「わたしをそっとして置いてください。なぜ、あなた方はわたしをいじめるのですか?」

――「外套」

6月某日

 お仕事終わって、散歩して、帰宅して。
 で、夜八時半。
 新大久保のドン・キホーテ前。
 夫と二人で、ぼうっと立っている。
 今夜はお祝いにぜんじろうさんがご馳走してくれるということで、家から30分くらいぷらぷら歩いてやってきた。
 二人並んで、同じほうに首をかたむけ、なんとなく車道のほうを見ていたら、背後から、チャリンコにまたがったぜんじろうさんが「おまたせぃ」と、颯爽とやってくる。
 チャリンコ!(って、自分も徒歩だけど……)
 韓国料理屋に入って、いろいろお話する。最近おもしろかった本は、ニコルソン・ベイカーの『中二階』らしい。おっ、岸本さん訳のやつだ……。ぜんじろうさんのお話は、すっごくおもしろい。って、お話する仕事の人だから、そりゃそうか……。
 関西弁の「なんでやねん」は、標準語の「なんで?」とちがって、疑問形じゃないから、言われた相手も答えずに笑ってたらいい。このニュアンスは外国語にも翻訳できないし、関西弁以外の同じ日本語でも当てはまる言葉がない。で、日本の関西地方にどうしてこういう、懐の深いよい言葉が発明されたのか……というと、梅原猛の「仏教伝来説」とか、司馬遼太郎の「商人社会説」とか、いろいろあって……。
 へぇー、と感心して聞いてるとき、脳裏に、急に、どかーんと爆発するようによみがえった記憶があった。
 ずーっとずーっと昔のこと、日本語がよくわからないという知らないアメリカ人の人に「切ない」という言葉を説明しようとして、がまの油が滲みでるほど頭を絞ったあげく、

昔のわたし「えー、“悲しい”と“美しい”を同時に感じて、そのうえでその感情を“好き”なわけです。けっしていやな気持ちじゃなくて。うーんと、むー、そうですねぇ……」
アメリカ人「……おぉ!(と、急にわかった顔)」

 このときの苦悶のがまの油の記憶が残ってて、だいぶ経ってから、“可哀想”なものが“可愛く”思えるときがあるなぁと思いついて、それを“可愛そう”という造語にして『少女七竈と七人の可愛そうな大人』を書いたんだった。
 ……うーんと、むー。
 あんまり、黙ってそんなことばっかり考えてると、暗い子とか理屈っぽい女の人だなぁと思われそうだし、なんというか、どんどん、世の中にうまく対応できない弱い人間になってしまいそうで、なるべく隠そうとしちゃうんだけど、うーんと、むー。でも、べつに考えてもいいし、そんな話をときには人にしたっていいんだよなー。とか、なんとか、考えながら、またぷらぷらと帰ってきた。お勧めの『中二階』、読んでみよ。
 帰宅して、風呂に入って、出てきて、寝転がって、ゴーゴリの『外套』を大人用の絵本にしたやつ(未知谷)を読んだ。ロシアの小説ってじつはあまり読んでなくて、ヨーロッパとか南米の本のほうが自分は読みやすいなぁ、と思ってたんだけど、大好きな『文芸漫談』の新刊で爆笑の本だと書いてあったので、買ってきたのだ。
 読み始めると、確かに爆笑だ。主人公の役人は、短靴を意味する苗字をもってるんだけど、先祖もみんな長靴を履いていた、とか、情けない主人公に常に著者がつっこみをいれる。ぼろぼろの外套を新調しようと家計をやりくりし始めた途端に、目標を持たなかった主人公の生活には奇妙な張りが出るのだが、ようやく外套を手に入れたその夜、喜劇的悲劇が起こる……。
 短い話の中で飛ぶように月日と人の心が流れて、どこもだれるところがなくって、ページをめくる手も、笑いも、止まらない。なのにずーっと、物悲しい。あまりにおもしろいので、傍らにいた夫に、要点だけ再構成して読みあげてみる。やっぱり爆笑である。ゴーゴリ、おもしろいなー。
 緻密に計算されてつくられてるようで、衝動でできている部分もあるようで、短いのにものすごく長い物語を読み終わったような充実があって、でも、どうおもしろかったのか、いつまでも整理できない……。よくできてるはずなのに、この“割り切れない感じ”が残ってしまうのが、よい小説なんだぞ、と思った。胸の奥で本の残滓がコトコト鳴るので、夜が更けて眠くなるまでそのままじっとしていた。


高粱も人も、時という花が実を結ぶのを待った。

――『赤い高粱』

6月某日

 いつも通り、夕方までお仕事して、近所をぷらぷらする。で、夜。タクシーで移動中の、文春のI井氏に、新宿でひょいと拾ってもらって、銀座のレストランに向かう。日本推理作家協会賞の受賞パーティーの日なので、受賞者、道尾さんの二次会に顔を出したのだ。
 道尾さんもI井氏も、ちょうど第一子が生まれたばかり。
 おめでたいことだ。
 おぉ、時はこうしてどんどん流れていく。
 会場に入ると、K島氏を発見。つい気がゆるみ、冗談で、運ばれてきたピザの皿を指差して、「腹がへったー。おい、おい、ピザとってこーい」と言ったところ、周囲の気温が五度ほど下がり、黙って立ちあがって小皿にピザを載せてもどってきたK島氏に「食えっ、食えっ」と小皿で顔面を押されて、心の奥底から後悔する。ドSだとわかっていたのに、どうしてあんな軽口をたたいたのだろう……。涙目でピザをもそもそ食べているところを、I嬢が携帯でもって動画撮影している。こら~……。会社に帰ってみんなに見せる気だな~……。
 飲み物のメニューを見ていたら、聞き覚えのない「ゴッドマザー」というカクテルをみつけてネーミングにグッときて、「それ、きっとまずいと思うよ」という道尾さんの冷静な忠告を聞かずに注文し、届いたグラスを鼻先に近づけ、心の奥底から後悔する。すげぇ異臭がする……。梅酒をウォッカで割ったような奇怪な臭気が辺りに漂う……。グラスを奪い、クンクンかいだ道尾さんが「うーん、チェリーじゃないの。うーん、ほかのを頼みなよ」「いやっ、これを飲む。自己責任っ」「……えー」
 二次会が始まると、つぎつぎ豪華な先生方がきて挨拶する。わたしも最後のほうでちょっとマイクを持つ。いつも緊張するけど、挙動不審にならずに、こういうときも堂々としゃべれるようになりたいものだ……。また座って、激しい異臭を漂わせるゴッドマザーをかたむけながら、道尾さんとちょっと話す。ある先輩の作家さんが、「家族は孤児院のようなもの」とおっしゃっていた、とI井氏から聞いたので、そんな話をすると、「うーん、そうだな。だから、いいんだよ。ここから始めれば」と返事が返ってくる。
 うーむ。
 孤児院。
 うーむ。
 わたしもいつか、牛から転生(なの?)して、謎の一族のゴッドマザーになれるだろうか。
 でも、異臭はやだよなー。
 ほろ酔いの、帰り道。
 別れ際にK島氏に、「ピザの件は忘れてくださいー」と言うと、じつに気持ちのよい、さわやかな春の夜風に乗って、

K島氏「あははは。十年経っても、覚えてますよ~」

 という答えが返ってきた。周囲で編集さんや書店員さんが爆笑している。嗚呼……。
 帰宅して、風呂に入って、買ってきたばかりの『赤い高粱』(莫言/岩波現代文庫)を読んだ。ちょうどいま、紀伊國屋書店新宿本店の二階で世界文学と日本文学のフェアをやっていて、それがめっぽうおもしろいのだ。書店員さんたちのセレクトなんだけど、ユイスマンスの『さかしま』や、ギリシャ神話『オイディプス王』、ノーベル文学賞を獲ったドリス・レッシングのSFみたいな奇怪すぎる異色作『破壊者ベンの誕生』やら、もう、めちゃくちゃでおもしろくて、コーナーに通っては買い占め、をすでに四回ぐらい繰りかえしてるのだ。で、この本もそのときの収穫だ。
 莫言は確か、伊坂さんがお好きだったはずだ……。1955年生まれの中国人の作家で、『百年の孤独』を触媒として、故郷を舞台に、真っ赤な高粱畑と、女の纏足と、血肉の飛び散るこの物語を書いた。主人公による一族の歴史は、輿の中で纏足が揺れる、祖母の輿入れから始まる。そうして祖母の死で断ち切られて、父とともに、歴史のない時間に放りだされて、以降はただ、漂う。ものすげぇ、粗野で、この描き方じゃなきゃ伝わらないことを世界に向かって叩きつけるように書いてて、読み手も自分の中の粗野なところを掘りだしながら読まないと、お行儀いいままだと、クラクラする。そうだ、粗野っ、粗野っ、と思いながら夢中で読んで、それにしても、謎の一族のゴッドマザーは怖いわーと思いながら、布団に潜って、ぐたっと寝た。

(2009年7月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『青年のための読書クラブ』『荒野』、エッセイ集『桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』など多数。最新刊は『ファミリーポートレイト』。


ミステリ、SF、ファンタジー、ホラーの月刊Webマガジン|Webミステリーズ!