短編ミステリ読みかえ史

2010.01.06

短編ミステリ読みかえ史 【第10回】(2/2)  小森収



――ウールリッチが抜け出せたのは、なぜなんですか? 持ち込んだのかな。
「あれは持ち込みだと思います。ただ、持ち込むには書かなきゃならないわけです。それは、スケールこそ違え、フィッツジェラルドの悩みと同じことだと思うんですけど、長編を書く時間を捻出するための金がない。グルーバーも書いてますけど、みんな日銭に追われて、長編なんて書いてる暇がない」
――ガードナーみたいな馬力がないとね。短編たくさん書きながら、長編仕上げられない。
「ウールリッチは1938~39年頃から短編発表数を減らし、また意識的に中編など長い話を増やして、長編執筆準備に取り組んでいたようです。このころは、多くのパルプ作家が単行本作家へと出世した時期でもありました。たとえば、チャンドラー『大いなる眠り』(39)、グルーバー『フランス鍵の秘密』(40)。この当時、もっとも有名だったミステリ編集者が、サイモン&シュスター社のリー・ライト(彼女が世に送り出した作家にはクレイグ・ライス、アンソニー・バウチャー、スタンリイ・エリン、のちにはD・E・ウェストレイク、ジョー・ゴアズ、ビル・プロンジーニなどがいます)。ウールリッチも彼女に原稿を送ったみたいです。『黒衣の花嫁』はサイモン&シュスター社から刊行されました。
――だけど、ウールリッチは、なぜ、ミステリを書き始めたんでしょうね。ほかのパルプじゃなしに。
「それは推し量るしかないんですが……ミステリでないものを書いてたときも、愛の話か死の話、煎じ詰めれば、それしかない、みたいなことを言ってるんで、そうすると、ミステリは書きやすかったんじゃないですか」
――なるほど。愛と死を見つめてたわけだ。言われてみれば、ウールリッチのミステリは愛と死の話につきるかもしれないですね。
「だから、謎ときには行かないというか。目ざしてないというか。それに、ラヴストーリイのパルプって少なかったはずなんですよ。だから、市場として見ても、ミステリに行きやすい。で、書いてみたら、いくらでも書ける、商売にもなるということになったんだと思うんです。それから、売れるまでのタイムラグに関しては、彼の家は金持ちなんですよ。生活に困ってなかったということはあると思います。これが資産もなくその日暮らしだったら、もっと早くパルプに行ってたと思うんです」

 ウールリッチは、ストレイトノヴェルで失敗し、ミステリに転向した作家だ。
 この一文は、確かに、それはそれで間違いではないかもしれませんが、それはまた、補足が必要だらけの文章でもあるでしょう。コナン・ドイルだって、本当に書きたいものは他にあったのです。読者の要請があるから書くというのは、それが売れるから書くというのと、同じことなのか違うことなのか、微妙なところもありましょう。ただ、ホームズものを書いたドイルと、ウールリッチの明解な相違点は、ウールリッチの時代には、ミステリが商業的な意味でもジャンルを形成していたことです。近ごろ、ジャンルないしジャンル小説という言葉が、さほど緊張感のないままに用いられますが、ジャンルという場合に、文学的な意味なのか商業的な意味なのかは(ともに併せ持った場合も含めて)腑分けしておかないと、混乱するでしょう。門野さんとのお喋りにも出てきたように、パルプマガジンがジャンルごとに(商業的に)特化していく中で、ミステリはひとつの位置を占めるようになりました。つまり、第一次大戦後あたりから、少なくともアメリカでは、売れる小説のジャンルのひとつとして、ミステリは認知されるようになったということです。そして、失意のウールリッチは、知ってか知らずか、直前に書かれていたモームの「創作衝動」を、地でいくことになったのです。
 もっとも、さらに補足は必要で、イギリス人のモームが金目当てに女流作家に書かせることにしたものと、アメリカ人のウールリッチが金目当てに書いたものとは、微妙に異なっているでしょう。それをミステリとして一括りにしているのは、本来、多分に便宜的なものです。前者のようなものも、後者のようなものも、成功した作品の場合は、ともに面白いと感じ、その面白さに近しさを感じる私のようなモノズキだけの考えかもしれません。
 また、G・K・チェスタトンやニコラス・ブレイクや坂口安吾といった、本業で名を残した人がミステリに手を染めた場合は、一種の余技と考えて除外するにしても、アントニー・バークリーやエドマンド・クリスピンといった、結局はミステリ作家であった人たちと、ウールリッチが同じに見えるかというと、そんなことはないのです。それは、なぜか。一言で言うと、ウールリッチはミステリがあまり上手ではない。門野さんはお喋りの最後で、「謎ときには行かないというか。目ざしてない」と言っています。そして、その意見に私は同意するものですが、それは、単に謎ときミステリではないということなのでしょうか? では、ウールリッチを肯定的に評価する際に必ず出てくるサスペンスという要素は、謎やそれを解くという行為と無関係に存在しているのでしょうか?
 ウールリッチという作家を読み返すとは、そういうことを考える作業になるはずです。次回は、その作業を具体的に始めることにしましょう。


小森収(こもり・おさむ)
1958年福岡県生まれ。大阪大学人間科学部卒業。編集者、評論家、小説家。著書に 『はじめて話すけど…』 『終の棲家は海に臨んで』『小劇場が燃えていた』、編書に『ミステリよりおもしろいベスト・ミステリ論18』 『都筑道夫 ポケミス全解説』等がある。


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