短編ミステリ読みかえ史

2016.08.08

短編ミステリ読みかえ史 【第89回】(1/2)  小森収

 以前にも幾度か参照した、マイク・アシュリーの『SF雑誌の歴史』に興味深い記述がありました。1940年代のアメリカのSF雑誌は、30年代のパルプマガジンSFを牽引したアスタウンディングに翳りが見え、40年代を通じて、パルプマガジンのスクラップ・アンド・ビルドが続きます。そこに大きく影響したのが、41年の開戦に伴う、割当制から来る用紙不足だというのです。これはどう見ても、SF雑誌に限った話とは考え難い。しかも、定期刊行の雑誌が無理なことから、雑誌と見まがうような個人短編集やアンソロジーが、盛んに出るようになったとも指摘しています。このことは、ミステリ・リーグの失敗ののち、41年にEQMMを創刊したエラリイ・クイーンが、アンソロジーや個人短編集の編纂に力を入れたという事実とも、平仄があいます。
 40年代の短編SFは、スリックマガジンへの浸透を始めますが、それはミステリについても言えました。ことにコリアーズという雑誌にはいささか注意が必要なようです。トマス・ウォルシュが寄稿していたことは触れましたが、アール・スタンリイ・ガードナーやロアルド・ダールといった作家の主戦場であり、ジャック・フィニイやカート・ヴォネガットJr.といった作家も、この雑誌の常連でした。40年代のアメリカの雑誌状況において、SFとミステリとの違いは、ミステリにEQMMという巨星が存在していたことです。SFにおいてさえ、パルプマガジンのダイジェストサイズへの移行は、EQMMの成功にならったもののようです。戦争に終わりが見え、EQMMは年次コンテストによる秀作の確保に乗り出しました。その経緯と経過は、以前詳述した通りです。
 そして50年代に入り、唐突にパルプマガジンが終焉を迎えます。少なくとも、SFはそうだったようです。まず、パルプマガジンの有力な出版社ストリート・アンド・スミスが、49年に一気に――SFのみならず、ミステリからウェスタンからすべて――パルプマガジンから手を引いてしまうのです。それからわずか数年で、パルプマガジンは、あっという間に凋落してしまいます。それと並行して50年代の黄金時代を支えることになる新しい雑誌が創刊します。ギャラクシーとF&SF(ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション)の2誌が、それです。とくにF&SFは、EQMMを手本にした形跡があります。そもそも、編集長はアンソニー・バウチャーでしたし、シャーリイ・ジャクスンのクライムストーリイを掲載していたことは、ジャクスンのところで指摘した通りです。ちなみに、日本でも、SFマガジンは同誌の日本語版としてスタートしました。
 ミステリに目を転じると、51年のブラックマスク休刊の後を受けるかのように、53年にマンハントが創刊されます。40年代のブラックマスクは青息吐息だったようですが、それを埋めるかのように、ミッキー・スピレインの長編小説がセンセイショナルな当たりを取っていました。スピレインの長編はまずハードカヴァーで出ましたが、爆発的な人気を得たのは、ペイパーバックによる力が大きく、シグネットブックは一躍一大ブランドとなります。ペイパーバックという出版形態は20年代からあったようですが、盛んになったのは40年代に入ってからで、39年にサイモン&シャスターの系列会社としてポケットブックが、ペイパーバック専門の出版社としてスタートします。大きく開花するのは45年に戦争が終わってからで、スピレインの『裁くのは俺だ』のペイパーバック販売が48年(ハードカヴァー版出版の翌年です)。それから10年くらいの間に、ハードカヴァー出版からペイパーバック化という流れの他に、ペイパーバック書下ろしという形が登場し、これが新人の登竜門となっていきます。かつて、パルプマガジンの時代には、1語1セントの原稿料で短編を量産しながら、なんとか長編を書く時間をやりくりし、マガジンライターからブックオーサーへの昇格を目指したような新人たちに、いきなり長編を書いて世に出るチャンスが与えられるようになったのです。

 ロス・マクドナルドのデビューは、ペイパーバック書下ろしの時代よりは、いくぶん前になりますが、長編デビューが先だったことは確かです。このことが、ロス・マクドナルドとハメット、チャンドラーを分かつ点のひとつですが、年月が経ってふり返ると、結果的に重い事実のようにも思えます。すなわち、ロス・マクドナルドの処女作『暗いトンネル』は1944年に世に出ました。最初の短編は「女を探せ」で、執筆は1945年。第1回EQMMコンテストに投じられ第4席に入ります。活字になったのは翌46年で、もちろんEQMMが初出です。ロス・マクドナルドの短編デビューは、ブラックマスクでもなければマンハントでもなく、EQMMでした。ただし、『暗いトンネル』「女を探せ」も、ケネス・ミラーの名前で発表されました。それどころか、「女を探せ」初出時は、主人公の私立探偵の名はリュウ・アーチャーではありませんでした。アーチャーの名になったのは、短編集『わが名はアーチャー』に収録されたときです。異なった名の私立探偵の短編を、のちにもっとも有力なシリーズキャラクターの名前で統一するのは、チャンドラーも行ったことで、この点が、ハメットとチャンドラー、ロス・マクを分かつ点のひとつですが、この事実も重いものがあるように思います。
 ロス・マクドナルドの死後、生前の作品が発掘されたことがあって、EQMMコンテストには2編が応募されていたことが分かりました。受賞したDeath by Air(改題されてFind the Woman)のほかにDeath by Waterという一編があったのです。ともに、主人公の私立探偵の名はロジャーズでした。ミステリマガジン2001年10月号に「溺死」の題名で邦訳が載りました。
「女を探せ」はアンソロジーに採られることもあって、数少ないアーチャーものの短編の中でも、もっとも読まれている作品ではないでしょうか。「女を探せ」「溺死」もディテクションの小説を書こうとする意識がはっきりしていて、それは犯行が不可能そうな犯人像に端的に表われています。その上で、よりトリッキイでドンデン返しを備えた、おまけに、行方不明者を探すため、依頼人が探偵を訪れるところから始まる――「溺死」はそうではありません――「女を探せ」の方が受賞しています。しかも「女を探せ」のドンデン返しには、後年のロス・マクドナルドを予想させるものがあります。このあたりEQMMという媒体がそういう作品を書かせたのか、ロス・マクドナルドの資質が最初の短編から表われているのか。
 のちにリュウ・アーチャーものの短編となる作品は、48年に「ひげのある女」が書かれています。発表媒体はアメリカンマガジン。翌49年『動く標的』が発表されて、リュウ・アーチャーがこの世に生を受けます。少しおいて53年から54年にかけて、創刊まもないマンハントに4編のリュウ・-アーチャーが登場する短編が書かれ、54年には「雲をつかむ女」がEQMMに発表されました。ここまでが『わが名はアーチャー』に収められた短編ということになります。
『わが名はアーチャー』に収録された作品を読むと、後年のリュウ・アーチャーの長編群を読んだ目に、いささか奇妙に感じられるのは、依頼人がアーチャーを訪れるという始まり方をするものが少ないことです。「ひげのある女」は、復員したアーチャーが戦友を訪ねることから始まります。「逃げた女」は、仕事の帰りに路上で危険な蛇行運転をしている車に出くわすことから、事件に巻き込まれます。「自殺した女」は、列車の中で知り合った空腹の女に食事をおごったことをきっかけに、事件に介入していきます。しかも、事件の依頼人と会うところから始まるものにしても、「罪になやむ女」は、ボディガードの仕事ですし、「雲をつかむような女」は、自分の名前さえ告げない女から、裁判を傍聴してほしいという依頼です。かろうじて「不吉な女」が、失踪した妹の行方を探すというものでした。
 これらの作品の中では「ひげのある女」に、事件の複雑さといい、ひげを描きこまれた女の絵(クイーンにもそういう短編がありましたね)という魅力的な謎と、その(ミステリ的というよりは)小説的な利用といい、若書きながらも、ロス・マクドナルドらしさを見ることが出来ます。それに続くマンハント初出の4編「逃げた女」「不吉な女」「自殺した女」「罪になやむ女」(追いつめられたブロンド)は、書き出しのパターンに顕著なように、様々な工夫はあるものの、事件を追いかけるアーチャーの足取りがクレヴァーさに欠け、達者な通俗ハードボイルドの域を出ません。こうした短編においては、チャンドラーの中短編のエピゴーネンと思われても仕方がなかったかもしれません。



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