短編ミステリ読みかえ史

2017.12.01

短編ミステリ読みかえ史 【第105回】(1/2) 小森収

 C・B・ギルフォードと並んで、このころのマガジンライターとして名前があがり、日本での知名度もあるのが、ロバート・アーサーです。忌憚なく言えば「ガラスの橋」「五十一番目の密室」の作家です。ロバート・アーサーについてのこれまでの評価は、ほぼ、この二作だけによるものと言ってもいいでしょう。
「ガラスの橋」は1950年代以降の短編ミステリにおける、数少ない密室ものの秀作として評価が定まっているでしょう。このころの密室ものでは、ペンティコーストの「子どもたちが消えた日」と双璧ではないでしょうか。もっとも、評価や知名度に比して、実際に読むのはそれほど簡単ではないという点で、冷遇されていたかもしれません。私は、ハウダニットの部分は、それほど買いませんが、犯人の病気という設定や、現場のロケーションといった、細かい部分の工夫に面白さを感じるので、秀作という評価には賛成します。「五十一番目の密室」は、MWAの内輪話と、極端な機械的密室トリックとで、これまた、マニアの間で人気があるのかもしれませんが、私は買いません。こういう行き方自体、EQMMを当て込んだものではないかと、疑っていたくらいです。犯行現場が見世物になってしまうという点が面白かったくらいではないでしょうか?
 EQMMを当て込んだと私が考えたのは、それ以前にも「謎の足跡」という凡作で、EQMMコンテストのシャーロッキアーナ特別賞を得ていたからで、つまらない冗談につきあわされたような気になったからでした。ただし、そうした傾向が、必ずしも計算ずくではなく、ロバート・アーサーの趣味に基づくものであることは確かなようです。「こそ泥と老嬢」は、「毒薬と老嬢」(日本では映画化されたものより、黒柳徹子の舞台の方で知られているかもしれません)を思わせる老嬢二人組が、甥の遺した邸と、そこに隠したギャング相手の恐喝のネタ(そのために甥は殺されたのでした)をめぐって、これまでに読んだ探偵小説の知識をもとに、ギャングを迎え撃つというコメディでした。また、森英俊さんの手で発掘されたもののようですが、「五十一番目の密室」を、ヤングアダルト用に焼き直したのを、ヒッチコック名義の短編集に提供したものが、ミステリマガジンに載ったこともあります。そのこと自体は、安直な仕事かもしれませんが、やっぱり、そういう楽屋落ちが好きな人なのでしょう。
 ロバート・アーサーはC・B・ギルフォードとは異なり、謎解きミステリの作家と考えられ、事実、クライムストーリイやサスペンス小説の出来は、あまり芳しくありません。ヒッチコック・マガジンに載ったもので言えば、「失礼!番号ちがいでした」は、妻の不貞を疑った主人公が殺人に到る話ですが、展開も解決も凡庸なものでした。昔気質の新聞記者が、ショーガール殺しを追う「泥の中のボタン」も、インチキ犯罪学者をデッチ上げて書き飛ばした記事が、売り上げを伸ばすという、あまり説得力のない古めかしさの上に、人情噺めいた解決も魅力がありません。このほか、「モルグの男」は、偶然から生じた食い違いが、夫を殺そうとした女にパニックをもたらしますが、その食い違いの段取りは見事なものです。しかし、オチはこの形にしない方が良かったと思います。
 ロバート・アーサーのクライムストーリイで読むに値するのは「マニング氏の金のなる木」でしょう。銀行員のマニング氏は、逮捕される直前に、着服した金を、ある邸の立派な木の下に埋めて隠します。服役後、戻ってくると、そこは立派な木立になっていて、周囲に家も増えている。ちょっとやそっとでは掘り返せなくなっていたのです。刑務所で覚えた自動車修理の技術を頼りに近所のガソリンスタンドで働きながら、機会をうかがううちに、邸の婦人と親しくなっていき……。大金よりも大事な女性を手に入れたマニング氏の、長い後半生を手際よく語って、清々しい一編でした。
 もう一編推奨できるのは、「魔王と賭博師」という異色作です。ある賭博狂の男が悪魔相手に三度の賭けに勝ったために、その後一生賭けに勝てなくなるという、ファンタスティックなホラ話でした。魔王の命令一下、魔界の手下どもが、男が賭けに負けるように右往左往するおかしさが、まず愉快で、さらに、その運命の裏をかく展開が楽しく、破天荒なハッピーエンドに終わります。「マニング氏の金のなる木」同様、少しハートウォームなユーモアが、ロバート・アーサーの隠された持ち味と言えるでしょう。

 さて、このあたりで、以前マンハントの作品を読んだときに紹介した作家を、今度はヒッチコック・マガジンに即して、落穂ひろいを兼ねて読んでみましょう。
 その前に、前回取り上げたC・B・ギルフォードを二編。
 ヒッチコック・マガジンの創刊号に載った「危険な男」は、滑り出しは抜群の面白さです。主人公が運転中に、隣人が大切に飼っている犬を轢いてしまう。粗暴なその隣人と関わりたくない彼は、放置して帰宅し、車を洗って口を拭ってしまおうとする。ところが、警察がやって来て、隣人の妻が轢き殺され、現場を走り去った車のナンバーは彼のものだったと言うのです。轢いたのは犬ですと主張するものの、バンパーについていた犬の血や毛は、すでに洗ってしまっています。身を乗り出させる冒頭に比して、その解明も、結末に到る過程も、ありきたりに過ぎるのが、残念でした。マンハントに訳された「おれは狼だ!」は、禿げ頭に突然毛が生え始めた主人公が、同時に、大食漢の居候である妻の弟へ強い殺意を抱き始めます。獣のような毛と残忍な殺意という、自分に生じたふたつの変化から、どうやら狼男になったらしいと感じ始める。そんなバカなというような主人公の心境の変化を、床屋が追い付かないほど毛が伸びる(人に知られぬよう、床屋を数軒ローテーションで回るというのが笑わせる)といったユーモアを交えて描いていき、義弟を殺す決心の一方で、主人公は自分が本当に狼として生きていけるのかを試そうとします。結末はユーモラスといえばユーモラスですが、中盤の荒々しいユーモアに比べれば、少々見劣りがするのも確かです。
 ロバート・ターナーは、いまとなってはその名を聞きませんが、それでもミステリマガジン95年12月号に「クリスマスの贈り物」という、ヒッチコック・マガジン初出の短編が訳されていました。凶悪な逃亡犯が、クリスマスに家族に会いに来るという情報を得た主人公たち刑事グループが、妻と子どもの待つ家を張り込んでいるという話です。語り手の刑事は人情味があって、リーダーの警部補に、家族とは会わせてやって、家を出たところを逮捕しようと進言しています。逮捕が難しくなるからと、有能で任務遂行第一の警部補は、それを却下している。もうひとりの若手の刑事は、得意の拳銃を使いたくてたまらないと、三人の刑事の描きわけも、短い中で巧みです。以前、この作家を読んだときにも書いたと思いますが、ある意味平凡な出来事の描写だけを積み上げていって、名状しがたい余韻を残して終わる。短編小説の骨法を憎いまでに心得た作家です。この「クリスマスの贈り物」も小品――とはいえ、小太刀の技とでも呼びたい――ながら、微笑みを誘う結末まで、見事な警察(官)小説でした。この作家、マンハント、ヒッチコック・マガジン両誌で活躍した、同時代の短編ミステリの作家の中では、腕前が抜けています。なんとか再評価したいものです。
 ドナルド・ホーニグ(清張のアンソロジーではホニッグ)の「もうひとりのセールスマンの死」は、うらぶれた老セールスマンが、商用先のホテルで、深夜男女の争う声と音を聞きます。フロントで確かめてもらっても、部屋の主はなんでもないと言う。かつてほどの成績もあげられず、引退も出来ない男の淋しさを背景に、事件に巻き込まれていく一夜を、淡々と描いているだけなのですが、わずかな文章から暗示される、男の未来のなさが、事件の悲劇性を際立たせているのが、見事でした。
 ローレンス・トリートが、時として、謎解きミステリの保守本流とでも呼びたくなるような短編を書くことは、以前にも指摘しましたが、ヒッチコック・マガジンに訳出された「百年目の殺人」も、そうした作品です。催眠状態で前世の記憶――百年前のフィラデルフィア――を甦らせている最中の女が、術者の指示で、その時やったことを実演してみせたところ、それは夫を撃ち殺すことなのでした。
「決定的瞬間」は、松本清張のアンソロジーに入ったものですが、女性を被写体とするときのカメラマンの調子の良さと魅力を、巧みに使っています。主人公のカメラマンは、女性を撮ることで名をあげています。広告代理店の実力者の依頼でプードル用シャンプーの宣伝写真を、実力者氏の妻をモデルに撮るのですが、彼女の魅力的なショットを得ようとすると、後ろから夫が口を出して、決定的瞬間をぶち壊す。女性被写体とカメラマンの間には、普通はちょっと入りこめないし、無理を通すとこうなってしまう。撮影現場の微妙な三角関係を描いて、前半はすこぶる快調です。カメラマンは怒り心頭に発していますが、相手が業界の実力者のため文句が言えない。不本意な撮影を終えて、出来上がった写真は使い物になりません。仕方なく再撮影ということになりますが、そこに、モデルのひとり娘が登場し、さらにあれよあれよと、クライムストーリイとしての展開が始まるのですが、そこから先は突然凡庸になってしまいました。


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