短編ミステリ読みかえ史
2010.07.05
短編ミステリ読みかえ史 【第16回】(2/2) 小森収
『あなたに似た人』の冒頭の3編の素晴らしさを、さきほど指摘しましたが、そのうち「おとなしい凶器」は、松本清張に翻案に近い短編があるほど、凶器のアイデアが日本人好みで、テレビの刑事ものでも、いまだに同アイデアが出てきます。ただ、その部分よりも、心ならずも夫を殺した妻の心の動きが、正常人のそれとして、きびきびと描かれるところに、この短編の美点はあります。凶器がドメスティックであったように、犯罪心理もドメスティックだったのです。「味」は、今回再読して、それほどの驚きはありませんでした。利き酒をする美食家の好色ぶり、卑しさが、巧く出ていないように思ったのです。サキやコリアなら、こういうところで腕まくりしそうなものです。ダールを読んで、サタイアだと感じることがないので、そうした資質はないのでしょう。小林信彦が『地獄の読書録』
十代の初読のころは「海の中へ」「毒」といった、分かりやすい短編が印象に残っていたものでした。さすがに、今回は「わがいとしき妻よ、わが鳩よ」の、盗聴のいかがわしさ(が、実はここでも不十分な気がします)そっちのけで、自分たちもイカサマの稽古をはじめてしまうおかしさに、魅力を感じました。どこがいいのか良く分からなかった「お願い」も、買えないけれど、面白いという人の気持ちが理解できなくはない。初読より感心したのは「首」の中盤あたりから盛り上がっていくサスペンスであったり、「皮膚」の語り口の巧さでした。「韋駄天のフォックスリイ」のいじめの生々しさも、多分、体験から来るのだろうなと推測するくらいのことはできるようになっていました(実際、その通りのようです)。
それにしても、作家としての腕前は、サキ、コリア、ダールと並べると(前回も書いたように『あなたに似た人』に都筑道夫がつけた解説の題名は「サキ・コリア・ダールの系譜」でした)、ダールはやや落ちるのではないか。その考えは『キス・キス』を再読しても変わりません。
「女主人」は、この短編集の最高作であるのみならず、短編ミステリのマイルストーンのひとつでしょう。くり返しますが、ジョン・コリアに萌芽のあった、結末においてほのめかす技術の洗練は、エリンの「特別料理」
『キス・キス』には、安定した技量を持った短編作家の姿はありますが、『あなたに似た人』の持つショック、「南から来た男」を筆頭に、いくつかの短編が宿していた迫力はありません。「牧師のたのしみ」や「ビクスビイ夫人と大佐のコート」のような、落語を思わせる愉快な騙しあいや、「豚」「ほしぶどう作戦」などの短編の骨格からはずれた話を、話術で読ませる(「皮膚」にいささか同じ気配がありました)ものが、むしろ目につきます。後年MWA短編賞を獲ることになる、ワーナー・ロウの「世界を騙った男」
私が短編ミステリを意識的に読むようになった1970年代には、ダールの新作にお目にかかることは、なかなか出来なくなっていました。『キス・キス』以後、読者の渇きを癒していたのは、おもに、ぽつりぽつりと訳される第一短編集の作品で、『昨日は美しかった』(新書館)として邦訳がまとまったのは、1973年のことでした。その間、「廃墟にて」のような小品を探してきては、HMMが掲載していました(67年3月号)が、私にはローラン・トポールの「スイスにて」
細君で女優のパトリシア・ニール(晩年に離婚しました)が、難病にかかったこともあって、60年代のダールは映画のシナリオを手がけ、また『チョコレート工場の秘密』
『チョコレート工場の秘密』に対して、ウンバ・ルンバの描写が差別的だという批判が出たというのです。ダールは、アフリカの現実のピグミー族ではなく、想像上の生き物のつもりで創造したキャラクターだとして、1973年そのように改訂しました。この部分を読んで、私は、ダールの短編に登場するクロウドという人物のことを想起しました。
「クロウドの犬」は『あなたに似た人』の最後に収められた、風変わりな構成の長めの小説です。全体が4つのパートに分かれていて、クロウドの友人ゴードンの語りで、クロウド(も含めて)の周囲の狂想的な人物像が描かれます。最後のパートがもっとも長く、その部分で描かれるクロウドのドッグレースでのいかさまが、中心的なエピソードと、一応はいえます。長さも長いし、ダラダラした退屈な話なのですが、イギリスの労働者階級の野蛮な素描に見えてしまうという面があります。面があるというのは、ダールの意図が、おそらくそこにはないだろうからで、次にクロウドが登場するのは『キス・キス』に収められた「牧師のたのしみ」のカモとしてです。すでに、ここでのクロウドは、粗野な田舎者というよりは、落語の与太郎に近く、知能犯の美術商の策略にひっかかりつつ、その策略を暴力的にぶち壊してみせます。そして、『王女マメーリア』に収録された「“復讐するは我にあり”会社」のクロードも、おそらくは同一人物というよりは同一キャラクターでしょう。ここでは、ニューヨークにやってきたクロードが、野蛮きわまりないビジネスを創出します。
粗野で野蛮でズッコケたキャラクターを、ダールは小説に出したかったのでしょう。あるいは、書いてみて気にいったのでしょう。しかし、「クロウドの犬」は出だしのエピソードが陰惨なこともあって、それが生な形で小説に現われています。そこには、粗野な階級を覗き見る楽しみを、スリックマガジンに切り売りするかのような嫌味さえ感じます。アラン・シリトーの登場する前ですしね。このあたりの無邪気さが、サキやコリアとダールを分けるものだというのが、私の直感です。サキやコリアが書いたなら、おそらく意識して悪意をもって書いたでしょう。
ダールが作家としての幸運なスタートを切ったいきさつは最初に書きました。その後、世界最高とも言われる原稿料で、ダールは寡作を守りました。もちろん、短編集は売れたし、初期の日本語版EQMMに作品が載ったということは、おそらくは本国版に再録されたわけですから、リプリントの収入もあったでしょう。だが、戦争が終わり、シェル石油に戻るか、何気なく始めた小説書きをフルタイムでやるかを、キャリア数年で秤にかけたダールは、小説を書くことを、おそらく職業としてながめ続けたにちがいありません。
1966年、自分が脚色した映画「007は二度死ぬ」
このころ、すでにダールの児童ものは、アメリカで素晴らしい売上げをたたき出していたようです。ダールは「どうだ、きみの社で出さないか」と水を向けます。以下引用すると。
「『きみのところでは、児童ものを出版していないのか?』
『かつて、エラリイ・クイーンのジュニアものを出したことがある』
『なに、エラリイ・クイーン!』
ダールは苦笑に似た笑いをプッと洩らした。いや、失笑だったかもしれない。(中略)レックス・スタウトの話が出たときも、彼は同じ態度を見せた」
このシーンをどう判断するかは、けっこう難しくてデリケイトですが、ひとつだけ、間違いなく確かなのは、早川書房がロングセラーをひとつ取り逃がした、まさに上手の手から水の漏れた瞬間だということです。
■小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』
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