短編ミステリ読みかえ史

2018.02.01

短編ミステリ読みかえ史 【第107回】(2/2) 小森収

 スレッサーの日本での短編集としては『最期の言葉』が、21世紀に入ってから編まれました。こちらにも目をやっておきましょう。
「被害者は誰だ」は、EQMMコンテストの処女作賞を得た「人を呪わば」のことです(原題は同じ)。「ある一日」は、平凡で無害、どちらかというと知恵もまわらなそうなヒロインが、殺人者になるまでを短く描いたものでした。「唯一の方法」は、ある日突然、自分を破滅に追いやるスキャンダラスな写真をタネに、恐喝にやってきた男を、主人公が撃退するまでの顛末でした。「恐喝者」は、身を持ち崩した女のひとり娘が、判事の息子と恋仲になっている。けれど、その母親のせいで破談寸前です。結婚を先延ばしにされ、娘も承知しそうな気配。そこで一計を案じた母親が、判事に直談判に乗り込んで……。「恐喝者」というタイトルをひっくり返す手際が、スレッサー流でした。「私の秘密」は、テレビのクイズ番組が舞台で、自分のささやかな手柄話(ルイジアナの豚呼びコンテストの優勝とか)を解答として持っている人々が、そのエピソードをスタジオの解答者に当ててもらうというもの。そこに応募してきたのは、自分は殺人を犯したので、それを番組で告白し、そのまま警察に出頭したいという男でした。スタジオを警官が張り込む中、番組は進みます。後半の急展開が読みどころでした。「身代わり」は、何か問題が起きたときに、責任を取って首を斬られるためだけに、その場その場で雇われる男という、企業社会の隙間産業的なプロフェッショナルを描いた小品ですが、根本の発想の面白さのわりに、話そのものは平板でした。
 こうした短編は、ひとつの犯罪を、それが成就するまでを描いていくという意味で、なんの変哲もないクライムストーリイでした。「恐喝者」「私の秘密」は、そんなにうまくいくものだろうかと思わせるところが、いささか瑕ですが、それは長所短所それぞれあるということです。しかし「唯一の方法」など、結末も予想がつく(それでも予想外のユーモアはあります)し、展開として評価できるところが、あるわけでもありません。しかし、強請屋を撃退したのちの寂寥感は、評価したいものです。
 こうしたクライムストーリイの中で、とくに面白かったのが「ルースの悩み」「目撃者の選択」でした。
「ルースの悩み」は、病的な万引き女が主人公です。ここでは、万引きがはっきり病気と認識されていて、彼女は医者にかかることを勧められ、夫は尻ぬぐいをしてまわっている。馴染みの店は理解を示し、返品したり代金を払うことで穏便にすませています。しかし、犯罪は犯罪です。夫の会社が、彼の妻の行状を知ったらどうなるか……と、恐喝者がやってきて、宝石の万引きを強要します。途中でバレても、病気だからお咎めなし、うまく行けばマル儲けというわけです。半ば無意識にやっていた盗みが、意識したものになった途端、危険なものになってしまう。このあたりが面白く(そして、本当なら、もっと面白くなりそうでもある)、盗みはうまく成就します。口をつぐんではいられないヒロインは警察に出頭しますが、真犯人たちの手がかりは何もないはずだったのが……という話。「うわの空の殺人」のように、主人公の極端な性格設定というアイデアを活かした一編でした。
「目撃者の選択」の主人公のところにも、恐喝者が定期的に訪れています。月に50ドル強請られていて、インフレの折から、値上げまで迫られている。そんなところにやって来たのは、同じ男に強請られている犠牲者仲間でした。たまたま郵便局勤めのその男は、逆に、恐喝者の正体をつきとめ、他にも被害者が12人いることまで見つけます。そして、主人公に持ちかけたのは完全犯罪のプランでした。自分が恐喝者を轢き殺すので、他のみんなで目撃者になって、完全な事故だと証言するというのです。その場にいただけのはずの、無関係な人々の証言は難なく信用されるだろうし、そもそも全員が証言を求められるともかぎらない。確かに、安全きわまりない犯行に見えます。しかし、主人公の良心は、殺人に加担することを許しません。かといって、男が計画をあきらめるとも思えない。協力を断って放置しても、恐喝者が死んでしまえば、その恩恵だけは受けられるぞ。なんてことを読者は考えながら読み進むことになります。

 ヒッチコック編の短編集で形成されたヘンリイ・スレッサーのイメージは、スレッサーの作品群の一部にすぎませんでした。スレッサーについて書いた最初の回で「20年後」について「スレッサーらしからぬ秀作と呼ぶべきか、いまひとつのスレッサーらしい秀作と呼ぶべきなのか? それが次回以降の課題になりそうです」と書きましたが、その答えは、後者でした。「夫と妻に捧げる犯罪」のところで、そこに収録された作品が、ヒッチコック編の二冊と、さして執筆時期が変わらないことを書いておきました。変わったのは、それを翻訳紹介する側の目だったのです。
 70年代に紹介された、他のスレッサー作品にも、いくつか、そうしたヴァラエティを感じさせるものがあります。たとえば「母親っ子」は、強盗殺人犯のムショ帰りの男が、自分を売ったかつての仲間のお礼参りに行くという、ただそれだけの話です。そこには、相手の母親しかいない。問い詰めると、昨日の夜死んだという答えです。昨日の夜というのが、いかにも思いつきの答えめいて、小技が冴えていますが、主人公は葬儀屋を聞き出して、そこへ向かう。結末は、仲間を売った友人の描写で終わりますが、犯罪者ふたり組と、片方の母親の人物像と関係だけを浮かび上がらせます。あるいは、窓口業務の最中に銀行強盗と相対した出納係の女性が主人公の「こんど彼に会ったら」です。丁寧な口調の強盗に、恐怖とともに奇妙な感じを覚えた彼女は、事件に動揺する一方で、犯人に対する一抹の興味をおぼえます。そして、そんな彼女に、もう一度、強盗がやって来る。意外な結末と呼べるかもしれないものはありますが、奇妙な強盗のために宙づりになった女心が、この小説の眼目でしょう。
 この二編はショートショートですが、「売り物でない馬」は、父の死後、遺産を競売で整理したヒロインが唯一残したのは、父の死の原因となった彼女の馬だったという、短編のクライムストーリイです。荒くれ馬に育ってしまった馬は、鞍をつけると狂暴になるものの、普段は彼女の美しい友人なのでした。彼女がその馬を売らないのは、次に乗り手を殺すようなことがあったら、殺処分が待っているからでした。そんな気持ちも知らず、馬を売れと言ってくる男がいる。そんな状況で待ち構えているだろう悲劇に向かって、話は淡々と進行します。
 あるいは、1973年旧・奇想天外に訳された「夢見る街」は、街じゅうの人間が同じ世界の夢を見るばかりか、夢の中の世界の登場人物であるらしいという、ファンタジーでした。そんな街に紛れ込んだある男は、ひとり夢を見ないがために、露骨な余所者あつかいです。小さな娘が、夢の中でシケイを見たといっていて、夢の世界は不穏なのでした。「ノアの子孫」を連想させた「隣りの独房の男」よりも、主人公の陥る奇怪さは上でした。
 こうした、実際の作品によるスレッサーの全体像の修正は、一般の共通理解となるまでには、到らなかったようです。小鷹信光と並ぶ、このころの短編ミステリ評価のキイマンは、各務三郎こと当時のミステリマガジン編集長の太田博です。その最初の著書『ミステリ散歩』のスレッサーの項は次のように始まっていました。
「気の利いた短篇小説というと、きまって落ちに期待をかけるのが、すれっからしの読者の悪い癖です」
 その各務三郎がもっとも買っているであろう、スレッサーの短編のひとつが「走れ、ウィリー」です。目算50ヤードと踏んだ距離を走る主人公の脳裏に描き出される彼の一生は、平凡と言えば平凡、個性的といえば個性的です。しかし、そこには、その時そこで走るに到った彼の人生が鮮明に描かれています。ミステリマガジン1970年11月号に掲載された、このショートショートが、いまにして思うと、スレッサー再評価の最初の狼煙であったように思います。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。

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