ラウンジ

2007.05.07

酔読三昧 【第15回】萩原香[2007年5月]

忌まわしい過去を変えられたら
その後の人生ハッピーという保証はない。


萩原 香 kaori HAGIWARA

 

 では次の問題です。

 いいくにつくろう鎌倉幕府。違うだろこれは答えではないか。アーリータイムズ350mlひと瓶はいま幾らするでしょうか931円。高いのか安いのかバーボンはやっぱり旨いのだなこれが。エビスのザ・ホップは緑缶で新発売。普通のエビスとどう味が違うのかよくわからん。だからそういう話をしているのではない。

 もしあなたが、過去にタイムスリップできるとしたら、何をどうやりなおしたいですか? これは質問か。『プロポーズ大作戦』は過去を改変してなんとか恋を成就させようと青年が奮闘するTVドラマだが、これを観ていてふと思いついたのだ。しかし榮倉奈々といい長澤まさみといいなんであんなに老け顔なのか。山下智久はなんでいつも鼻声なのか。ファンの皆さんすいません。それはともかく。

 私は幼稚園時代のあの日に、忘れもしないあの朝に戻りたい。幼心をズタズタに切り裂いたあの出来事。あれが人生を狂わせてしまったのではないか。いまのいままで心の奥底に秘め隠し誰にも語るまいと決めていた恥辱屈辱魑魅魍魎。汚れちまった悲しみに中原中也ああ無情のビクトル・ユーゴー。

 その日の朝は穏やかな天気だったと記憶している。いつものように送迎バスに乗り、いつものように幼稚園に降り立った私(4~5歳)は、いつものようにおトイレに走った。授業(?)の前にちゃんと用足しはすませておかなければいけない。それが幼稚園のルールだ社会の掟だ。とにかく幼いころは上品な貧乏人の良い子だった。

 そして私は朝顔の前に立った。で、ちょいと息んだら両方出てしまった。ずさんな併行処理。やや風邪ぎみでお腹がゆるくなっていたとはいえ自己管理がなっていない、などと幼い子供を責めるのは酷というものであろう。責めるべきは親であろう。あの母親はいったい朝食に何を食べさせたのだ。ごはんにおみそ汁に炒り卵だったかな。おいしかったなあ。

 しかし幼いながらいっぱしの花より男子だプライドは高い。お漏らししたなどと口が裂けても言えるわけがない。私は歯を食いしばり涙をこらえつつそろりそろりと教室に向かい授業に臨んだのである。「○○ちゃん、なんかくっさーい」幼稚な級友どもの嬌声と好奇の視線に素知らぬ顔をし、「○○ちゃん、お顔の色が悪いわよぉだいじょーぶぅぅ?」憧れのお姉さん(先生)の優しげな声にも「だいじょぶっ」と突っ張り、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍びついに最後までシラを切り通した。

 やがてお帰りの時間。家路だ名犬ラッシーだ早くうちへ帰りたいサイモン&ガーファンクルだ。家の前に着くやバスから飛び出し韋駄天走り、「おかあちゃ~~ん」玄関にカバンを投げ捨て母親の膝にすがりついて号泣したのは言うまでもない。だから過去に、あの朝に戻れたらぜったい「大」用の個室に入ることにする。

 ただしだ。忌まわしい過去を変えられたらその後の人生ハッピーという保証はない。変えたせいで私はいまごろホームレスということだってある。過去を変えても変えてもうまくいかないとしたら。

 かつての幼なじみ、初恋の少女がいまは荒んだ生活をしていることを知った青年は、授かったタイムスリップ能力を使って少年時代に戻り、ある出来事を変えることで彼女を救おうとする。だが失敗。ではこれはどうだこれならと何度も過去を変えるのだが、そのたびにまた別の悲惨な現実がもたらされることになる。

 そしてついに青年がとった究極の選択とは――『バタフライ・エフェクト』(2004)は、宣伝コピーの「切ないハッピーエンド、始まる」そのままになかなか泣かせる映画だった。そういえば『ジャケット』(2005)も似た趣向。こちらは15年後にタイムスリップする。スリップした日の数日あとには自分が死んでいる事実を知りつつ、男は未来で出会った1人の娘の人生を救おうとする。無償の愛か男の純情か私の尾籠な話とは大違いだ。

 小説なら、リチャード・マシスン『ある日どこかで』か。余命いくばくもない男が古びた肖像写真の女優に恋をし、75年の時を超えて彼女に会いにゆくファンタジーの名品だ。映画版(1980)では、いまは亡きスーパーマン、クリストファー・リーヴと元ボンド・ガールにしちゃ清楚なジェーン・シーモアが古風なロマンスを演じていい味を出していたな。

 マシスンには『奇蹟の輝き』といういまひとつの純愛話がある。こちらは事故で死んだ夫が、それをはかなんで自殺した妻を救いにゆく冥界めぐり。やはり映画化(1998)されて主役はロビン・ウィリアムズ。この俳優、善人を演じさせると嫌みなくらい上手いが、これを逆手にとったのが『ストーカー』(2002)だな。彼の文字どおりのストーカーぶりが怖い。

 純愛といえばロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』も忘れてはなるまい。貧乏画家の青年が魂を寄せるのは、すでに失われている女性ジェニー。生と死のあわいをたゆたう詩情溢れる逸品だ。これまた映画化(1947)されてて、ジェニー役はあのジェニファー・ジョーンズときた。『タワーリング・インフェルノ』(1974)ではエレベーターから落ちて死んじゃったなあ。

 ところでマシスンの作品は片はしから映画化されている。シュワちゃんの大好きなチャールトン・ヘストンが主演の『地球最後の男――オメガマン』(1971/原作『吸血鬼』)やら、スティーヴン・スピルバーグの出世作 『激突!』(1972)やら、オカルト映画ブームを煽った『ヘルハウス』(1973/原作『地獄の家』)やら。わかりやすくキャッチーなネタ作りの得意なこの作家ならでは、ということか。

 ジャック・フィニイではないがふりだしに戻る。

 だいたい私は幼稚園児のころから生意気だった。ある朝なぞ、園の前を通りかかった小学生男子2人連れをからかって怒らせ、門扉が締まって入ってこれないのをいいことにアカンベーしてますます激昂させ、「テメー帰りに出てくるの待っててぶん殴ってやる!」と叫ばしめたほどであった。この日、何と言ってそこまで怒らせたかは忘れてしまったな。

 ちなみに私は地図が読めない。自慢ではあるがほぼ道に迷う。だから(かどうか)タイムスリップできても、あの日じゃなくてこの日にうっかり戻りそうだ。危険だ。やっぱり過去には戻らんほうが無難だな。

(2007年5月)

萩原 香(はぎわら・かおり)
イラストレーター、エッセイスト。文庫の巻末解説もときどき執筆。酔っぱらったような筆はこびで、昔から根強いファンを獲得している。ただし少数。その他、特記すべきことなし。

バックナンバー