短編ミステリ読みかえ史

2018.01.05

短編ミステリ読みかえ史 【第106回】(2/2) 小森収

 エド・レイシイは、評価が定着しそこなった感のある作家です。『ゆがめられた昨日』はMWA賞こそ取りましたが、かといって、それが高評価とは言えない。『さらばその歩むところに心せよ』を、傑作と呼ぶのに私は躊躇しませんが、日本でそれほど読まれているとは思えません。本国でもどうでしょう。まして短編は、邦訳数も少ない。「相続人の死」の主人公は、工業関係専門の私立探偵ですが、実際のところは、違法行為も辞さない請負の産業スパイです。ところが、専門とは言えない遺産相続人探しの依頼を受けます。放蕩の末、行方をくらましていた相続人の一人が、ようやく見つかったと思ったら、飛行機事故に巻き込まれ、おまけに、搬送された病院から行方不明になったのでした。手段を選ばず、真相に肉薄する主人公は、ハードボイルド的でもあり、当時隆盛のスパイヒーロー的でもあり、60年代の通俗的な探偵像の典型を示しているかもしれませんが、展開の速度はともかく、解決は平凡で、予想のつくものでした。
 アーサー・ポージスはユーモラスな掌編がいくつか記憶に残る作家ですが、松本清張のアンソロジーに採られているような、ハウダニットに的を絞った作品を、ヒッチコック・マガジンに寄せていたのは、意外に感じました。「消えた六十マイル」「観察」の二編ですが、犯人の犯行を描いていき、アリバイトリックの直前で打ち切って、捜査側に筆を移す「消えた六十マイル」は、犯行の不可能性に探偵チームが頭を悩ますプロセスが面白く書かれていました。
 ハウダニットのディテクションの小説は意外に多く書かれていて、松本清張のアンソロジーの中から目につくものをあげてみましょう。ロバート・C・アクワースの「黒い殺人者」も、嵐の夜に暴れ馬に蹴り殺された被害者が老牧場主、容疑者がその弟という単純なシチュエーションで、犯行方法の解明一発に勝負をかけた一編でした。リチャード・ハードウィックの「睡蓮」も、事故死を装うために犯行トリックが主眼でしたし、同じ作家の「けちんぼハリー」は、おそらく殺されたであろう行方不明者の、死体の処理方法が、話の眼目になっていました。エドウィン・P・フィックスの「ねずみとり」も、妻を離婚したい男が、浮気するよう罠をかけたところを、逆手にとって……という話ですが、平凡なアリバイトリックを、あまり巧くはない使い方で解決をつけていました。
 ハウダニットというのは、量産のための方法として、有力なものなのかもしれません。一見不可能に見える事象が、こうすれば可能になるという思いつきさえ得られれば、一丁上がりとなるからです。ま、思いつくことが簡単だとは言いませんが。しかし、それを探偵役が解決するというルーティーンに落とし込むだけなら、一丁上がりの安易な感じは免れないでしょう。
 たとえば、同じハードウィックの「満潮」と比べてみましょう、海辺で事故に遭遇した主人公は、落ちて来た大きな鉄梁に足を砕かれたのみならず、そこに挟まれて動けなくなります。手段をつくしても、抜くことが出来ない。しかも、潮が満ちてきていて、満潮になれば溺れ死ぬこと必至です。居合わせた友人に助けを呼びに走らせますが、その男がなかなか帰って来ない。そのとき、彼は、友人に自分の死を望む理由があることに気づきます。やがて、何時間も経ってから、助けを連れて、その男は戻って来る。
 ひとりふたりの力では動かすことの出来ない鉄梁に足を挟まれた男が、いかにして助かったのか? ハウダニットの謎の解明が、話のオチになってはいますが、探偵役がその方法を見抜くという形をとっていません。その代わりに、助けを呼びに行った友人は、本当に主人公を殺そうとするのかというサスペンスがあり、消極的殺人に手を染める男をわずかな描写で描く面白さと、それに気づく主人公と彼との人間関係の綾が、そこにはありました。始めに事件があって、探偵役がその事件の真相を見抜くという、おきまりの形が形式的硬直をもたらした時期に、それを突破したのは、ひとつには、こうした発想の転換あり、小説的な広がりを武器にすることだったのです。

 ハウダニットのディテクションの小説に仕立てうるアイデアを、サスペンス小説やクライムストーリイに用いるというのは、ひとつの分かりやすい形ではありますが、もちろん、そのような形だけで、サスペンス小説やクライムストーリイが発達したのではありません。
 たとえば、先に例にとったリチャード・ハードウィックは、松本清張のアンソロジーに四編が収録されていますが、「満潮」とともに面白く感じたのは「小さな声」という一編でした。どうやら狩りに出ていたらしい主人公が、林の中で、死体を埋めている男を発見します。男は新聞に顔写真が出るほどの著名人で、格好のゆすりの種になると、死体を別の場所に埋めかえてしまいます。男の父親は州政界の黒幕で知事に顔もきく。そんな男の妻の誘拐事件が新聞に出たのです。誘拐に見せかけて妻を始末したに違いないと、さっそく死体を埋めるところを見たと電話で脅す。見張っていると、件の男が件の場所を掘り返しに来る。追い打ちをかけるかのように、匿名の電話で、脅しをかけます。主人公は大金の入るチャンスと期待しますが、かねて不仲の妻が一緒では、おいしいものもおいしくない。そこで、事故に見せて殺してしまいます。ずさんな計画の殺人は、すぐに真相が露見し、主人公は逮捕されます。しかし、切り札が残っていました。弁護士に頼んで、脅迫の相手に連絡をつけさせ、知事の恩赦を勝ち得ようというのでした。
「満潮」に比べると、犯人の性格や計画のいい加減さが目立ちますが、この場合は、その安直さが怖いとも言える。なにより、脅迫に用いたフレーズの意外な効果が見事でした。ヒッチコック・マガジンらしいクライムストーリイと言えるでしょう。
 クライムストーリイやサスペンスストーリイに目を転じると、ロバート・コルビイの「プロフェッショナル」は、少しノエル・クラッドの『ニューヨークの野蛮人』を思わせる、殺し屋の話ですが、甘さも厳しさも、ともに軽いことは否めません。デイヴィッド・アレクサンダー(清張のアンソロジーではダヴィッド)の「招かれざるダディ」は、妹が誤って人を殺し、それを目撃した隣家の老人に、姉妹の生活を乗っ取られる姉の話でした。ヒュー・ウォルポールの「銀仮面」やシャーロット・アームストロングの「あほうどり」といった作品の系列と言えるでしょうが、老人に怖さやしつこさが希薄なので、迫力にいささか欠けます。ドナルド・ホーニグ(清張のアンソロジーではホニッグ)の「サマー・キャンプ」は、子どもたちをサマーキャンプに連れて行くカウンセラーを語り手にして、どうやら殺人を犯しているらしい、邪悪な男の子を描くという、Q・パトリックふうの話です。男の子の邪悪さを証明するために、主人公は身を賭した勝負に出ます。
 こうして読んでいくと、30年代から40年代50年代にかけて、アメリカのミステリが開拓したフィールドが、ひとつのクリシェとなって、再生産されていることが分かります。
 リチャード・O・ルイスの「最終章」は、執行を待つばかりの死刑囚の生活を取材するために、死刑囚の独房に暮らすことを許されたジャーナリストが、どういうわけか本物の死刑囚と取り違えられる恐怖を描いています。前段の作品群ほど、あからさまではないにしても、フィッツジェラルドの「リッツ・ホテルほどもある超特大のダイヤモンド」やリチャード・マシスンの「ノアの子孫」といった先行作の影を見ることが出来ます。
 一方で、サーカスの先乗り宣伝係が、明日はこの町を去るという日に、奇妙な殺人依頼を受けるホーデン・ディール「捨て台詞」や、亭主の狩りに雪山についてきた妻と、鹿狩りのガイドとの間の微妙な関係が殺人に発展するジョン・コーテズの「フェア・ゲーム」といった作品を読むと、ひねりを利かせたクライムストーリイという行き方自体が、この段階ですでに、ひとつのルーティーンになってしまっていると感じさせます。
 そんな中で、シンプルであることが、逆に効果的な一編がありました。ジェイムズ・ホールディング(この作家は、あとで、また読む予定ですが)の「密輸品」という作品。どうやら、長期ヨーロッパ旅行中のアメリカ人夫婦が、ナポリに着くところから始まります。夫は直前の滞在先で密輸に手を染めたらしく、妻は不安な面持ちです。指示された場所への電話、その電話先の怪しい相手と、徐々にサスペンスと不可解さが増していくのが、巧いところです。金を用意する必要があったりと、どうも単なる運び屋をやっているわけではないらしい。密輸の全貌が分からぬままに、結末まで引っ張っていき、意表のサゲが決まります。意外な結末を軸にしながら、その結末には、主人公夫婦の心根がのぞいている。アイデアストーリイがもっとも成功した場合は、こんな作品が生まれるという見本になっていました。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。

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