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2018.06.28

「レイコの部屋」傑作選 vs.ワシントン真澄さん(ハイカソル編集長)後編

ミステリーズ! 76
 隔月刊でお届けしている『ミステリーズ!』に不定期連載中、編集部Fが出版業界のプロフェッショナルからいろいろ知識を授けてもらうインタビューコーナー「レイコの部屋」より、よりぬきで『Webミステリーズ!』に再掲いたします。

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 【前回までのあらすじ】

 前号でご案内したとおり、出版界を生き抜く若人(わこうど)のためのサバイバル狂奔じゃない教本「レイコの部屋」ハイカソル編集長・ワシントン真澄(ますみ)さんインタビューは前後編となりまして、今回は後編をお届けします。
 前回までのあらすじ――アメリカから来た凄腕の刺客、ワシントン真澄の前にあえなく敗北を喫したレイコ。「レイコよ、フォースを使え」師の教えも空しく、ふて腐れて酒をかっくらっていたレイコは、2ヶ月で4・5キロ太ってしまった(実話)。
 ちがーう、ええと、日本の小説を英語に訳すと分量が原書より確実に増えるという話題で、それは日本語はもともと簡潔で短い文章がよいと(不要な主語や目的語を削る)されがちなため、英語に訳す際には省略された語を補わなくてはいけない、ただそれは作品のタイプや文体に相当左右されるよね、というところまで話しました。

レイコの部屋第19回
 vs.ワシントン真澄さん(ハイカソル編集長)後編


ワシントン真澄さん(以下真)「日本語の小説を英訳する際の苦労についてですが、ニック・ママタス(注・ハイカソルの編集さん)によると、一番特徴的な文体で、それをなるべく壊さないように注意したのが京極夏彦(きょうごくなつひこ)さんの『ルー=ガルー』だそうです。彼は『俳句ノベル』と呼んでいました(笑)。文体が特徴的なところに、小説の面白さがあると」
SF班K浜「そういう文体に特徴のある小説は、いわゆる一対一翻訳を目指す、というのが正攻法なんでしょうか? 例えば、黒丸尚(くろまひさし)さんが意識的に試みられていたことですが、語順をなるべく崩さない翻訳というか……」
真「文章の意味だけを単純に英語に移し替えるだけでは、日本語で読んだときに受ける感覚が再現できないということでしょうね。普通の翻訳ではあまりしないタイプの苦労だと思います。日本で書かれているSFやファンタジーは、人名の付け方や世界設定など、その創作の根底に翻訳もののSF・ファンタジーの影響があることが多く、英語に移し替えるのはそれほど難物ではないはずです。しかし日本の小説の書き方は、普段アメリカのエンタメに慣れ親しんでいると省略的に思えますね。『もっと描き込んでもいい』と思えるくらい話運びも早く、文章も簡潔」
 ――それは意外ですね。日本では無駄が多いと、作家の技量が足りないと思われる。
K浜「逆に日本の翻訳者は原文の骨子をつかんで、日本語では省略の必要な部分を捌(さば)いて訳していかないと、文章の流れが滞(とどこお)る。もちろん文章構造の違いで補わないと流れないこともありますが。で、ボリュームを引いていくことは可能だけど、逆に簡略化されているものを増やすことはできないですよね」
真「たとえば、小松左京(こまつさきょう)さんの作品はとにかく壮大で、『復活の日』なんてあんなに凄く大きな話なのに、これがなんと文庫一冊にまとまっている。アメリカ人だったら全く同じ話でも倍以上書きますよ。『復活の日』は書き下ろしですが、ほかの作品にも共通する第一世代の作家に顕著なミニマムさは、そんなに長いものは掲載できないという、雑誌上の制約を意識する中で書かれたせいですかね?」
 ――その話、面白いですね。枚数制限が小説のスタイルを変える。
K浜「発表媒体に適応した進化が果たされる(笑)。英米はとにかく理屈で書きますね。日本人はむしろ感覚的に書いていて、特に新人賞の選考などでアマチュアの創作を読むとわかるんですが、小説の構造は理屈で組み立っているということに気がついていない人が多い」
真「言語形態の差は大きいと思いますよ。日本人だと、漢字の一文字に大きい意味を持たすことができる。その極北が酉島伝法(とりしまでんぽう)さんの『皆勤の徒』だと思いますが(笑)、ほかにも、ルビなどで全く違うニュアンスを込めることもできるし、一行の中に込められる情報量が多い」
K浜「たしか酉島さんご自身から伺った記憶があるのですが、枚数制限のある新人賞に投稿する際、なんとか規定の百枚に収めようと苦闘していて、一つの文章に複数の意味が込められないか、と考えた末にあのスタイルにたどり着いたということをお話ししていたような」
真「出版形態に縛りがある結果、文章を圧縮するテクニックが活かされるようになるということは、先程触れたところではありますが、日本では、雑誌などの発表媒体ゆえの枚数の制約や、コンテストの枚数制限というものが常にありますね。雑誌では分載するか、連載して原稿を集めて一冊にまとめるとか……アメリカの場合、そういうことはあまりないですね」
 ――持ち込みはあっても、そもそも新人賞自体存在しないんじゃ?
真「ほとんどないですね。それに雑誌やオンライン雑誌でも一定のワード数の基準はありますが、日本ほど長さは気にされません。雑誌媒体で受け入れられやすく、発表の機会が大きいことから、3000から5000ワードぐらいの短編の裾野がものすごく広大で、作家志望者はまずはどんどん短編を書いて投稿することから始めます。作品の形態としてショートストーリー(短編)、ノヴェレット(中編)、ノヴェラ(長編に満たない長めの中編)という縛りはあっても、長さに幅があって、その中で収まればきっちりとした枚数は問われない。そしてノヴェル(長編)が書ける作家になっても、枚数規定が厳密にあるわけではない。そういう環境下で書くのと、発表媒体によって調整力が求められる日本の作家とでは、書き方は変わってくるでしょう」
K浜「日本での電子書籍の黎明期(れいめいき)、紙の本と電子がシェアを半々に分けるくらい成長するんじゃないかと期待されていた頃、短編作家たちは、短編一本でも手軽に商品化できるようになる、と夢見ていたけれど」
真「初代Kindleが発売された頃は、よく言われていましたね。アメリカでも電子書籍が本格的に販売され始めた当時、これは紙の本から完全に電子へ切り替わるんじゃないかという空気はありましたけど、現状はうまく共存できていると思います。とは言っても、やはり印刷された本が『いわゆる』書籍であることに変わりはないですね。デジタルならではの企画ということで、Tor Booksが2~3万語のノヴェラを単品で刊行したり、少部数のプリントオンデマンドを試したりと、実際色々な試みがされています。今まで分割して雑誌に載せなければいけない長さのものも電子で出せるようになりました」
 ――紙の部数と電子の部数、売上の比率はどんな感じでしょう?
真「アメリカでは同時発売がデフォルトで、紙の売れ行きに対して電子が2割から3割というのが定説になっています。面白いことに、紙の本の売上はなかなか伸びないのに電子が伸びて、売上が半々というケースもありますが」
K浜「それ、まだ日本ではあまりない事態かもしれません。出版社の手応えとしては、電子は紙の部数の1割売れていれば好調という感じです。勿論漫画はだいぶ違いますが、小説だけでいうと、どこの会社に聞いてもだいたい5パーセントから7パーセントくらいのようです。作品によっては一割以上売れることもありますが、明確な理由はたいていわからない(笑)」
 ――たんなる感覚ですが、SF作品は電子書籍が強いなあと思います。
K浜「確かに親和性は高いみたいだね。
 すみません、僕からもちょっと伺ってみたいことがあります。10年ほど前まで日本の小説をアメリカで売るときにはエキゾティシズムが重要視されたと聞きます。例えば菅浩江(すがひろえ)さんの「そばかすのフィギュア」は、アメリカの年刊SF傑作選に採られるほど高い評価を得ましたが、これは秋葉原独自のフィギュア文化という背景もふくめて評価されていると思う。こうした日本独自のカルチャー、オイラン、スモトリ、フジヤマ的な東洋趣味が必須とずっと言われていたのを、ハイカソルが翻訳を出し始めた途端、この定説があっという間に覆された」
真「私はその教え、ジャポニズムを重視せよという定説をまったく知りませんでした(笑)。でも、ハイカソルで初めに刊行した四冊、桜坂洋(さくらざかひろし)さんの『All You Need Is Kill』、小川一水(おがわいっすい)さんの『時砂の王』、野尻抱介(のじりほうすけ)さんの『太陽の簒奪者(さんだつしゃ)』、乙一(おついち)さんの『ZOO』――『ZOO』は短編集なので少し違いますが、それぞれ日本人が主人公のものを選びました。また、選定の際には通常のSFの文脈、あるいはSF的サブジャンルの文脈で違和感なく読めるものにしました。未来や近未来、異世界なら、文化的背景の知識を必要とせず、日本に興味のない読者でも違和感なく読めると思ったからです」
K浜「『アメリカ人でも書けるものは求められていない』と言われることが多い、と聞いたことも」
真「きっとその時代に主流だったアメリカSFと比較して言われたのだと思います。かつてのアメリカSFは、白人男性の価値観に準じて書かれていたので、その時代に日本のSFを紹介するとしたら『全く違う文化背景で書かれた』という特色がなければ興味を持たれないという考えだったのではないでしょうか。現在ではその頃に比べSFの多様性が進んでいます。英語で発表された作品でも、著者が英米出身ではないケースもありますし、ケン・リュウのように自身の背景にある中華色をうまく作品に織り込んでいる著者もいますし。著者と読者が違う場所で生活していて、書かれた場所と読まれる場所が違っても、作者と読者が同じ時代に生きていれば、それは大きな共通項ですよね。そこで特に『日本ならでは』と意識することに、あまり意味はないと感じています」
K浜「90年代前半にアメリカではマイノリティ民族の小説が注目された時期がありましたね」
 ――コミックやアニメの近接ジャンルにSFやファンタジーがある、とおっしゃっていましたが、じつはコミックにおいても、そういったジャポニズムを加えて考慮されて、訳される作品が選ばれていたのでしょうか。
真「逆にかつては、漫画はあまりにドメスティックなものは受けないとされ、日本要素を意識しないロボットものやファンタジー中心の作品が選ばれていました。でも漫画の人気が出始めた2000年代に入ってからは、昔は受けないと言われていた学園ものの少女漫画なども、徐々に人気を集めるようになりました。決まった制服を着て登校し、教室では席順を皆で決めて座るなど、アメリカと全く違う学校生活を描いたストーリーを、普通に北米の読者が受容して、今やそのコスプレまでしている。その世界が気に入りさえすれば、少なくとも設定面においての文化的差異などはあまり問題にならず、受容される。漫画がそうであれば、小説においても同様でしょう」
K浜「アジアでの日本漫画と同じような受け容れられ方ですね。台湾や東南アジアでも『ドラえもん』は大人気みたいですが、漫画で描かれている畳(たたみ)や土管は、彼らには異様に見えるはずですよね。でも違和感なく読まれているとしか思えない」
真「自分が子供だったときにアメリカから来た作品を、文化の違いをよくわかったうえで観賞していたかといわれると、それは違うと思います。見知らぬものを素敵だと感じるか、違和感を持つかは分かれると思いますが、きっとお話が面白ければそれほど気にならないでしょう。人気を博すかどうかは運次第だと思いますが、基本的に面白いと思われたものは受け容れられる。そうは言っても、漫画にしても小説にしても、何が本当に受けるのかは、相変わらず蓋をあけてみるまでわからない」
 ――刊行する側は常に文化的差異を気にしますが、共感できる箇所さえがっちりつかんでおけば、細かい部分の違いは思ったより気にされないかも知れません。
K浜「たとえば今日本で流行っている、引っ込み思案な女がどうしたこうしたっていう恋愛小説はどうですか。アメリカだとこういったうじうじした感性は受けないんじゃないですか?」
 ――それはあまりに偏見が過ぎる(笑)。
真「アメリカでもそういう本は書かれていますよ(笑)。もてない女の子や引きこもりの女の子の恋愛事情を描いた作品は、小説よりコミックに多いかもしれません。同人誌的な出方ですが、オルタナティヴ・コミックといって、いわゆるアクションやSFではない、家庭問題をテーマにしたものなど等身大の生活を描いた作品もあります。ブロードウェイのミュージカルにまでなったコミックもありますよ」
K浜「漫画こそ、省略の文法の積み重ねで出来上がっていますよね。日本の色々な産業はアメリカの5年遅れ、10年遅れで進んでいると言われますが、逆にコミックやアニメは10年遅れでアメリカに普及している感じでしょうか」
 ――先程の少女漫画の受容と同じ話かも知れませんが、異文化の普及によって国内にも新しいタイプの書き手が誕生する。
真「SFに関しても、ジャンル性に縛られない新しい書き手が出てきています。単なる設定の問題ではなくて、小説の境界を越えるというか、文化的な境界が曖昧になっている。いろいろな背景の人が自由に書いている中で、サブジャンル的なカラーが薄くなりつつあります」
K浜「それは今まで出版産業を支えていた、小説雑誌文化の敗北なんじゃないかとも思うんです。『雑誌こそがジャンル』――つまり、『この雑誌に載るような小説』というものが、かつてのジャンルを形成していたと考えるなら」
 ――現在は、不景気ゆえに突出した売上のジャンルがない中で、隙間産業的なものが相対的に注目を浴びて、結果的に商業ベースで好調に見える背景もあるとは思いますが。ただ、これまではジャンルの強いカラーが読者を牽引していた。
真「クラシックなものにも相変わらず根強い支持者がいますが、オンライン雑誌などもいまは間口が広くて、クロスジャンル色が強い作品でも、『これはSFじゃない』などと言われずに掲載されています。ただ、その揺り戻しが2015年のヒューゴー賞のノミネートで噴出しました(注・ヒューゴー賞候補作を決める投票の際、Sad PuppiesとRabid Puppiesという2つの団体が『白人男性主観で書かれた古き良き時代のSF』と認定した作品への組織的投票を公然と呼びかけ、実際に組織票を主導した団体が推薦する作品で候補作リストが独占されかけたという事態があり、以降ヒューゴー賞のレギュレーションを変更するきっかけとなった)。近年、女性作家やアフリカ系やアジア系の作家が――しかも主人公がゲイセクシュアルだったり、普通小説的な作品が――ヒューゴーやネビュラを続けて受賞した。現在は過渡期なので、来年以降はきっと別の潮流が生まれるでしょうが、近年の傾向としてはそんな感じです」
 ――ヒューゴー賞の話が出ましたが、ワールドコンの雰囲気はいかがでした?パピーの件はファンダムでも色々取りざたされていましたが。
真「そうですね。ノミネートが発表されたときにどうやって組織票による受賞を阻止するかが議論されていました。結果的にノーアワード(受賞作なし)となった部門が五つありますが、皆がノーアワードに投票した結果でもありますし、望まずにパピーに推薦されてしまった複数の作家が辞退したという背景もあります。これらの『パピーフリー』な活動によって、長編部門は中国SF、中編部門はオランダSFが受賞するという、パピーが一番望まない結果に終わりました」
 ――熱いですね。
真「盛り上がっていました。『All You Need Is Kill』の映画版もノミネートされたので、原作関係者としてレセプター候補になってしまい、パーティにも出席しましたが、授賞式前はかなりの緊迫感が。結果、ヒューゴーの長編部門は劉慈欣(りゅうじきん)の『三体』が選ばれ、英語への翻訳をケン・リュウが手がけているのでダブル・チャイニーズの受賞となり、『次は日本も頑張れ』と周囲から励まされたりしました。ちなみに翻訳作品がヒューゴー賞を受けたのは史上初のことで、面白い場に居合わせました」
 ――そういえば、藤井太洋(ふじいたいよう)さんもワールドコンにいらしていたそうですね。
真「それはもう、すごい勢いで場に馴染んでいました(笑)。作家がその場でどんどん読者を獲得してゆくのを目撃するという、編集者として希有(けう)な体験でしたよ」
 ――そうきたか!ていうか藤井さんに出来ないことってないんですかね?もうスパイ映画の主人公になるといいのに。

 ということで、オチに困ったときの藤井太洋伝説(vol.66参照)で無事インタビュー終了です。いつもネタにしてすんません。でも許してくれるってアタイ信じています、というか本当に許してもらえたかどうかは次号にて報告。皆の衆、待たれよ!

 ようやく編集者らしいことを書きますよ。おまけの編集部日記です。

 大阪に日帰り出張。お時間取ってくださった沢村浩輔(さわむらこうすけ)さん、有り難うございました。夕方より創作サポートセンターさん主催の、芦辺拓(あしべたく)さんと京都府警科捜研の元主席研究員・平岡義博(ひらおかよしひろ)さんによる公開対談を取材させていただく。次号の「ミステリーズ!」誌上にて、詳細をお伝えします。
 新幹線の時間が迫っているため慌ててタクシーを止める。「姉ちゃん何時の新幹線や?」おお話が早い。「し、新大阪発21時23分!」かくしてグルーヴィな運転手さんとしばし世間話。「自分奥さん? それとも嬢ちゃん?(既婚者かどうか尋ねているらしい)」「そういう年でもないですが、一応嬢ちゃんです」「おいちゃんなあ、もう5人も見合いの世話したんやで。嬢ちゃんも大阪ならなあ」「5組はすごいですね」「いや、1組もうまくいかんかったわ」「駄目だろそれ!」
 あとは猫の話などしつつ、いい塩梅(あんばん)で新大阪へと無事到着。ほんまおおきに。
「男はな、優しさと人柄と年収が鍵やで」そう言っておっちゃんは夜の町に消えた。プリキュアのOPみたいだな……と思いながらタクシーを見送り、柿の葉寿司とビールを買って新幹線に乗り込む。うん、冒頭の段落しか編集者らしいことをしていない。

『ミステリーズ!vol.76』2016年4月号より転載)

(2018年6月28日)



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