短編ミステリ読みかえ史

2017.10.02

短編ミステリ読みかえ史 【第103回】(1/2) 小森収

 ヘンリイ・スレッサーの第二短編集『ママに捧げる犯罪』も、やはり、アルフレッド・ヒッチコック編で、テレビ原作となった短編が16編収められています。原題はA Crime for Mothers and Othersで、これは巻頭の一編を表題作としたものですが、その短編の方は「母なればこそ」という邦題が与えられています。
「母なればこそ」は、第一短編集の巻頭作「逃げるばかりが能じゃない」同様、その発想に先進性を認めることの出来るクライムストーリイです。主人公は自堕落な女で、かつて捨て子同然に里子に出した娘をだしにして、里親から金をせびろうとしています。当然ながら相手にされず、彼女に味方する者もありません。そんなところへ悪徳弁護士が現われて、彼女にとんでもないことを吹き込む。実の娘をさらっても誘拐にはならないと、実質的には身代金として、里親から金を巻き上げようというのです。グッド・アイデアとばかりに飛びつくところが、この女らしいのですが、その計画の結末は……。
「母なればこそ」の結末は、意外性としては、それほどのものはなく、「開いた窓」ふうの残酷さが少々薄味に出ているといったものにすぎませんが、なんといっても、子どもを手放した親が、子どもに対する権利を主張し、身柄さえ奪うという発想そのものが、目新しく、かつ、その後の現実を見通していました。事態は、半世紀を過ぎた現在もなお、その規模を国際的なものとして、問題となっています。これは、たとえば、「逃げるばかりが能じゃない」が、資本主義の発達が否応なく一般市民をも飲み込み、その発想に影響を与えた結果、産まれた犯罪であったことと、軌を一にしています。そう考えたとき、たとえば「処刑の日」は、ある男の無罪か有罪かという問題が、その男の問題だけではすまず、その裁判を構成する人々の利害に関わることになってしまっているという、現代社会に対する着眼点が、まず斬新だったことに気づきます。半世紀を経て、その点ばかりは、変わらず現代社会の問題として在りつづけている。戦争が終わり、安定した繁栄を謳歌しているように見えた、1950年代のアメリカで、新奇で都会的なスマートなクライムストーリイの書き手として登場したスレッサーの、新奇さや都会性やスマートさの正体は、実は、そんなところにあったのではないでしょうか?
 同様な鋭さを感じさせる短編に「褒美は美女」があります。若い女を間にはさんだ三角関係の物語ですが、男の一方は老人です。若い男は若いがゆえに自分の愛情に自信を持っているし、女も恋愛の対象としては若い彼を選んでいる。しかし、あくまで紳士的に穏当な話し合いを、彼女は望んでいます。そんなところへ、老人から彼のもとへ、ふたりで会いたいという申し出がある。行ってみると、かつて貴族は女性をめぐって決闘をしたと、時代錯誤な提案です。おまけに、自分は老体なので、代わりに屈強な執事(元ボクサーらしい)が相手をするというのです。彼は一方的にのされますが、彼女は渡さないと誓う。ところが、家に戻ってみると、彼を待っていたのは、さらに質の悪い罠でした。
 腕力の行使に代表される男性的な力強さが、絶対的な価値を持つ一方で、逆に、女性的な価値観が、その足をすくう。アメリカ社会の持つ複雑さの一端はここにはあって、ダシール・ハメットの作品にも、同じ匂いを私は感じますが、それはともかく、「褒美は美女」のしたたかで苦い結末は見事なものでした。
「処刑の日」にもっとも顕著ですが、そうした社会の切り取り方の新しさが、先駆的なものとして古びない一方で、小説の造りとしては古びている。そのあたりに、スレッサーの作家としての体質が出ていますが、さらに別の側面から、考える材料があります。
「隣りの独房の男」は、見知らぬ土地でスピード違反をとがめられた主人公が、急いでいたために、買収を試みて、かえって心証を害して留置されてしまいます。ちょっとリチャード・マシスンの「ノアの子孫」に似た出だしで、以前にも一度、フィッツジェラルドのところで触れましたが、広大なアメリカのあるところから脱出不能になってしまうという恐怖は、短編小説のモチーフとして延々と描かれ続けることになります。さて、小さな町の小さな留置場に入れられた主人公の隣に、ひとりの男が留置される。近所の少女をレイプしたというのですが、彼をリンチにかけるべく、外では武装した群衆が騒いでいる。保安官たちは、犯罪者を捉えているというよりも、リンチから守るはめに陥り、奔走が始まる。そして、レイプ犯をよそに移送しようとした隙をついて、逆にレイプ犯は保安官を殴り倒し、主人公とふたりきりになると、突然、主人公に着ている服――レイプ犯は修理工で、作業服が目立つのです――を取り替えるよう迫ります。
「隣りの独房の男」は着想の冷酷さのわりには、結末が緩いのですが、それよりも前に、微罪で留置される恐怖や、モブの迫って来る怖さがありません。このあたりに、スピーディでクレヴァーなスレッサーの筆が、抱えてしまっている弱点があるように思います。
 あるいは「女の力」です。病弱で世話が必要であるがゆえに、人を縛り、暴君としてふるまう女性というモチーフも、たびたび描かれるものですが、サマセット・モームの「ルイーズ」と比べると、女性像の描き方、その粘っこさの違いは一目瞭然です。好意的に言えば、そうした女性を出すということを、ひとつのクリシェと考えて、その上で、どのようなストーリイを組み立てるかで勝負するということかもしれませんが、ヒロインの横暴さとそこに仕える側との間の厚みに欠けるという事実は動きません。


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