短編ミステリ読みかえ史

2018.06.01

短編ミステリ読みかえ史 【第111回】(2/2) 小森収

『天使と宇宙船』は、短編の間に、書下ろしのショートショート(ブラウンはヴィニエットと呼んでいるようですが)を挟んだ構成になっています。世界SF全集のブラウンの巻に採られた「唯我論者」も、そのひとつです。それぞれ気が利いてはいますが、驚くようなものはないというのが私の判断です。
 巻頭作の「悪魔と坊や」は、いかにもブラウンらしい作品です。奇術好きのハービー坊やは、お気に入りの水鉄砲をポケットの中で握りしめながら、今日こそは手品のタネを見破ってやろうと、舞台上のマジシャンを食い入るように見つめています。ところが、ここで魔術を披露しているのは、実は本物の悪魔で……という話。基本アイデアがブラウンらしいという他に、なおブラウンの特徴がふたつ見て取れます。ひとつは、あるひとりの人間の肩に、人類や世界や宇宙の破滅がかかってしまうというパターンであるということです。そして、語り口が、しばしば作者の一人称とでもいうべき、語り手の存在を暗示するかのような三人称になっているのです。
 この短編集随一の佳作は「ミミズ天使」で、これまた衆目の一致するところでしょう。これはブラウンの短編の中でも長い方で、中編と言った方がいいかもしれません。主人公に降りかかって来る奇妙で脈絡のない出来事を、ていねいに描いていき、その脈絡のなさに脈絡を見出そうとするところ、ミッシングリンクテーマのミステリを思わせます。第一短編集のところで指摘した、ミステリふうの展開が、ここではとりわけ活きています。そして、謎めいた脈絡なさが臨界点に達したところで、破天荒な真実が現われる。この破天荒さはブラウンらしいのですが、単に破天荒だからというだけでなく、もともと、ハードウエアとして書物を見るところがブラウンにはあって、そこがブラウンらしさでもあるのです。それが、もっとも前面に出ているのが「エタオイン・シュルドゥル(諸行無常の物語)」で、活版の組版を熟知していないと書けない話です。代表作「うしろを見るな」にも、その影を見つけることが出来ます。書物というと、ほとんど必ず、それを人類の英知の蓄積と見る(としか見ない)ブラッドベリと好対照と言えます。
 もっとも、「ミミズ天使」で顕わになった真相は、破天荒かもしれませんが、大山鳴動の気味もあって、やはりアイデアとしては軽い。まあ、あまり深刻にならないユーモアが特徴とも言えるでしょう。「ウァヴェリ地球を征服す(電獣ウァヴェリ)」も、電気が使えなくなることで起きる文明の逆行が、さして人類の負担になっているようには見えない。ユーモアと言えば「気違い星プラセット」の状況設定の狂いっぷりを、愛する人もいるかもしれません。私もそのひとりです。ただし、ストーリイ、描写、語り口といったレベルで、その基本アイデアが活かされているとは言えないところに、やや不満があります。これだけ異様な星の出来事を描いているなら、もう少し異なった方向にも、その異様さが出てもよいように思うのです。
「不死鳥への手紙」は、ブラウンには珍しい一人称の短編ですが、時を超越したこの語り手は、普通の人間とは言い難い。そして、ここまであからさまではないにしても、他の三人称でも、こういう話者に近い語り手がいるかのように思うことが、しばしばあります。また「不死鳥への手紙」は〈狂うこと〉についてのブラウンの特殊な妄執が、表に出ていることでも、目を引きます。ここでの「狂う」という言葉は、多分に文学的というか、ブラウンの主観的なものなのですが、これが『宇宙をぼくの手の上に』に入っていた「さあ、気ちがいに(さあ、気ちがいになりなさい)」になると、事が違ってくる、この作品は、精神病を真っ向から取り上げた一編でしたが、転生というものが実在すれば、精神病の意味合いが一変するという、ある意味途方もない作品です。もっとも、実際にそれが起きたときには、もうちょっと混乱がありそうに思わせる――こんなふうにすっきり割り切れるとは、とても思えません――のは、やはり、現実の複雑さの前にはアイデアの軽さ浅さが目立つ。40年代はニューロティックサスペンスが流行していましたが、結局のところ、病質をリアルに捉えようとしたものほど、古びてしまうのは、仕方のないことです。また、この作品を、創元推理文庫版の21世紀に入ってからの版で、私は読みましたが、統合失調症の訳語が使ってあって、印刷面の感じは、あとから直したように見えました。専門用語の訳語をアップデイトすることは必要でしょうが、40年代のお話に統合失調症という言葉が出てくるのは、異様でしょう。

 第三短編集『スポンサーから一言』の表題作は、奇妙な作品の多いブラウンの中でも異色の一編です。地球全域において、ある日の午後8時半に、ラジオから「スポンサーから一言」と声がして、すぐに「戦え」と、本当に一言だけメッセージが発せられるのです。その場で喧嘩になろうとしていた人たちが、逆に喧嘩をやめてしまうという、アイロニーがブラウン流ですが。世界じゅうのラジオで、その地域の時間で8時半きっかりに、このスポンサーからの一言が、流されたのです。世界規模の多元描写が、もっとも活きた一編です。物語の大半はアメリカの大統領が、各界の第一人者に、この事件について諮問する、そのやりとりだけを連続して書いていきます。一体なにが起きたのか? 誰の仕業で、何のためか? といった謎解きの姿勢だけで物語が駆動していくわけですから、明晰ではありますが、事態の不気味さは薄められています。ただし、それらの疑問に答えが与えられないまま、結局なにが起きたのかという一点のみが確認されて、話は終わります。
 この短編集でもショートショートが多く、短編のヴォリュームがあるものでは「鼠」「最後の火星人」「かくて神々は笑いき」といった、憑依による異星人の侵略というパターンが目立ちます。風変りな侵略(生まれてくる子どもを女の子ばかりにして、人類を絶滅させる)パターンと、それに対抗するために、米ソのパイロットカップルが、その影響の及ばない月へハネムーンに行って子づくりをするという「地獄の蜜月旅行」――なんか、どういう話か書いているだけで、バカバカしくも愉快な気がします――は、侵略パターンとみせかけて、大ボラ噺になっていく。私としては宇宙版のスクリューボールコメディを期待しましたが――そうなっていたら「宇宙のニノチカ」と邦訳題名をつけたい――まあ、無理というものでしょう。
 これまでにあげた、ブラウンSFの特徴を、もう一度思い出してください。
 三人称であっても、語り手の存在を思わせるナレーション。世界的規模の多元描写。人類や地球といった巨大なものの運命が、ある個人の肩にかかってしまう。事件を追っていくミステリ的な展開。運命や真理といったものが、あるメカニズム(それは、場合によって、ひどく個人的だったり、単純だったりする)によって決定される。
 こうした特徴の集大成として結実したのが、1955年の『火星人ゴーホーム』のように、私には思えます。
 ただし、フレドリック・ブラウンのSF短編の最高傑作――それは私だけの考えではないと思うのですが――は、上記の特徴があまり見られません。人類の運命が主人公の戦いにかかっているという一点だけでしょうか。ほぼアクションの描写だけで小説は進み、ユーモアも影を潜めています。どこでもありえない謎の空間で、異星人と対決させられるという、不条理な出来事を冷静な筆致で描くことに終始したこの短編は、驚くほどの迫力で読む者を最後まで引っ張っていきます。鮮やかな青のイメージが効果的な、攻撃と反撃のシンプルな冒険小説でもある。にもかかわらず、最初のふたつの短編集には収録を見送られ、『スポンサーから一言』にようやく収められました。初出からは十年以上が経過していました。
 その短編は「闘技場」

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。

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