた。自覚しないで私の口をついて出てくるものは激しい男性の言葉であった。

 山の麓まで来ると山の至る処が日本人の絶叫で満ちていた。
「馬鹿! もうすぐだ」
「よし子どうした、頑張れ、やい!」
 といった男の声、男のような女の声で山は鳴りひびいていた。私たちだけではない。他の人も半分気が狂っているに違いない。私は二本の手と二本の足で四つんばいになって山を登っていった。

「まだ生きている、まだ生きている」

――『流れる星は生きている』

8月某日

 ばたばたしてる。
 『製鉄天使』のゲラをエイヤと片付けて、秋から〈週刊文春〉で始まる長編小説の準備をしている。初めて、いわゆる“時代物”を書くので、ああでもない、こうでもない、と毎日やっている。
 すると、あぁっ、うっかり風邪引いた。
 〈小説現代〉のK村女史から連絡がきたので、

わたし「夏に風邪引くと、母から『夏風邪、馬鹿がひく』って言われるからいやなんですよー」
K村「ふぅむ。そういや、わたしはよく母から『馬鹿は風邪ひかない』って言われましたねー」
わたし「げっ!」

 風邪をひいても、ひかなくても、どっちにしろ、母から馬鹿って言われるのが宿命なのか……。ま、ともかく、薬を飲んで、本読んで、寝て、さっさと治すことにする。
 なんとなく平積みになっていたので買った、『流れる星は生きている』(藤原てい/中公文庫)を手に取る。作家、新田次郎の奥さんが、子ども3人を連れての満州からの引き揚げ経験を描いたノンフィクションで、当時はベストセラーになった。
 昭和20年、満州。
 男たちはおらず、女と子どもが、悪夢の行軍をいく……。
 最初のほうで、ある男性が妻に充てた手紙の「三人の子供は鉄と銅と水銀のようにそれぞれ違った個性を持っている。お前がどんな逆境に立ってもけっして子供たちの個性を無視しないでくれ……」を読んで、いいなぁと思ったものの、その後の帰国までの行程があまりにも凄まじくて、男となって子どもを叱咤しながらいく母親達の姿にいつしか同調して、だんだん、さっきの涼しげな手紙にむかむかと腹が立ってくる。そんな素敵な理屈で、生きて帰れるかい、あのすっとこどっこいめ、と怒りながら、頭の中で山を彷徨う。
 3人の子どものうち、次男の正彦って、どっかで聞いた名前だと思ったら、無事に帰国して、大人になり、数学者になって、ちょっと前に『国家の品格』がベストセラーになった、例のあの人だった。途中で気づいて、ものすごくびっくりする。遠い過去のお話のように思って読んでいたものが、とつぜん平成に接続されたみたいだ。
 読み終わって、ふと、自分の祖母のことを考えた。祖母も、わたしの母やら、子どもたちを連れて満州から帰ってきた引揚者だった。そのころの話を聞くのが、ちいさいころ、好きだった。ことにスペクタクルなのは、いよいよ船に乗る段になって、
「おおきい船とちいさい船があってねぇ、おおきいほうが安心だから乗ろうとしたら、タッチの差で出ちゃった。仕方なくちいさいほうに乗ったらねぇ、しばらくして、目の前で、おおきい船が魚雷で沈んでいったんだよねぇ」という下りだ。
 著者近影の目は、祖母のそれと同じく、石のように強固で、顔の奥のほうにグイーッと埋まっている。ような感じが、する。この経験を経た女の人は、女であって、もうただの女じゃない。でもその苦しさと、強さの理由を、後の世代の自分たちはわかってないように思えてくる。血が繋がっているのに、時代がちがうから、理解者になれない。ただ強くってこわいひと、として、語り手たる子や孫たちは、石の目をしたグランドマザーたちを遠巻きにしている。
 うーむ……。
 と、あれこれ思いつつ、寝た。
 すると明け方ごろ、おおきな地震があった。静岡のほうが震源地だったらしいけれど、東京もそうとう揺れた。
 石の祖母は強い(昔、地元でおおきな地震があったとき、3時間近く電話も不通で、心配して東京からかけ続け、ようやく繋がったので「大丈夫ー!?」と叫んだら「……なにが?」と聞き返された。NHKニュースではマグニチュード7ぐらいあったはずなのに)。しかし、孫娘たるわたしは身体的危機に慣れていない。寝ぼけ眼で、あわてて、とっさに「あっ。なにか家具の下にもぐりこもう。机とか、ええと……」と、ワンルーム・ディスコを見回した。でも、なんと、家具はコタツ(それも10年以上前に無印良品で買った、一人用のボロボロのやつ)しかなかった。もぐりこむと手と足ははみだして、コタツ亀になるやつだ。
 シンプルライフ……。
 もぐる家具さえない、白い日々……。
 ……ま、いいか。
 と、思って、そのまま引き続き、寝た。



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