短編ミステリ読みかえ史

2017.02.03

短編ミステリ読みかえ史 【第95回】(1/2)  小森収

 雑誌マンハントは1953年1月号創刊です。創刊号の目玉はミッキー・スピレーンの「狙われた男」の連載(4回)でした。52年に『燃える接吻』を発表したスピレーンは、初期の長編をすべて書き終えていましたが、そこでキャリアに中断が起きると思った人は、いなかったのではないでしょうか。「狙われた男」『燃える接吻』に次ぐ、スピレーンの長編第8作となり、マンハントはその初出という栄誉を担うはずだったと、そういう皮算用をした人がいても、不思議はありません。ともあれ、スピレーンによって巻き起こった通俗ハードボイルドの牙城として、マンハントは始まり続いていきました。日本語版マンハントは58年8月創刊、奇しくもこの年、本国のマンハントは隔月刊に移行しています。日本語版は、5年ほど続いてハードボイルドミステリィ・マガジンと改称したのち、使命を終えました。本国版の終了は67年でした。
 通俗ハードボイルドという言葉が、すでにして死語だと思いますが、もともと、ダシール・ハメットが書き始めたのは、俗にまみれたパルプマガジンにおいてで、アメリカ人の言葉によるアメリカ人が行動する、ディテクションの小説でした。ハメットの登場は、真にユニークだったために、多くのエピゴーネンを産み、またブラックマスクも積極的に、ハメットを真似るよう動きました。しかし、ハメットのような天才の技を真似ろというのも、無理な話です。ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドを一派(スクール)と捉えるのは、アンソニー・バウチャーが言い出したことだと記憶します――時間切れで確かめがつきませんでした。初出をご存じの方はご教授いただければ幸いです――が、そのことは結果的に、そこに入らない多くの有象無象を切り捨てることになりました。ヨーロッパ(というか英仏)での評価には、また別の面があるのですが、そこを含めて、一般的に目が向けられるのは、70年代以降になります。チャンドラーやロス・マクドナルドのようには、文学的達成をなしえなかったという蔑みが、通俗ハードボイルドという名称の背後にはあります。
 にもかかわらず、両者は同じハードボイルドという名の下にある。戦後すぐの日本のハードボイルド観の混乱は、主に、この腑分けがうまく認識されていなかったことが大きいように私には思われます。それでも、ハードボイルドという潮流は無視できない。乱歩が自分には分からないとギヴアップしたので、翻訳ミステリを紹介する現場は、なおさら、それを埋める必要に迫られたことでしょう。
 早川書房がポケミスで『名探偵登場』というアンソロジーを編んでいました。初期の5冊は田中潤司が作品をセレクトしていたようですが、第5巻の巻末解説は、日本語版EQMM編集長就任早々の都筑道夫の手になるものです。そして、そこで第6巻は、ハードボイルドの名探偵を集めた一編になると予告されていました。実際に『名探偵登場6』が世に出たのは1963年のことでした。ハメット、チャンドラーと並んで選ばれたメンバーは、以下のような人たちでした。ロイ・ハギンズ、R・S・プラザー、ヘンリー・ケイン(早川書房の表記はヘンリイ)、ジョルジュ・シムノン、ハロルド・Q・マスル。このうち、二十一世紀の若い読者が名前を知っているのは、入っていること自体が少々異様なジョルジュ・シムノンくらいでしょうか。シムノンを除けば、元祖スピレーンの追従者=当時のアメリカの通俗ハードボイルドの代表とは、こういう人たちなのでした。

 ヘンリー・ケインは、マンハントという雑誌の一面を表わす、ある意味で典型的な作家かもしれません。1918年生まれのケインは、1947年のデビューですから、スピレーン旋風のただ中にキャリアを開始したことになります。ニューヨークの私立探偵ピーター・チェンバー(一部の訳ではチャンバースもあります)が主人公で語り手となる、通俗ハードボイルドを多く書きました。日本語版のマンハントにも、比較的多く作品が訳されています。いくつか手許にあったものを読んでみましたが、シリーズの狙いは単純明快です。
「ナイト・クラブの殺人」は邦題のとおり、ナイト・クラブで店の共同経営者のひとりが、銃殺されます。居合わせたチェンバースは旧知でもある、殺人課きってのヴェテラン警部ルイス・パーカー(この人は、毎度登場することになります)に連絡する一方、事件現場を仕切ります。被害者をめぐって利害関係のある怪しい人々が登場し、弾丸の方向から、犯人はある特定のテーブルに座っていたことが分かる。あいだに、もうひとつ殺人をはさんで、関係者の中を泳ぎ回るチェンバースは、最後に見事犯人を仕留めます。こうした経緯が、軽口まじりの事態を深刻に捉えないチェンバースの語りで描かれるのです。その間、美女が登場すると(必ず登場するのですが)、いちいちグッときてみせるマメなところが、チェンバースにはあります。美人秘書の描写も「乳房がやけにでかくて、映画館のシートを二つ、上にあげたみたい」と、いささか以上の大風呂敷です。こうした深刻さを欠いた少々軽薄なユーモア――クレイグ・ライスにやや似ていますが、ライスほどの狂騒はない――とお色気という、ふたつを武器に、スピーディに事件を解決してみせるのです。 「”証拠”がなにより証拠には」「幽霊の足」といった作品も、シチュエーションやチェンバースが事件に係わる経緯こそ異なるものの、上記ふたつの特徴は変わりません。そして、これは日本語版マンハントの特徴のひとつですが、思いきってくだけた訳文が採用されています。たとえば、チェンバース行きつけのピザ屋の主人とのやりとりです。

「ちょいと、野暮用でね。人眼につくのはまずいんだよ、アーニイ、場所と、ダブルのスコッチ、水、パン、ラヴィオリをそろえてくれ」
「よろしゅうござんすよ、ミスター・チャンバース」
「くり返しとくが、粋スジじゃないぜ。オスが俺に会いにくる」
「よろしゅうござんすよ。ミスター・チャンバース」

 あるいは、発見された拳銃が自分の依頼人のものだと告げられ、驚く台詞が「ナ・ナンダッテ?」です。
 初期のマンハントは作品ごとの訳者表記がないので、「ナイト・クラブの殺人」のように、翻訳者が分からないことがあるのですが、あとのふたつは中田耕治訳です。したがって「ナイト・クラブの殺人」も中田訳の可能性が高いと思いますが、まあ、それはいいでしょう。わざと下世話な口調や大阪弁を部分的に用いてみたり、工夫というよりも悪のりに近い翻訳になっています。もっとも、それは日本語版マンハントの勝手な暴走とばかりは言えません。同じヘンリー・ケインでも『名探偵登場6』に収められた「一杯のミルク」は、バーでミルクを呑んでいる美女がいて、チェンバースもそれにならってミルクを注文するという、パズルストーリイ好きでも膝を乗り出しそうな始まりから、依頼のために呼び出されたはずのチェンバースが、気がかわったのであっさり解雇されると、読者の意表をつき、以下、あれよあれよという間に、謎めいた事件が展開していきます。解決のつけ方は平凡ですが、他の作品とはいささかモノが違う。この作品は40年代にエスクワイアに書かれたものだそうです。これに比べれば、50年代のマンハントの作品群には、語り口の面白さで一席うかがってしまおうという安直さがあるのは、拭いがたいところです。
 こうした過剰な俗っぽさは、ユーモアに結びつきやすいものですが、当然ながら格調は低くなる。偶然ですが、ヘンリー・ケインの掲載号(ハードボイルドミステリィ・マガジン63年11月号)に、都筑道夫がエッセイを書いているのを見つけました。小鷹信光が通俗ハードボイルドの通俗性をバカにするなという文章を書いたのに対して、権田萬治が反対意見を述べていたというのが、まずあって、その上で「朝には《源氏物語》を読み、夕には《丹下左膳》を読んで、どちらも楽しかった、というひとがいても、いっこうに不思議はないが、その楽しみの質には違いがあるはず」と指摘しています。源氏物語と丹下左膳が、文学性と通俗性を対照する例なのは明らかですが、それよりも前に、もっとはっきり「たとえばチャンドラーを見る目でヘンリー・ケーンなんかを見るのは、やはり間違いだろう」と書いているのです。
 通俗ハードボイルドの通俗性(の面白さ)と、その価値判断の問題は、一口では言えない、存外難しい問題です。そのことはジム・トンプスンという作家ひとりに思いを巡らせるだけで、分かると思います。しかし、ここで着目したいのは、その議論を都筑道夫がしたときに、チャンドラーの対照として選んだのが、ヘンリー・ケインだったという事実そのものです。いま、試みに権田萬治監修の『海外ミステリー事典』を引くと、なんと、ヘンリー・ケインに関しては、ピーター・チェンバーズの項目も立っている――そこには、「作品が書かれた当時の最新流行の服装を着こなして登場している」という、私などが気づきようもない指摘があります。こういう魅力もシティ・マガジンとしてのマンハントを考える上で無視できないでしょう――のです。半世紀経って、お世辞にも、生き残った作家とは言えないにもかかわらず。そういう意味でも、ヘンリー・ケインは、マンハントの一側面を代表する旗頭だったと思うのです。


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