ラウンジ

2008.05.07

酔読三昧 【第23回】萩原香[2008年5月]

大倉崇裕『聖域』は10年あまりも
想を温めていた渾身の作品だとか。
たしかに直球勝負の力作である。


萩原 香

 3回も休載で仏の顔も大魔神。

 さて、素知らぬ顔で再開と(ごめんなさいよお)。

 親父は一介の郵便局員だった。転勤すれば出世させると言われたのに断って、生まれ育った地元を離れたくないばかりにヒラのまま定年を迎えた(大正9年生まれだ西暦だと何年だっけ)。小学校を卒業すると丁稚奉公に出され、子守をやったりして、そのあとメッキ工場に勤めたもののここでは硫酸の飛沫で肌に穴があく。そこでこれはいかんと母親は、郵便局長に直談判したあげく就職させてしまったという。猛母なり。

 この母親、つまりわたしの祖母だが、若いころは地元で評判の鉄火肌の姉御で、呑む打つ買うは極道まがいのペンキ職人の亭主を叩き出し、女手ひとつで親父ら5人の息子を育てあげたらしい。幼い記憶に、痩せぎすの和服の裾も立て膝に長いキセルをくわえていた姿は覚えている。凶暴な鶴のようだったな。

 極道まがいの父親とそれ以上にタフな母親。こんな両親が反面教師か、息子(親父)は真面目一徹な人間に育った。杓子定規、頑固、一刻、四角四面、堅物、理屈屋のわからず屋。それがまた他山の石?となってか、その息子(わたし)はへべれけでだらしのない酒呑みになったというしだい。ほんとか。祖父の隔世遺伝かも。

 郵便局員というのは当時(いまもか)3交代制。早番・日勤・夜勤が布かれていて、土日や盆暮れ正月休みも関係なし。家族で行楽やら旅行なんかの思い出はほとんどない。そうやって親父は定年までの42年間、ただ黙々と勤めあげた。晩年はカラオケが趣味で装置を買いこみ、自宅の2階に上がってひとりで歌っておったな。東海林太郎とか春日八郎とか灰田勝彦とか。

 実はわたしもこの辺の歌謡曲は唄える。小さいころラジオでよく聴いた。なくぅなぁああよぉしぃよぉ~しぃぃ~~♪ でもヘヴィ・メタルは唄えない。デス・メタルの覇王Children Of Bodom『Blooddrunk』やメロ・デスの雄In Flames『A Sense Of Purpose』はどちらも久々の新譜。フックが効いてキャッチー、重層的な楽曲は健在であった。In Flamesの妹分のAll Ends『All Ends』はゴシック・メタル。美人ツイン・ボーカルは声に艶と伸びがあり、女性ながらも(失礼)かなりエッジー。イケメン・ボーカルのCarmen Grayが軟弱な歌詞を披露する『The Portrait Of Carmen Gray』は、ポップな懐古的ロック調でこれが上手いんだな。

 ところで、公務員の不祥事が続いてバッシングの嵐が吹き荒れる昨今、真面目な公務員はさぞかし肩身の狭い思いをしていることだろう。そういえば警察官も公務員である。

 というわけで(ではあるまいに)、ここのところ警察小説をけっこう読んでいる。外部の敵(犯罪)と内部の敵(権力闘争)、組織と個人の軋轢にキャリアと現場の確執、義務と徒労と矜恃と悲哀。『震度0』はどろどろの人間ドラマだったな。中年サラリーマンの読者は共感することしきりか。言わずと知れた横山秀夫。

 こちらを「情」とすれば、今野敏は「仁」だな。いろいろ書きすぎて軽く見られがちだろうが、吉川英治文学新人賞受賞作『隠蔽捜査』『リオ』『朱夏』『ビート』の〈警視庁強行犯係・樋口顕〉シリーズ、『二重標的』に始まる〈安積班〉シリーズがいい。刑事には珍しく?内省的かつ謙虚な主人公を据え、重すぎずほどよい薬味が効いて飽きが来ずポジティブで好感度の高い読後感。

 となると堂場瞬一は「義」か。『雪虫――刑事・鳴沢了』は一本気な刑事の若さゆえの苦闘を一人称で描いてハードボイルド風だ。2作目の『破弾』では、これまた頑なな若い女性刑事を相方に組まされピリピリのしっぱなし。まだ読んでる最中だが、このシリーズは当分楽しめそうだ。

 さて海外ものだと、非英語圏ならやはりヘニング・マンケルか。『目くらましの道』(上・下)でCWAゴールドダガー賞を受賞したスウェーデン警察小説シリーズの金字塔。これはマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー〈マルティン・ベック〉シリーズの衣鉢を継いでいる。そういえば『笑う警官/マシンガン・パニック』(1973)はウォルター・マッソーが主演だった。ヘラジカのようにもっさりした団子鼻のこの名優、懐かしいなあ。相方のジャック・レモンは元気なのか。

 英語圏なら、エド・マクベインの〈87分署〉シリーズはさておき、なんといってもR・D・ウィングフィールドの〈フロスト警部〉シリーズ――『クリスマスのフロスト』『フロスト日和(びより)』『夜のフロスト』。だらしなくてお下劣で身勝手のいや~な中年なはずなのに、誠実なまでの仕事中毒ぶりに一本芯が通っていて、しまいにじんわり魅力的に見えてくるのは作家の凄腕がなせる業か。

 フロストの前身はジョイス・ポーターのドーヴァー警部だな。こっちは捜査なんて行き当たりばったりのいい加減だし無責任の極みなのにいつも瓢箪から駒の解決。なかでも『切断』は事件そのものがエグくて面白かった。なにしろ切断である。被害者は男ばっかり。うげげ、である。

 第4作『Hard Frost』はようよう今年の夏には翻訳が出るらしい。何年も待った甲斐があるかなりの大作と聞く。ただしこのシリーズも6作まで。ウィングフィールドは去年の7月に癌で亡くなっているのだ。死期が迫るなか脱稿した最終作のタイトルは『A Killing Frost』。どうやら、フロスト警部も最期を迎えるらしい。不世出の名キャラと付き合えるのもあと3作か。なんとも残念至極だが、ライヘンバッハの滝から生還したホームズのようにはいくまいて。

 あ、大倉祟裕『福家警部補の挨拶』の続編はどうなっておりますか。楽しみにしているのだが、新作『聖域』が出たので読んでみた。これはがらりと趣向を変えてなんと山岳ミステリ。10年あまりも想を温めていた渾身の作品だとか。むべなるかな。たしかに直球勝負の力作である。

 配送センターで働きながら日々の無聊をかこつ草庭。とある遭難事故から、もう3年も山に登っていない。そんなおり、かつての大学山岳部時代の盟友であり好敵手でもあった安西が塩尻岳で滑落、死亡したとの報が入った。まさか。あいつの登攀技術は完璧だ、標高6194メートルのマッキンリーを制したほどのクライマーだ。

 いったいなぜ? いや、あそこは安西の恋人が1年前に遭難して落命した場所。ひょっとして後追い自殺か? そんな男ではない。やはり事故か? それならそもそも、なぜ、落ちたのだ? 落ちるはずがないのだ。草庭の身の内に忘れかけていた山男の血が甦る。仲間の死の真相を突き止めるために、彼はふたたび山へ挑むのだが……

 わたしなんぞ、高尾山に登っても冒険冒険また冒険だが(冒険の意味がまったく違うな)、これはボブ・ラングレー『北壁の死闘』や真保裕一『ホワイトアウト』のような山岳冒険小説ではない。本書にはしっかり仕掛けが施されている。最後まで気を緩ませることなく読了されたい。そしてすべてが終わったあとに、あなたをサンクチュアリ(聖域)が待っている。ひたむきな男を描いた感動の一作。

 それはそうと福家警部補は和製コロンボだ。で、ピーター・フォークといえばアル中老人を演じて出色なのが、ヴィム・ヴェンダース製作の『Rain』(2003)。いくつかの人生の、うらぶれてささやかな罪と罰を点描風に切りとってみせた秀作。抜群のカメラ・ワークに色彩に全編をしとどに濡らす雨が心に沁みる。がさつで能天気、詩情が欠落してるアメリカ映画とは大違いだよなあと思ったらこれもアメリカ映画であった。だって雰囲気がヨーロッパなんだよねえ。

 うちの親父の人生は純日本映画、小津安二郎的だったな。わたしのはなんだろ。いいとこTVの2時間ドラマ的であろうか。キッチュだねえ。

(2008年5月)

萩原 香(はぎわら・かおり)
イラストレーター、エッセイスト。文庫の巻末解説もときどき執筆。酔っぱらったような筆はこびで、昔から根強いファンを獲得している。ただし少数。その他、特記すべきことなし。

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