短編ミステリ読みかえ史

2018.06.01

短編ミステリ読みかえ史 【第111回】(1/2) 小森収

 ミステリとSFの両方に手を染めた作家のうち、その双方でともに認められた人を数え上げるとき、真っ先にあがる名前のひとつが、フレドリック・ブラウンでしょう。日本での評価は、むしろSF作家としての方が高く、長編は数が少ない上に、おびただしい数の短編が訳されていることもあって、長短どちらかに偏っての評価ではありません。とはいえ、異色作家短篇集の『さあ、気ちがいになりなさい』が、SF、ミステリ双方の秀作を集めたものだったように、ジャンルを超えて奇妙な小説を多く書いた作家というのが、ブラウンに対する評価ではないでしょうか。ちなみに『さあ、気ちがいになりなさい』収録の12編のうち、ミステリに分類されるであろうものは「ぶっそうなやつら(危険な連中)」「町を求む」「沈黙と叫び(叫べ、沈黙よ)」の3編です。もっとも、「帽子の手品」なんて、どっちに入れていいやら悩むと思いますが(『天使と宇宙船』に入っているのでSFにしておきました)。
 ミステリの短編集としては『まっ白な嘘』『復讐の女神』の2冊があり、それを中心にした作品群は、以前に、この連載でも読みました。ここではSF短編を読んでみることにしましょう。
 第一短編集の『宇宙をぼくの手の上に』を読んで、まず感じるのは、長い作品が多いということと、ミステリを思わせる論理的な展開の妙が目立つという二点です。たとえば「一九九九年」は日本語版EQMMにも掲載されたことがあります。嘘発見機が絶大な正確さを発揮し、プロの犯罪者がほぼ完全に逮捕されてしまう未来社会の、少々パロディ化されたスーパー私立探偵が主人公です。どう見ても有罪なのに、完璧なはずの嘘発見機を逃れる容疑者が続出しているというのです。結末はブラウン流の、アイロニカルなハッピーエンドでした。これなど、SFミステリと呼んで構わないでしょう。そして、この文章からも思い当たる人もいるかもしれませんが、アルフレッド・ベスターの『分解された男』と似た設定です。ただし、嘘発見機というメカニズムが人の心を素通しにするというブラウンのアイデアと、超能力者による捜査網が犯罪を完全に抑止するというベスターのアイデアの間には、越えがたい質の違いがあるように私は思います。科学の延長としての機械が社会をコントロールするという発想と、超能力という夢想の産物の下で実現した、ありえない秩序という発想の違いです。後者の方が、圧倒的にダイナミックではないでしょうか。
 また、このふたつの小説には、犯罪者=悪い人間は更生させて真人間にすることが出来るという、共通した発想がありますが、その発想の持つダイナミズムも、ベスターの方が上のように私には思えます。同時に、悪い人間が犯罪を起こし、良い人間は犯罪を犯さないという二分法そのものが、現代では疑問視され、これらの作品を、いささか古めかしいものにしています。しかし「一九九九年」が単なる更生であるのに対し、古めかしさを持ちつつも、今なお『分解された男』が感動的なのは、ファンタスティックなまでに、あるいは象徴的なまでに、悪は善として再生しうると描いてみせたためではないでしょうか。『分解された男』のような、何十年に一度という傑作と比較するのは、そもそも酷かもしれませんが、ブラウン作品には、しばしば、そういう発想の軽さが見られることは否めません。
「一九九九年」ほど、直接的にミステリであるわけではありませんが、「狂った星座」もミステリの構成や発想を思い起こさせます。天空の星座が一斉に動き始めるという、とびきりの冒頭です。一体なにごとが起きたのか?と、これを謎と捉えて、それを解明しようとする人々を描くのですから、ミステリ、それもディクスン・カーばりの不可能興味に、かなり近い。もっとも、そうした書き方のおかげで、読む側も論理的というか現実的になってしまうところはあって、すべての星が勝手に動き始めるのは都合が良すぎるから、地球で観測する側に錯覚トリックがあるのだろう、といった予感が生じるのは避けられません。それでも、主人公がその発想の転換に成功するきっかけには、論理のアクロバットめいた膝を打つところがあって、解決が脱力ものなのが、ブラウン流の軽さのためと、私のように考えるか、それをユーモラスととるかは、判断が分かれるかもしれません。もうひとつ目を向けておきたいのは、全地球規模とでもいった多元描写が出てくるところです。これも、ブラウンにしばしば見られる特徴です。
『宇宙をぼくの手の上に』で衆目一致する秀作は「緑の地球」「ノック」あるいは、ブラッドベリ流のスペースファンタジーをブラウンが書いたらこうなるという「星ねずみ」といったところでしょう。「シリウス・ゼロは真面目にあらず」の愉快なホラを愛する人もいるかもしれません。広告や映画という、当時のアメリカの花形産業の金にあかした傍若無人さを、SFの世界に投げ込んだところ、「狂った星座」と一対と言えます。
『宇宙をぼくの手の上に』には、ブラウンらしい、ユーモラスで少し箍のはずれた発想の妙が見て取れます。ですが、初期短編集におけるブラウンの特徴が、さらにはっきり分かるのは、次の『天使と宇宙船』を読んだときです。


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