ラウンジ

2007.02.05

酔読三昧 【第12回】萩原香[2007年2月]

どうも根っから、常道を外れた
人物に興味が湧いてしようがない。


萩原 香 kaori HAGIWARA

 

 ようよう iPod nano を買った。2Gで500曲入るというので 喜んだら170曲しか入らん。なんでだなんでだ高音質でコピーしてるからか。しかしこの軽小短薄なハンディさはいいなあ。赤ん坊に見せたら口に入れそうだなあ。

 赤ん坊も小さいからいいんだよなあ。親と同じ大きさで産まれてきたらどうやって産湯をつかわすのだ3人がかりか。それはそうと赤ん坊がみんな可愛いなんてのは嘘ではないのか。目つきの悪い赤ん坊は可愛くないだろう。いるのかそんな赤ん坊。

 私が寝たきりの赤ん坊(べつに病気ではない)のときのことだ。母乳をくれようとしたところ機嫌を損ねたか呑もうとせず、泣くわ喚くわのけぞるわでお乳を拒みつづけ、ついには泣き声も掠れ果ててぐったり、8時間後ついに降参してお乳を口にふくんだのだと、母親が忌々しげに思い出話をしくれたことがある。

 母親も疲労困憊「なんてぇ子だろ、強情な!」と叫んだというが、原因を作ったのは誰かと私は言いたい。きっとおまいさんが幼くいたいけな私に何かしたにちがいない。そういうことするからろくな大人にならんのだ。ここに猛省を促したい。中年の主張。

 それはともかく、赤ん坊のころは頭がでかかった。やっとお坐りができるようになっても頭が重いからあっちふらふらこっちふらふら、しまいには倒れてしまうので座布団をまわりに積みあげ支えなくてはならないほどだったとか。座布団わらし。

 「きっと、この子は脳味噌がいっぱい詰まってるんだよ~」と母親は喜んでいたようだが、頭蓋骨が厚いだけだったみたい。そういえば幼稚園児くらいのとき、近所の子らと建築現場で遊んでいたら太い木材が倒れてきて後頭部を直撃。が、止めどなく鼻血は噴出したものの後遺症は出なかった(ずっと出ているという説もある)。頭の硬いは七難隠す。おかげで頭突きはいまも得意技のひとつだ。

 iPod nano の話だった。これで毎朝ヘヴィメタを聴いているわけだ。寝起きに一曲。ドコドコドコドコうるさくて眠気すっきり体しゃっきり。ただし電車のなかでは聴かない。読書をしなければいかん。だいいち、あの漏れ出るシャカシャカ音は好きではない。最大ボリュームならなおのこと。電車では静かに本を。満員電車で声に出して読めますか団鬼六。

 その団鬼六の『真剣士 小池重明』は不世出の天才「賭け将棋士」と謳われた男の傑作評伝。どうも根っから、常道を外れた人物に興味が湧いてしようがない。最近だと、あの外務省のラスプーチンこと異相の佐藤優さんだな。ということで、ちょっと失礼して『獄中記』を読んでしまおう。

 読んでいるあいだにまた子供のころの話。うちには本が一冊もなかった。雑誌もだ。そういえば絵本や児童書のたぐいを買ってもらった記憶がない。もっぱら漫画雑誌。いいのか親の教育方針。でもこれで「てにをは」を覚えた。幼稚園児のときはまだ月刊誌『少年』だったかな。小学校にあがるころは『少年サンデー』『少年マガジン』か。中学に入るまで文字ばかりの本には見向きもしなかった。この世に漫画より面白いものなんかないと思っていた。相変わらず頭はでかかった。

 いや違った(頭ではない)。小学校のクラスごとに学級文庫というのが置いてあった。たしかハードカバーの付いた新潮文庫。これでホームズものとルパンものは読んだのだ。で、ホームズにのめりこんだ。子供が覗いてはいけない大人の世界のなにやら薄暗く怪しげで縁日の見世物小屋に入るようなハラハラドキドキがあったな。甘美なスリルとサスペンス。わかってもわからなくても背伸びして読んだ翻訳もの。

 名探偵といえばシャーロック・ホームズ。これに並ぶのがブラウン神父だな。スパイク・リー監督のクールなサスペンス『インサイド・マン』(2006)では、銀行強盗が人質50人全員に自分たちと 同じ格好(作業服)をさせる。このアイデアは秀逸。「賢い人は葉をどこに隠す? 森のなかに隠す」「森がない場合には、自分で森を作る」――G・K・チェスタトン『ブラウン神父の童心』所収の「折れた剣」を思い出した。

 ファンタスティックな風情のなか、逆説に満ちたロジックがトロンプ・ルイユ(騙し絵)のような犯罪を浮かびあがらせる。これがブラウン神父ものの持ち味。目の前に死体があるのに気づかない「翼ある剣」『ブラウン神父の不信』)なんぞは、突発的電光石火の隠蔽工作であるが故に心理的な盲点を作りだす。

 「犬のお告げ」『ブラウン神父の不信』)もそう。犬を飼っていれば誰でもやることがそのまま犯罪の完遂につながる。犬が吠えさえしなければ完璧だったのに。それから「見えない男」「奇妙な足音」(いずれも『ブラウン神父の童心』)も、ポオの「盗まれた手紙」『ポオ小説全集4』)の系譜にある。見えているのに見えない。

 ブラウン神父は小太りでちんちくりんの坊さんだ。アルフレッド・ヒッチコックをドラえもんぐらいに縮小するとぴったりな感じだな。ホームズはピーター・カッシングの背を高くしたイメージか。さっさかドラキュラを退治せんか。キム・ニューマンの『ドラキュラ紀元』になってしまうぞ。ドラキュラが勝利してイギリスを征服してしまうのだぞ。これはプラム・ストーカーへのイギリス世紀末へのオマージュに溢れた秀作であるがいま品切れかな。

 さてと。頭がぐらぐらする。でかいからではない。暮れにもらった日本酒を呑みすぎた。吟醸なのに料理酒と区別がつかん。私なんぞに高い酒は不要でござる。質より量。と、ここで『獄中記』を読み終えた。

 外務官僚としてインテリジェンス(情報)の世界で辣腕をふるい、国際政治の舞台裏を知り尽くしつつ同時に真摯なプロテスタントにして学究の徒。拘置所の独房を書斎がわりに、拘禁生活の不自由さを自由に満喫しながらここぞとばかりに読書&勉強三昧。生臭い政治と無菌なアカデミズムの世界を行きつ戻りつ思索を突きつめてゆく拘留512日の記録が、ここにはある。佐藤優の脳味噌の構造が計り知れない。頭がでかいだけの人間とは大違いだなあ。

 ところで蒼井上鷹(あおいうえたか)『ハンプティ・ダンプティは塀の中』は留置所版「日常の謎」系ミステリだ。こちらは雑居房だから、得体の知れない連中が醸しだす不自由のなかの自由が猥雑で楽しい。あまりに脳天気なので一度は入ってみたくなった。あ、酒は呑ませてくれないだろうなだめだこりゃ。

 真面目に生きよう。頭がくらくらしてきたので座布団一枚。

(2007年2月)

萩原 香(はぎわら・かおり)
イラストレーター、エッセイスト。文庫の巻末解説もときどき執筆。酔っぱらったような筆はこびで、昔から根強いファンを獲得している。ただし少数。その他、相変わらず特記すべきことなし。

バックナンバー