短編ミステリ読みかえ史

2016.12.01

短編ミステリ読みかえ史 【第93回】(1/2)  小森収

 ヒュー・ペンティコーストのジョージ伯父さんのシリーズは、短編集に収められた9編のうち、6編が翻訳されています。おおむね、ジョージ伯父さんの推理というよりは機智といった程度の知恵が、事件を解決に導く小品でした。中では、冒頭から雨中に自動車を走らせる二人組のお尋ね者を登場させ、洪水の恐れのある豪雨に見舞われたレイクヴューに、そのふたりがやって来て、ジョーイを人質にして、ジョージ伯父さんに山越えの案内を強要する「嵐の闇の中で」が、サスペンスにあふれた一編です。どうやってお尋ね者の裏をかくかが、興味の焦点ですが、二人組の不審が露見した――レイクヴューの直前で人を轢き殺している――いきさつが、伏線となって巧く使われていました。
 レイクヴューはニューイングランドの町と設定されていますが、どこの州かは曖昧で、特定しようとすると矛盾が生じるような書き方をしています。これは長編の『狂気の影』にもあてはまりますが、子どものころから知り合っているような、アメリカの小さな町の人々の生活を肯定的に描くことが、ペンティコーストは得意であるように思えます。
 そうした感覚はいささか保守的であり、古めかしいものでもあったでしょうが、ペンティコーストの基調となるものでした。ノンシリーズにおいても、そうです。たとえば「警官は知っている」は、自分の受け持ち管区を「まるで小さな町でも扱うようにやってきた」老署長が、後任である法規第一のやり手署長を出しぬいて、小さな事件を解決しました。こうした、人と人の信頼関係が損なわれていない世界を描くとき、ペンティコーストの筆は冴えます。
「もの云う仔牛」は、苦しい家計を助けるために、かつて生まれたてのころ貰った仔牛を売りに出すことにした、母ひとり子ひとりの少年が主人公です。雄の仔牛は肉牛として売らねば、良い値段になりません。しかし、それは食用ということですから仔牛の死を意味します。酪農用に売れないものかと悩みながら、雑用を手伝ってくれている黒人の運転する車で競りに向かいます。おりしも、そのあたりでは、家畜泥棒の事件が連続している。小説の冒頭は、仔牛の檻に老人の死体を見つけた少年が、背後から羽交い絞めにされ殴打されて気を失うところから始まります。被害者の老人は、家畜泥棒の捜査が思うように進展しないため、自警団的に心当たりを探ろうとした牧場主でした。凶器となった特殊な杖から、老人の息子が疑われますが、少年には自分だけが知っている秘密があって、彼が頼りにする黒人こそが怪しいのでした。家畜の競り市の模様が巧みに描かれ、その会場で少年が逃げ回る。事件は二転三転しますが、その部分の推理は平凡です。犯人は近隣の牧畜仲間を裏切ってはいるのですが、全体として、少年を取り巻く畜産関係者の信頼は壊れずに終わります。少年の仔牛が食肉用に売られずに済むと書いても、ネタばれにはならないでしょう。
 都市を舞台にした「埠頭に証人なし」でも、それは変わりません。あるギャングの死体発見の記事に、夫婦が喜び合うところから始まります。夫は警察官で、潜入捜査の末に、港を牛耳っていたギャングを壊滅させたのですが、ひとりだけ取り逃がしたギャングがいる。夫婦ともども、復讐の標的となって、怯えていたのでした。そのギャングの死体が見つかったのです。ところが、その死体は偽物で、ふたりを安心させるための罠らしい。夫はその手にのったと見せかけて、自分を標的にすることで、残ったひとりのギャングを逆に捕えようとします。わが身を埠頭にさらした主人公に、港の人々は挨拶をおくりますが、彼らがギャングに一報していることも、主人公は知っているのです。そして、予想通り、生きていたギャングが彼を襲います。
 こうした筆致の描き出す世界は、いささか旧弊で保守的なものだったかもしれません。時代はすでに1960年代に入っていました。しかし、スポーツや競馬といった、ペンティコーストが熟知していたであろう世界を題材にした作品同様、安定的に作品を量産するための、方程式のように、それは見えるのでした。



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