短編ミステリ読みかえ史

2018.03.01

短編ミステリ読みかえ史 【第108回】(2/2) 小森収

 ジャック・リッチーは不思議な作家で、とくに、日本においては、21世紀に入って、突然光が当たりました。都筑道夫が『黄色い部屋はいかに改装されたか?』を連載したのは70年代の初めですが、そこでモダーン・ディテクティヴ・ストーリイ論を展開する際に、エドワード・D・ホックの「長方形の部屋」と、リッチーの短編を比較したことがありました。一言で言えば、「長方形の部屋」に比べて、リッチーの短編は、犯人の犯行計画に無理があるという趣旨です。その当否は、ここでは置くとして、それを受けて、さる大学のミステリ研のミニコミに、リッチーは本格ミステリの作家ではなく、スレッサーふうの軽いオチが身上の作家なので、そういう読み方は、あてはまらないのではないかという疑問が呈されました。このことの当否も、ここでは留保しますが、これは当時の、ジャック・リッチーに対する、一般的な見方を示しているように思えます。リッチーも、また、スレッサー同様に、ミステリ雑誌華やかな時代には、短編集が編まれることはありませんでした。
 ジャック・リッチーの主な活躍の場は、AHMMでした。日本でも、ヒッチコック・マガジンの両輪は、スレッサーとリッチーでした。まず、創刊当初50年代末から60年代初めに、AHMMに発表された短編から、読んでみることにしましょう。
 リッチーの小説は一人称のものが多く、それも、犯罪者――必ずしも、職業的な犯罪者とは限りませんが――が主人公のものが目立ちます。日本における最初の邦訳書の表題作となり、『37の短篇』にも採られた「クライム・マシン」が、まず、そうです。主人公の殺し屋のところに、タイム・マシンの発明者という男が現われ、主人公の殺しの現場をこっそり見ていたと言って、脅します。一件ならず犯行の時・所・模様を暴かれ、主人公は窮地に陥る。タイム・マシンという、ありえない機械を、あるかもしれないと主人公が思うところは、巧みです。そこを読者に呑み込ませてしまえば、あとは勢いでいける。リッチーは、そう踏んだのかもしれませんが、主人公が、いっそのこと、タイム・マシンを買い取ろうと考える展開も、その後のタイム・マシンを主人公が目で見て確認する段取りも、解決を読めば、都合のいい展開が目立ちます。ホラ噺もしくはユーモア小説として、リッチーの経歴の片隅にそっと飾っておくのがよろしいといった一編です。
 リッチーには、軽妙なユーモアといった評価が与えられることがありますが、それを如何なく発揮したのが「10ドルだって大金だ」でしょう。小さな銀行の定期監査で、10ドルの余りが出てしまう。検査官は、きっちりした人物で、余りといえども不正確を許さない。なんとか、翌日もう一度、数え直すことにして、主人公の銀行オーナーは、使用人ふたりに、心当たりはないか相談します。明日までに手をうたないと、さらに帳簿が精査されることになる。そうなると、どんぶり勘定でやって来たことが露見してしまうのでした。なぜ10ドルが増えたかで、登場人物たちが右往左往するというだけの話ですが、ユーモラスなクライム(一応、犯罪ですから)ストーリイとして推奨できます。
「ルーレット必勝法」は、カジノにやって来る謎の小男が、夜ごと大量のチップを現金化する。ホテルまで警官に護衛を頼むという慎重さです。カジノのオーナーは、どんな必勝法だろうと、長い目でみたときにはカジノが損をしないと確信しています。しかし、謎の男の勢いは止まらない。ある夜、ついに、資金がショートし、近所の同業者に朝の換金用の金を借りるハメになる。小男だけならともかく、彼の積み上げるチップに、廻りの野次馬が便乗して賭けると、店としても脅威なのでした。そして、男が正体を表します。自分は数学者で、完全な必勝法を考案し、実地に証明した。即金で15000ドルプラス週1000ドルの送金で、二度と店には近づかないというのです。そんな条件は呑めないオーナーは殺し屋を雇うことにしますが……。不可思議な謎があるけれど、謎解きミステリではなく、クライムストーリイとして料理する。「クライム・マシン」もそうでしたが、リッチーの得意なパターンのひとつで、「ルーレット必勝法」は、その中でも成功した作品でしょう。
「毒薬であそぼう」は、子どもがいたずらで隠した青酸カリの丸薬を探す警官が、悪ガキに翻弄される話ですが、ユーモアがいささか緩く、むしろラストの陰惨さが目立ちました。「罪のない町」は、リッチーらしからぬ技巧的な書き方をしています、狙いは分かりますが、あまり効果をあげているとは言えませんでした。

 では、やはり1960年前後に、マンハントに発表された、リッチーの短編にも目をやっておきましょう。
「正義の味方」は、映画やテレビのスターのスキャンダル――それも、かなりデッチ上げに近い――が売り物の雑誌の編集長の、ボディガードが語り手です。告訴も多ければ、直接抗議も多いが、編集長氏は、そうしたトラブルと直面するのを、何より嫌っていて、一切自分では対応しない。自然、主人公は被害者たちと会うことが増え、ガードの主を殺してくれれば金ははずむと誘惑される。ほうぼうから口がかかり、1万ドル、2万ドルと、その総額が上がっていくというのが、ユーモラスなミソです。
「動かぬ証拠」は、金で雇われて自分を殺しにやってきた殺し屋と、主人公が差し向いでいるところから始まります。一仕事の直前の会話は、死を逃れたい主人公の時間かせぎと思いきや、意外な反撃に出ます。一方で「フェア・プレイ」はお互いに相手を殺したい夫婦同士が、隙あらば、毒を盛ろうと狙っている。互いにサンドウィッチを作ってやっては、相手の作ったものは口に入れない。主人公の夫は、見事に妻の盲点をついて先制攻撃に成功しますが、その裏で……という話。
 いずれも一人称で、ユーモアを含んだ語り口が特徴です。比較的静かなのは「動かぬ証拠」でしょうか。このあたりの登場人物が物事に動じないところは、レックス・スタウトとかクレイグ・ライスを連想させます。軽快な文章と展開で、スレッサーに比べても、話が深刻に陥らない。たとえて言えば、スレッサーがスピレーンだとすると、リッチーはカーター・ブラウンというところでしょうか。
 異色作と言えるのが「デヴローの怪物」です。第一にイギリスが舞台というのが珍しい。代々続いた主人公の家には、毛むくじゃらの怪物が現われるという伝説がある。近所に越してきたばかりの退役した大佐――娘と主人公は婚約したところ――が、つい最近目撃したらしい。主人公は一笑に付しますが、同じ村に住む戦友は、冗談半分ながら、主人公の祖父の弟が、怪物化していったという言い伝えを大佐と娘に話します。読んでいて、イギリスという雰囲気があまりしないのですが、それはいいでしょう。怪物の仕業と思われる死人が相次ぎ、一方で、婚約者の娘が戦友に走るといった事件が起きます。「デヴローの怪物」は、リッチーの異色作として珍重に値しますが、それでも、イギリスの作家が書けば、もう少し小説として厚みのあるものになるだろうと思わせます。
 先に、リッチーのユーモラスな語り口は、ライスあたりを思わせる、登場人物の動じなさ、心の動かなさを引き換えに得た、軽口めいたユーモアは、独特のユーモアと軽さをもたらしましたが、同時に、それは登場人物の薄っぺらさなり、それを描く手段の単純さをもたらすことになりました。
 たとえば、この時期のAHMMに発表された秀作に「歳はいくつだ」があります。余命わずかと宣告された主人公が、ふとしたことから、日常の些細なシチュエーションで、暴君としてふるまう傲慢な人々を見つける。普通なら見ぬふりをしてやりすごすそれを、許さない気持ちになった主人公は、銃を手に入れ、そんな彼や彼女を射殺し始める。謎や仕掛けのない、淡々としたクライムストーリイで、『DEATH NOTE』を思わせる展開をしたところで、静かな結末を迎えます。今回読んだ中ではナンバーワンですが、それでも、被害者の傲慢さを描写一本では示せない。「こいつはけちな権力を与えられたけちな男で、その権力をシーザーばりに行使しているのだ」とひとりごちてみせるのです。リッチーが軽さと引き換えにしたものが、ここにあるように思います。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。

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