短編ミステリ読みかえ史

2017.10.02

短編ミステリ読みかえ史 【第103回】(2/2) 小森収

 もっとも、デビュー数年で、スレッサーは、あまたの短編を量産したのですから、そうそう野心的な作品や、高いレベルで問題として論じうる作品ばかりを、書き続けているわけではありません。むしろ、量産に堪える作法を見出したという印象の方が強い。『ママに捧げる犯罪』『うまい犯罪、しゃれた殺人』以上に、オチの意外性として発想されたワン・アイデアが剥き出しの作品が目立つようになるのです。
「料理人の問題」「夜が淋しいの」「制服は誰にも似合う」「父帰る」「良薬は口に苦し」といった作品群がそれにあたり、前述の「女の力」でさえ、そうした作品のひとつに見えてしまいます。これらの作品は、雑誌のアクセントとしてならともかく、こうして一冊にまとまると、貧弱に見えるのは否めません。また、クライムストーリイが増えているのも、この短編集の傾向で、犯罪が意外な形で失敗するというのが、ひとつのパターンとなっています。
 そうした傾向の中で、比較的面白いのは「最後の遺品」です。主人公は葬儀屋ですが、交通事故で死んだ男の死体に、不審な傷を見つけます。どうも銃弾の跡らしい。旅先で事故死したのを、同乗していた会社の共同経営者が埋葬を依頼してきたもので、最も安い値段で最低限のことだけを至急やれというオーダーです。射殺を偽装したものと踏んだ葬儀屋は、仕事の依頼主のところへ行き、最上の葬儀コースへの変更を口実に大金をせしめようとします。阿吽の呼吸で手付を受け取り、死体は埋葬されますが、残金を催促に行くと、定価分は払ったと、それ以上の支払いは断られる。埋葬してしまえば証拠はないだろうと開き直られたのです。悪党同士の騙し合いを制したのは、どちらだったのでしょう?
 倒叙ミステリとも、また異なる、犯罪を企図する人々と、その失敗(まれには成功)を描くという、スレッサーのパターンが、ひとつの極端な例として結晶したのが、ルビイ・マーチンスンのシリーズです。日本語版の「ヒッチコック・マガジン」創刊号から連載され、日本では短編集としてまとめられることになった人気シリーズですが、その評価は果たして正しかったのでしょうか?
 ルビイ・マーチンスンのシリーズは、ルビイの五歳ほど年下の従弟であるハイスクール出たての青年が語り手です。ルビイは眼鏡の目立つ計理士で、そこそこの給料をもらえているのですが、従弟の目には生まれながらの犯罪者に見えている。キャフェテリアで毎日のように、ルビイの犯罪計画を聞かされているのです。「ぼくの従兄のルビイ・マーチンスンという男は、ぼくがいままで出会った人間のうちで、最も徹底した典型的犯罪者の一人だと思う」と、シリーズ第一話は始まりました。この大げさな書き方が、シリーズの基調を示しています。以下、この「徹底した典型的犯罪者」の試みる犯罪に、共犯者として巻き込まれながら、それらが失敗に終わるのにつきあい続けるのです。
 第一話は食料品店の主人が売り上げを抱えているところを襲う話ですが、自転車でぶつかって、その隙に鞄をすり替えるという手順もともかく、ルビイもぼくも自転車に乗れず、練習するところから始めるというズッコケぶりです。第二話は、質屋を相手の詐欺で、ルビイが金持ちの客を装って、安物のイヤリングを値段をいとわず探していると来店してみせ、そののち、その安物のイヤリングを高値で売りつけようという魂胆です。
 といった具合で、あるときは、空き巣に入っては浴室に閉じ込められ、あるときは、リトルリーグのエースに八百長をもちかけ(けしからぬことに、試合は賭けの対象になっていて、なお、けしからぬことに、小学生ほどのチビっ子エースは、その賭けのことを百も承知なのです)、あっさり裏切られたりと、聞くだに成功おぼつかない計画犯罪が、ものの見事に失敗する様が、連続喜劇ふうに続きます。これはもう、クライムストーリイとは別種の、主人公たちのドジぶりを嗤う喜劇です。それも、子どもが大人の真似をしているような幼さが根っこにはある。「大人の童話」と評す向きもありますが、とんでもない。犯罪ものにかぶれた子どものドタバタです。それはそれで、やりようによっては、ミステリとして成立するかもしれませんが、ルビイ・マーチンスンのシリーズの苦しさは、語り手が18とか19歳、ルビイが20代前半という年齢設定にあります。その年齢に比して、彼らのやることはあまりに幼い。半世紀前であることを差し引いても、ローティーンのそれでしょう。
 考えてもみてください。デイモン・ラニアンの登場人物が、どれほど愚かで、頭が悪かろうと、それでも、彼らは大人であり、ニューヨークで犯罪稼業に実際に手を染めていました。その上での愚かさや頭の悪さでした。後年出るドナルド・E・ウェストレイクのジョン・ドートマンダーのシリーズもしかりです。子どもが子どもの愚かさを持つのではなく、いい歳の青年が計画実行する犯罪が、まるで子どものそれであっては、喜劇としても、いささかシラけるというものです。

 さて、では、スレッサーが華々しく登場し活躍したころの、ヒッチコック・マガジンには、他にどんな作家のどんな短編ミステリが載っていたのでしょう?
 私は日本語版のヒッチコック・マガジンとは、巡りあわせが良くなくて、二冊しかバックナンバーを所持していません。それでも、ものの手がかりとして、そのうちの一冊を読んでみることにしましょう。1961年4月号。特集は「日本の拳銃」となっています。Gunのことをやれば、雑誌が売れたようですね。編集長は、無論、中原弓彦。若き日の小林信彦です。売り物のスレッサーは先に触れた「母なればこそ」が載っていて、巻頭はガードナーの「レスター・リースの素人芝居」。30年代の旧作です。スレッサーはO・H・レスリー名義の「湖畔にて」も訳されています。口の悪さから敵を作ることの多い、主人公の会社社長が、山あいの別荘に来ているのですが、そこでも親友の副社長から、そのことを諫められている。しかし、その諫言も耳に入らぬかのように、彼は、行方不明になった少女のニュースに気を取られている。主人公の度を超した行動が、最後に、平凡な結末を見ます。パターンが透けている上に、サゲを読者に伝えるナレーションに工夫も何もなく、これではページを埋めただけでしょう。
 ドナルド・E・ウェストレイクは、処女長編『やとわれた男』で華々しく登場する直前にあたりますが、ここに掲載された「さようなら、おやすみなさい」は、なかなかの才筆です。瀕死の重傷を負った男の一人称で、息も絶え絶えに、まず自分の名前を改めて思い出すところから始まります。死に際の男が、自分を撃った相手とその動機を推理する。スタンリイ・エリンの後年の長編にも、似た手触りの小説がありました。ウェストレイクのアイデアは、主人公が自分の名前を冠したテレビのヴァラエティ・ショウを持っているタレントで、きっかり二時間前にノンストップで収録した、そのショウ番組が、ちょうどオンエアされているというものでした。二時間前の元気な姿が映る前で、本人は死にかけているのです。しかも、彼の部屋の鍵を持っている容疑者は、妻も含めて、いずれも、なんらかの形で、そのショウの関係者なのでした。人物配置や事件の真相は、平凡の域を出ませんが、二時間前の映像が終始オンエアされていることが、最後の主人公の叫びに到るまで、効果をあげ続けているのが、さすがです。一読に値する短編でしょう。
 それに比べるとC・B・ギルフォードの「魔女焚刑」は魔女狩りの因習が残る寒村の酒場に、流れ着いた船乗りが、魔女と噂される女の伝説に挑むのですが、思いつきを無理やり形にしたため綻びが多く、買えません。ジャック・リッチーの「爆弾14号」にしても、仕掛けの辻褄はあっているものの、事件そのものが無理の多いものでした。ヘレン・ニールスンの「孤独な心」も、ひょんなことから、文通相手を得た、冷え切った結婚生活を送っている、中年の公認会計士が、その相手にのめり込み、妻殺しを決意するという話ですが。ありきたりの展開。ありきたりの結末の域を出ません。このあたりの、現在でも名前が残っている人たちが、この程度というのは、悲しいものがありますね。
 ジェームス・ホールディングの「死の味がする」は、複雑な化学知識(ホントに可能なのかは保証のかぎりではないです)を使った毒殺トリックを用いて、その説明のための犯人の演説に苦労しています。謎解きの形ではなく、クライムストーリイになっているのが、ヒッチコック・マガジン流ということでしょうか。ブライス・ウォルトンの「小羊と肉屋」は、ヴェジタリアンで、いかなる生き物を殺すことも主義として行わない男が主人公です。彼のまわりで不審な事故が続き、立て続けに生命の危険にさらされる。精神分析医は、彼に無意識の自殺企図があると診断するのですが……。まず、誰でも最初に考えられる展開をして見せておいて、そこにとどまらず、彼に対する罠がより巧緻で、悪質になるところは、凡手とは言えませんが、いかんせん、人と精神に関する知見・意識が半世紀前の俗流です。この中編の認識の程度よりは、もう少々、人の心の闇は深いというものでしょう。これだったら、キャンプを楽しむ一党が、殺人を犯して逃亡中の拳銃強盗とすれ違う一刻を描いた、ドナルド・ホーニグの「見知らぬ男」のスケッチの方が、小説としての余韻を持っています。
 結局、ウェストレイクの水準で読めたのは、フロイド・ウォーレスの「殺虫剤殺人事件」だけでした。主人公の弁護士が、つきあっていた大果樹園(西海岸の話です)主の娘に、突然フラれて、彼女は出来の悪そうな男とスピード結婚してしまう。という発端から、小気味よく話が進んで、ちょっぴり毒のある、悪の栄える話におちついて、見事な仕上がりでした。
 これらは、どれもクライムストーリイかサスペンスストーリイで、パズルストーリイ的な意味でも、ハードボイルド的な意味でも、探偵が出てきません。捜査には必ず警察を代表とする公的機関があたり、その手から漏れたところに、クライムストーリイの犯意や、サスペンスストーリイの恐怖が在る。ヒッチコック・マガジンの最大の特徴は、そこなのかもしれません。

EQMMコンテストの受賞作リスト(最終更新:2014年11月5日)


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『土曜日の子ども』『本の窓から』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』 等がある。

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