ラウンジ
2007.06.05
酔読三昧 【第16回】萩原香[2007年6月]
深淵が逆にあなたを覗きこんでくる。
萩原 香 kaori HAGIWARA
24時間闘えますか?てなCMが流行ったこともあったな。いまでもやってるのか。筆者も若いころは仕事の追い込みで徹夜はあたりまえ、そのまま眠らずに次の仕事にとりかかる完徹も日常茶飯。で、3日間完徹というのが最長だった。
それはまだしも、2週間で睡眠時間が合計10時間とかあったよなあ。完徹してあくる日はちょっとだけ仮眠をとって次の日また完徹し、とこうやって交互に繰り返す。最後の日は意識朦朧の極限状態で、このときの仕事納めに呑んだ缶ビールは生まれてきて最高に旨かった。あのころはまあ、物書きの仲間うちでは徹夜が自慢でもあった。俺はいかに忙しいか、って。
さすがに、もうこの歳になったら24時間闘えません。数時間で充分。徹夜なんてあ~た、そんなの自慢するもんじゃありませんよ。と言いつつも先日、朝まで呑んで1時間だけ仮眠をとってすぐ仕事、というのをやってしまった。
やってしまったその日は、頭が多少ボーッとはするものの特になんでもない気がしていた。ところが数日たってから疲れがじわーっと押し寄せてくるではないか。とにかく四肢がだるい。鉛の板が体じゅうに貼りついたような感じ、と言ったらわかってもらえるかな。歳をとると、ダメージは遅れてやってくる。ボディブローのように。
というわけで、永年のダメージが蓄積したロートル・ボクサーのような気分でちびちび缶ビールを啜っておるのだが、少しは真面目なことを考えようと、ふと思いついた。
さっき極限状態なんて書きながら笑ってしまった。なにを寝惚けたこと言っておるのか。
ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録』は、本物の極限状態を描いた万人のための書である。人類史上の汚点、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺。このホロコーストの代名詞とも言えるのがアウシュビッツ強制収容所だ。そしてここに収容され、ここから生還した著者によるあまりに静謐な体験記。
ガス室を作ったのも人間なら、そこで毅然と死を迎えたのも人間。その人間の汚辱も崇高も淡々とした筆致で描きだしたこの書物には、深淵がある。しかし深淵をあまりに長く覗きこんでいると、深淵が逆にあなたを覗きこんでくる。この本を読んだ高校生の私は、その深淵に覗きこまれていまに至っている。正直怖くて、2度とこの本を読めないのではないかと思っている。
それはそうと、ユダヤ系ドイツ人のエーリッヒ・フロムはナチスを逃れてアメリカに渡った。そして『自由からの逃走』のなかでナチズムの心理学的背景を剔抉(てっけつ)してみせた。なぜ人間は「自由」を恐れるのか、なぜ「権威」(例えばヒトラー)のもとに群れ集いたがるのか。これまた名著である。「自由」とは「真空」の謂いか。真空では息ができない。だからみんなが吸っている同じ「空気」を求める。
実はこの書物、高校の倫社(いまはあるのか?)の時間に教師から薦められて読んだのである。まさか創元推理文庫を出している出版社の本とは、ずーっとあとになるまで気づかなんだ。続編にあたる『人間における自由』もそう。他にもいろいろ良質の人文社会科学書を出しているのであったなこれが。
独裁体制をもたらす計画経済必然の帰趨を描いたF・A・ハイエク『隷従への道――全体主義と自由』とか、マスメディアが産む幻想が支配する大衆社会を論じたダニエル・J・ブーアスティン『幻影の時代――マス・コミが製造する事実』とか、社会の学校化をもたらした歪んだ公教育への処方箋を示すイヴァン・イリッチ『脱学校化の社会』とかとか――
経済の制度化、情報の制度化、教育の制度化。制度化が行きすぎると社会は硬直し、自由が奪われ、ひいては全体主義や独裁体制の温床を生む。怖いよねえ。だから自由主義や民主主義は守らねばならん。
と、至極まっとうなことを考えるのではあるが、ここでまたふとこんなアフォリズムを思い出した。「最も成功した民主主義者は独裁者である」バーナード・ショーだか誰だかが言った言葉だ。
どぉーすりゃいいのーさぁしぃあぁんーばぁしぃー♪
なんの歌だ。
酔っ払ってシリアスなことを考えるのは至難の業である。LordiのThe Arockalypseでも鳴らして脳味噌をシャッフルするとしようか。それともAvenged SevenfoldのCity Of Evilがいいかな。どちらもいまをときめくヘヴィメタル・バンド。ドカドカドコドコやってれば深淵も覗きこんではくるまい。
■ 萩原 香(はぎわら・かおり)
イラストレーター、エッセイスト。文庫の巻末解説もときどき執筆。酔っぱらったような筆はこびで、昔から根強いファンを獲得している。ただし少数。その他、相変わらず特記すべきことなし。
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