短編ミステリ読みかえ史

2018.09.03

短編ミステリ読みかえ史 【第114回】(1/2) 小森収

 あらためて、日本でも不遇だったころに、ミステリマガジンに邦訳された、フィリップ・K・ディックの短編をリストアップしてみましょう。カッコ内の別題は、のちに改題されたり、新たに出た翻訳のものです。
「建造者」70年6月号(あてのない船)
「植民地」70年8月号
「クッキーばあさん」71年1月号(クッキーおばさん)
「レダと白鳥」75年3月号
「地図にない町」75年8月号
「侵入者」77年7月号(ルーグ)
「開き戸の向こうに」78年10月号(ドアの向こうで)
「変種第二号」78年10月号
 ついでに書いておけば、この間の旧・奇想天外にも「グレートC」74年6月号(偉大なる神)と「輪廻の豚」74年9月号(ウーブ身重く横たわる)の2編が訳されています。同時期にSFマガジンでの紹介も、ないわけではありませんが、ミステリマガジンの方が数が多い。ただ、あくまで、幻想・怪奇小説としてのあつかいで、「開き戸の向こうに」「変種第二号」の2編が掲載された際も「ディックのホラーランド」と銘打たれていました。
 もっとも、そういう区分は、必ずしも厳密なものではないし、読む側も、それに囚われていたとは思えません。ただし、それらの短編に、ディック独特の肌触りがあったことと、それがアピールしたであろうことは、間違いないでしょう。たとえば「建造者」は、巨大な船らしきものを、男が自宅で造っている。近所の人や知人はもちろん、家族にさえ、それがいかなる用途と目的を持つのか、はっきりしない。不条理小説めいた展開と語り口は、ミステリの中にあっても、SFの中にあっても、異彩を放つものでした。むしろ、「建造者」の場合は、このオチがつくことで、悪夢から醒めてしまったかのような肩透かしを受けたものです。「クッキーばあさん」の、結末を暗示する力や、「地図にない町」の異世界が侵犯してくることが、受け入れられてしまう不気味さは、前者はコリアやダールを、後者はサキを、私には連想させますが、類似点よりも、それがディックの個性とでもいうべきものになっていることが、重要であるように思います。
「植民地」「変種第二号」と並んで、まごうかたなきSF短編の秀作です。顕微鏡に突然襲われるという、奇想天外な発端から、何にでも姿を変えられる異生物というアイデアは、シェクリイにも類似したものがありましたが、植民地の先遣部隊である彼らが、ひとりまたひとりと殺されていく。反撃もむなしく、ついには、この星を放棄するばかりか、このまま帰還すると、この異生物を紛れ込ませてしまうおそれがあるという展開が、リアリスティックかつ斬新で、それを防いで、全裸のまま迎えの宇宙船を待つというのが、ユーモラスで秀逸なアイデアです。その果てにくるオチも見事で、むしろ、ディックらしからぬ職人的とも言える端正な一編に仕上がっていました。
 これらの作品のいくつかは、1977年にイギリスでジョン・ブラナーによって編まれた、ディックの傑作選と重なっていて、ディックの評価を促す際に、日英双方で好短編と目されたということでしょう。サンリオ版のディックの傑作選は、ブラナーのものをいちはやく翻訳したものから始まっていますから、ディック再評価の火付け役といっても過言ではありません。現在でも早川SF文庫のディック傑作集の第1巻『パーキー・パットの日々』として、ブラナーの傑作選は残されています。
「たそがれの朝食」(薄明の朝食)は、同時期にSFマガジンで紹介された作品中の白眉でしょう。平和な家族の朝食の風景に、突如戦争が乱入してくるという不条理な小説です。自分たち家族だけが、戦場の真っただ中に放り込まれたようなのです。不気味な兵士たちと、その後に登場するポリックという人物。近い未来に起きた戦争のど真ん中に、自分たちが紛れ込んだことを知った主人公一家が、帰還を賭けて選択した結果は……。結末の含みが絶妙な逸品でした。
 高報酬の代償に、自分が働いた二年間の記憶を消去された男が、しかも、その報酬の替わりに、雑多ながらくたを選んでいたという、ミステリ顔負けの冒頭の謎と、そのがらくたが活劇の小道具となっていく「報酬」は、記憶の欠落を補う主人公のアクションで小説が進んでいきます。「パーキー・パットの日々」は、核戦争後の地球で、火星からの援助物資頼みの生活を送っている人々が、パーキー・パットという人形遊びに血道をあげている。停滞した文明の中、未来のなさをいじましい娯楽でまぎらわしている。ともに、その特徴がディックらしく、また、読ませますが、秀作と呼ぶには練度に欠けていました。
「たそがれの朝食」と並ぶのは「フォスター、おまえ、死んでるところだぞ」で、核攻撃に対する防御が、一大産業になった社会のスケッチです。いつ始まるか分からない核戦争に備えて、次々とアップデイトされる防衛設備を購入するのが、消費者の務めとなってしまっている。主人公の少年は、父親が民間防衛組織に未登録の上、防御システムの分担金を納めていないため、学校のシェルターに入れません。敵の攻撃を受けたときの穴掘りや、非常時の逃走法などが学校で訓練される(少年は、訓練中にコーチから「死んでるところだぞ」と注意される)社会では、父親は非国民あつかいに近いのです。自分のささやかな事業に金をまわすため、同じく事業にすぎないものになっている、安全への出費を拒んでいる父親が、ついに折れる日が来ます。その顛末を描いた一編は、平穏な日常――が、SFとして書かれてはいるわけですが――の中で、父親の挫折を目撃してしまう息子の姿を描くという、ニューヨーカーあたりの都会小説に近い感触を私は受けました。
 フィリップ・K・ディックの作品世界は多岐にわたり、いまでは、その全貌に近いものが、日本語で読むことが出来るようになりました。


ミステリ小説のウェブマガジン|Webミステリーズ! 東京創元社
バックナンバー